第6話 個人の権利
1 挨拶
神森文政は、せっかくの休日となる土曜日に、部下である美作綾の実家を訪れていた。きっかけは、綾の父であり、本部の警視という所謂お偉いさんの美作義則にお誘いを受けたからだ。家のインターホンを押下すると、綾が出てきた。
「神森さん、お待ちしてました。どうぞ入って下さい。」
「お邪魔します。」
客間に案内されると、義則がソファに座って待っていた。
「し、失礼します。」
「いやぁ、よく来たね。わざわざ休みの日に申し訳ないね。」
「いえ、こちらこそお宅にまで押しかけて申し訳ありません。」
「いや、いいんだよ。さっ、座ってくれ。そうだ、綾。神森君にコーヒーでも出してあげてくれ。」
「はぁい。神森さんはゆっくりして下さいね。」
「ありがとう。」
綾が部屋を出ていくと、義則の声色が少し変わった。
「ところで、神森君。手を出してないだろうね。」
「えっ。」
「娘に手を出してないだろうねと聞いている。」
豹変した義則に神森は動揺した。
「と、とんでもありません。私からは…」
「そりゃそうだろうな。もし、手を出していたのなら、ただじゃ済まさないしな。」
神森は、義則の娘を取られたくないという気迫に圧倒されていたが、それよりも重大なことに気付いてしまった。なんと義則の背後に犬のような形をした黒いモヤが漂っていたのだ。
(美作義則も使い手だったんだ。)
綾が能力持ちであるから、考えられることではあったが、それでも驚いてしまった。能力持ちが遺伝するのかどうかは分かっていないが、美作家から能力持ちの遺伝という説が現実味を帯びてきた。
とりあえず、この場では見えないふりをするため、神森はなるべく犬を見ないように気をつけていると、綾が部屋に入ってきた。
「お父さん、どういうこと。」
「おぉ、綾、違うんだ。」
「何が違うと言うのよ。」
「これは、念の為だよ。」
「何が念の為よ。そういうつもりなら私は許さないよ。」
そう言うと綾は『鬼の顔』を自分の背後に出現させて攻撃体勢に入った。とんでもない状況にまで発展したが、神森はあくまでも何食わぬ顔で座っていた。
「綾、悪かった。もうしないから許してほしい。」
「…っ、次はないよ。何かあったらすぐに分かるんだからね。」
神森は義則の能力が気になったが、綾の乱入でこれ以上は探れないと思い諦めた。それより、この険悪な雰囲気をどうにかしなければならないと思って仲裁に入った。
「美作、どうしたんだ。警視もどうかなされたのですか。」
「神森さんは気にしないで下さい。私とお父さんとの問題ですから。ホント信じられない。」
神森はそれ以上首を突っ込むことが出来ず、しばらく沈黙が続いた。
5分後、美作家の娘が父親を睨みつけた状態が続いていた。義則も原因を作った張本人ではなるが、どうしたものかと困り果てていた。この気まずい沈黙を破ったのはやはり神森だった。
「警視、今日は何か用件があったのではないですか。」
「おぉ、そうだった。実は、ここ最近の事件で奇妙な接点があると思ってな。」
神森は警戒した。
「と言いますと…」
「君たちが勤務する山岡署で捕まえた容疑者が、続けて亡くなっているということだ。」
「はい、確かに連続してそのようなことがありました。」
「どうも通常有り得ないことが続いているので、おかしいと思ってね。」
神森としては予想外のことだった。警察の内部にも同じような能力を持つ者がいて、その者が犯人である自分に対してピンポイントで接触をしてくるだなんて。だが、幸いにも義則は確信を得て神森に接しているようではなさそうだった。あくまでも数多くいる対象者の一人といった感じだった。
「しかし、あれはどれも事件性はなかったですし、他者の介在はないはずですが。」
「そうなんだが、調べたところここ3年間、同じように容疑者が亡くなっている件が他にも3件ほどあったんだ。もしかしたら、まだあるかもしれない。」
