ブルーネオンの機構戦線

蟬時雨あさぎ

1. いまだケイトは半人前

(……人間ヒトの瞳の画素数は、どのくらいだったっけか)


 ケイト・サクラガワは油断していた。


 何せ初めて先輩隊員たるノルス・チェインバーズの補佐としてではなく、ケイトが主力として仕事を請け負いこなしたのである。例えそれがお使い程度の内容であったとしても、相棒バディのヒトミと共に、だ。

 嫌そうな顔でお目付け役をしていたニィゴからもなんとか及第点を貰い、後は帰投するのみ、というところまで万事つつがなく進んでいた。


 それ故に、ほんの一瞬反応が遅れた。心構えができていなかった。


 エメラルド色の目に映る、彼が恐れてやまないN.E.G.O.の姿。無機的な質感で機械仕掛けの体躯からだを持ち、人類とは異なった理の下で存在する謎多き敵性体。

 それが己の首を目掛けて、刃に変形した片腕を振りかぶるまで。たった今の今まで、その存在に気が付けなかったのである。


「ケイト!!」


 七階建て集合住宅の屋上に、ヒトミの焦燥感が滲み出た叫びが響き渡る。

 一瞬にして身体を支配する恐怖。思考は明後日の方角に進み、指の一つも動かせないまま。ケイトはただ、スローモーションに迫りくる刃を眺め――。


(――そうだ。人間の目の画素数は、)


 他人事のように、自問に自答をしようとしたところで。


「ぅガッ!?」


 身体に受ける衝撃。

 飛び込んできたニィゴのヒヤシンスブルーの髪先を、N.E.G.O.の凶刃が刈り取る。近くにいた彼が咄嗟に、半ばケイトを押し倒して回避行動を取らせたのだ。

 バッと顔を見合わせればかち合う視線、コバルトの瞳が見据える。


現実逃避フリーズするな! 命令CODE!」


 ニィゴの言葉に正気を取り戻し、焦点が合うエメラルドの瞳。

 受け身を取っていた彼が駆け出したのを視線で追えば、二体目のN.E.G.O.の姿。そのまま見渡す屋上には、人型N.E.G.O.が計五体目視できる。


「……ッ、N.E.G.O.確認フェイス!」


 その内三体が群れて立ちはだかる向こうに、相棒の柘榴色の髪。

 彼の左頬の泣き黒子が見え、目が合う。


「ヒトっ――」

「避けて!!」


 遮るような返答に見上げれば、先程のN.E.G.O.が再度腕を振りかぶっていた。横に転がり、寸でのところで回避する。全身を覆う特殊隊服のお陰で、地面に擦れた痛みはほとんどない。

 鋭い刃先が地面に刺さった音と同時に、ケイトは飛び上がり体勢を整え。自らも警棒を構えながら叫ぶ命令CODEは、相棒が戦闘機構としての力をふるうためのもの。


「ヒトミ、制限解除ブレイク!」


 声紋認証に適合し言葉の意味が咀嚼されれば、疑似神経ネットワークを通し制限リミッターが外れたのが伝わってくる。


「〈制限解除Break,受領accept.〉」


 ヒトミの口から小さく響くのは、感情のない機械的な声。ニィゴと同じコバルトブルーの瞳が彩度を上げて、鮮やかなスカイブルーの色――対N.E.G.O.戦闘に有効な、“ブルーネオン”に底光りした。