「つまり、容疑者を狙った連続殺人ということですね。」
「断定はできないが、その可能性もあると思ってね。」
義則も能力者であるから、不自然なことに対して敏感なのである。
「そうなると、普通に考えると内部の者による犯行となりますが…」
「そうだね、考えたくないがその可能性も感じている。」
「しかし、その場合ですと、監察や捜査一課など本部で極秘に対応されるのではないですか。なぜ私に話をされたのですか。」
「この話はあくまでも私が感じたことで、どこかが動いているわけではないのだよ。ちょうど娘が山岡署の配属で刑事課にいるから、お世話になっている神森君なら何か知っていることがあるかと思ったのだよ。」
「趣旨はわかりました。過去の資料を見返してみます。それで何かわかれば報告します。」
「あぁ、よろしく頼む。」
後日、山岡署の人目がつかないところで、神森は義則に電話で調べた結果について報告をしていた。
「過去の資料を見ましたが、共通点があることがわかりました。」
「その共通点とは」
「警視もお気づきかもしれませんが、どれも不起訴になっているということです。そして、亡くなっている者が一般的に素行が悪い人物となります。断言はできませんが、これらが本当に連続殺人であるならば、不起訴となった素行不良者を許すことができない者による犯行とも考えられます。」
「うん、わかった。引き続きよろしく頼む。」
「わかりました。」
電話を切ると、神森はまたしても悪い顔をしていた。そして、違うところに電話をかけ始めた。
「今大丈夫か、例の件なんだが頼めるか。…詳細は後で伝える。それじゃ。」
そう言うと神森は電話を切った。
2 共犯者
高橋優(たかはしまさる)は、山岡市の大学に通う学生で、郊外のアパートで母親と二人暮らしをしている。父親は物心ついたときにはいなかった。しかし、母親は優に寂しい思いをさせないよう、人一倍愛を注いできた。優もそんな母親の気持ちを感じて人前では良い子だった。ただし、それは人前だけで内に秘めた妬みは、優の性格を捻じ曲げていった。優は他人を言葉巧みに操り、意味もなく人間関係をかき乱し、自分では埋まらない虚しい気持ちをつまらないことで埋めていた。
だが、中学3年生の時にとうとうそのツケが回ってきた。優のやり方が気に食わない者たちが、優を痛めつけるために集まった。4人がよってたかって優に暴行を加えた。自業自得ではあるが、優は恐怖と理不尽さを感じていた。そのときだった。4人の内の1人の様子がおかしくなった。突然、不自然に動かなくなったのだ。続けて3人も心ここに在らずという様子で呆けていた。何が起きたかわからなかったが、一つ言えることは見えない何らかの力で4人が動かされているということだ。
何がなんだかわからなかったが、優は黙って様子を見ていた。すると、4人は不自然なままその場から立ち去って行った。そして、1人の男性が優に声をかけてきた。それが神森だった。優は、これらの不思議なことが何故か神森によるものだと思い、助けてくれたことについてお礼を言った。神森は驚いた表情を見せたが、すぐに落ち着いた口調で優の身体を気遣った。優は不思議な力で自分を助けてくれた神森に憧れのような感情を抱き、それからは神森を慕うようになった。
その後、優は、神森が警察官でありながら犯罪に手を染めていることを知ることなった。しかも、犯行を見た訳ではなかったが、状況から考えてもその犯罪が人殺しだということだ。だが、優は恐怖しなかった。むしろ、この事実を知っているのが自分だけだということに優越感を覚えていた。優は神森の殺人に必要な雑用や調査などを手伝い、そして、神森の右腕となり、神森の犯行に無くてはならない存在になった。
神森は山岡市にある大型ショッピングモールの地下駐車場に来ていた。そして、駐車場の端に停まっているワンボックスの車両の後部座席側のドアを開けて乗車した。