 構えられたヒトミ専用の特殊警棒も変形し、蒼い光を纏ったブレードとなる。


「――戦闘を開始します」


 言い終わるや否や、蒼光一閃。

 ただ一振り、薙いだだけ。呻き声すら上げることなく、雲散霧消する敵影。

 瞬き一つの間に、三体のN.E.G.O.はヒトミの前から消えていた。


「流石、一式にいさんだ」


 そう苦笑いをしながら呟くと、突如としてバックステップするニィゴ。距離を取ったその一瞬で、ブレードに薙ぎ払われるN.E.G.O.の姿。


「KWYAAAAaaa……!!」


 耳障りな断末魔を機に留めることなく、流れるように剣先を向けたのは最後の一体。ケイトが警棒を向け、睨み合っているN.E.G.O.に狙いを定めると。


「ケイト、離れて」

「――えっ?」


 疑似神経ネットワークを利用して、無理矢理動かされる身体。二、三歩背後に下がるケイトと入れ替わるように、素早く距離を詰めるヒトミ。

 その姿にN.E.G.O.が反応する頃には。


輝けBlaze.


 背後から胸部へと突き立てられたブレードが、蒼光を放っていた。


「Wy, WyAAAAaaaa!!!」

「……ッ、は」


 目の前で叫び声をあげるN.E.G.O.のその気迫に、思わず尻餅をつくケイト。しかし最初の勢いは段々と削がれ、それに呼応するかのようにメタリックな体躯が塵となって消えていく。


「aa……a……」


 影一つ残らずその姿が消えれば、訪れる静寂。ささやかな風が通り抜ける音でさ鮮明に聞こえる、安寧たる静けさに満ちた。


「敵性体沈黙。戦闘、終了しました」


 柔らかなテノールが響けば、物々しいブレードはただの特殊警棒に。ケイトが見上げたヒトミの目も、落ち着いたコバルトブルーを湛えていた。


「大丈夫ですか? ケイト」

「……とりあえず、なんとか」


 心許なさげに微笑で返せば、差し出された手。初めてN.E.G.O.と対峙したときに腰が抜けてしまったケイトを覚えているのか、未だにこうして手を差し伸べるのだ。


「無事でよかったです。……もしかして、負荷がかかりましたか?」

「いや、これくらいは全然大丈夫」


 手を取れば力強く引っ張られ、難なく立ち上がる。


「有難う、ヒトミ」

「どういたしまして」


 お礼を伝えれば、心地よいテノールが返ってくる。

 見上げればにこり、と安心させるように微笑むヒトミ――否、一式ヒト型戦闘機構三号に、釣られてケイトも小さく笑みを浮かべていると。


「へらへらすんな」

だッ?!」


 ごん、と頭に硬いものをぶつけられ、思わず頭頂部を押さえるケイト。向けば警棒を差し出しながら、ニィゴが不満そうな顔で見ていた。二式ヒト型戦闘機構五号である彼にしては大層手加減しているのであろうが、痛いものは痛い。

 睨みつけるコバルトの瞳はヒトミと同じはずなのに、眼つきの鋭さも相まって少し暗い色合いに見える。


「警棒を手放すのは僕、どうかと思うんだけど」

「ゔっ……スイマセン」


 まだ幼さの残る声音で、ぶっきらぼうに告げられる言葉。しかしながら普段の口の悪さを考えれば、やさしさに溢れた愚痴の範囲である。

 ぼうっと見ていれば、ニィゴの持つ警棒が上下に振られる。有難う、と言いながら受け取ったケイトは、いそいそと腰ベルトに装着した携帯用ホルダーに戻す。


「まあ、今回は予想けいさんがいの襲撃だったし。正直、僕の反応もギリギリだった」

「でもあの時ニィゴが押し倒してくれてなかったら、……たぶん俺は」


 そこで言葉を切って、唇を噛みしめるケイト。


(俺は、確実に、死を受け入れていた)


 気を抜いて油断して、反応が遅れただけであればまだ許せた。しかし彼はN.E.G.O.の姿が目に入ったあの瞬間に、まぎれもなく生きることを、生き残ることを放棄したのだ。

 戦闘訓練のように、これが拡張現実技術の見せる幻であったならなあ、などという現実逃避をして。


「今回、それは最悪の場合としてあり得る可能性ではあった」


 腕を組んだニィゴの起伏の籠っていない声音が、それが事実であることをこの上なく突き付けた。くっと息を吸い込んで、肺に空気を溜める。とくとくと鳴る心臓の音を感じたくて、ケイトは胸に片手を当てていた。


「でもこうして五体満足、無事だったってことは成長してるんじゃないの」

「……成長、か。成長、できてるのかな」

「入隊直後じゃ、跳ね起きなんて行動の選択肢に無かったでしょ。そういう部分では生存確率は僅かに上がってると思うけど」

「けど?」

「恐怖を飼い慣らせないようじゃ、この先絶望的だね」

「ゔっ」


 思わず胸を押さえていた手をぎゅっと握りしめる。自分自身でも理解している課題を改めて指摘されると、何とも心に刺さる言葉となってしまうのから不思議である。


「真摯に受け止め、今後改善していきたいと思います……」

「まあ何だかんだ言うけどさ、僕らと違って人間あんたは替えが利かないんだ。だから無事である以上に良い結果なんてない。そうだろ、兄さん?」


 ニィゴが視線を向けた先、ヒトミは笑みを張り付けたまま動かない。瞼も眼球も表情筋の一つも動かない彼の、髪だけが風に揺れて――。


「くっ……」


 ――予備動作なくガクン、と片膝をついた。


「ヒトミ?!」

「兄さん?!」

「す、みません」


 その衝撃的な光景に、ケイトのみならずニィゴからも驚愕を含んだような声が飛び出た。上手く身体を操れないのか、片腕をだらんとたらした状態で片膝をつくのがやっとという様相である。


「ウィルスを、仕込まれて……しまったみたいで」


 ヒト型戦闘機構に対する最も大きな脅威である――通称、N.E.G.O.ウィルス。どういった仕組みで仕込まれるのかは完全に解明されておらず、総じて駆除が難しく、感染し続けると致命的なエラーを引き起こす代物だ。


「N.E.G.O.汚染か。サクラガワ、対ウィルス用ワクチンを――」

「今探してるよ!!」


 食い気味に言い返したケイトは、ウェストバッグのジッパーを次から次へと開けて中身を漁る。N.E.G.O.には様々な形態が存在し、どの形態から受けたウィルスであるかによって投与するワクチンが変化する。つまり人間用も含め数多ある薬液の中から、人型N.E.G.O.のウィルスに応じたワクチンを見つける必要があるのだ。

 液体の詰まった円筒状のワクチンシリンダを次々に見分け、そしてケイトの手が止まる。


「あった!」


 見つけたワクチンシリンダを、専用の注射器にセットすれば準備完了。ニィゴに見守られつつ焦りながら跪いてヒトミと目線を合わせると、ケイトはその首筋に右手を添える。


「打ちます」


 基本的にヒト型戦闘機構は全身を厚い表皮組織で覆っているため、唯一比較的薄い首からワクチンの投与を行う。ぎゅっと握り込んでいた左手の注射器を内側に向け、オートプランジャーのボタンに親指を乗せ。

 色素の薄い皮膚に針先をそっと宛がったその時。


「ッ待っそれじゃな」

「えっ」


 静止もむなしくボタンは押され、注入されるワクチン。それが正しければ何ら問題はないが、両目を片手で多い項垂れるニィゴの様子を見れば結果は明白であった。

 コバルトの瞳が訳もなくブルーネオンに輝き、目がかっと見開かれれば。



「――〈オーバーフローおよび回路暴走を確認〉」



「んの馬鹿……」

「〈緊急スリープモードに移行します〉……」

「えっ、ヒ、ヒトっ、」


 きわめて機械的な音声が流れ、その瞼がそっと閉じられる。


「……ヒトミィィイ!!!!」


 N.E.G.O.対策特別捜査隊、ケイト・サクラガワ、二十一歳。

 眠りについた相棒を抱えた悲痛な彼の叫びは、昼下がりの居住区に響き渡る声量であった。

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