「いい車だな、これを買ったのか。」
神森が質問すると、運転席に座っている優が答えた。
「はい、神森さんに頂いているお金で買いました。」
神森は、優に依頼をしたときに報酬を支払っていた。経済的に苦しい高橋家にとっては貴重な収入であり、優の母親の負担も減らすことができた。これらも優が神森に従う理由である。
「お母さんは反対しなかったのか。」
「その辺は大丈夫です。母からは、あなたが稼いだのだから好きに使いなさいって言われてます。」
「お母さんには、バイトで通しきれているのか。」
「そこも問題ないです。神森さんがわざわざ架空会社の給与明細を作ってくれているから信用してくれてます。」
「なら良かった。…さっそくだが、今回の件について説明する。」
そう言うと、神森は今回の標的について説明を始めた。相手は、酒井源五郎57歳。薬物事件で警察に何度も捕まっている人物だが、今回は交際相手への暴行事件で逮捕された。しかし、報復を恐れた交際相手が被害を訴えなかったため釈放されたのである。酒井はこれだけではなく、よく揉め事を起こしていた。薬物の後遺症で精神が不安定であり、自己責任であるにもかかわらず他人に当たり散らしていた。神森は、この酒井を社会の害悪と判断し、処分することを決めた。
「わかりました。でも、大丈夫ですか。警察の偉い人が用心深くなっているときに処分して…。今回は自分が処分しましょうか。」
「いや、優が手を下す必要はないよ。あくまでもいつもどおり対象者の行動を確認してくれるだけでいいよ。」
「それだけでいいんですか。」
「あぁ、それが必要なんだ。」
「わかりました。指示どおりにします。」
神森と別れた優は、手に入れた情報を基に早速酒井を確認するため住居地まで移動した。外観から見ると、酒井が住んでいるアパートの居室には明かりが灯っており、人影のようなものも確認できた。そうかと思うといきなり明かりが消えた。優は、酒井が出てくるかもしれないと思い出入口付近で待ち伏せた。すると、思ったとおり酒井が出てきた。酒井は家を出た後、近くのコンビニエンスストアに向けて歩き出したので、優はそれを追って歩きだした。酒井をよく見ると、脚を痛めているのか歩き方がぎこちなかった。
(なるほど、脚腰のどこかを痛めているな。)
その後も酒井を尾行して、コンビニエンスストアで買っている物、予想される所持金、店員への対応など徹底的に監視した。翌日もその翌日も同じように監視をした。そして確認した結果を詳しく神森へ報告した。すると、神森は
「とりあえずはこれくらいで大丈夫だ。あとはまた指示する。」
と言い監視の打ち切りを指示した。
優がやったのはいつもと同じ事で、この後に神森がどうやって犯行に至っているかは知るところではなかった。
優は、報告を終えた後に帰宅する酒井の姿を見送ってその場を立ち去った。
3 工作
一週間後。
神森は義則と電話でやりとりをしていた。
「現在、山岡署で不起訴処分となった人物が一人います。酒井源五郎という薬物の前科持ちです。もし、何者かによる連続殺人であれば、おそらく次に狙われるのはこの人物です。」
「そうか。では、申し訳ないが何かのついでで構わないから、娘と一緒にその酒井という人物の安否を確認してもらえるか。」
「わかりました。ちょうど、酒井が住んでいる地域方面に行く予定がありますので、そのときに確認してみます。」
「よろしく頼む。」
神森が電話を終えたところで、近くにいた綾に話を向けた。
「このやりとり、家でお父さんとしてきてくれないか。その方が、俺が直接やりとりするより効率的だと思うのだけど…」
「それは嫌ですよ。まだお父さんを許したわけではないので。」
「はぁ、仲良くしてくれよ。まったく。」
夕方。神森たちは、当初の予定を済ませて酒井の様子を見るため、酒井が住むアパートの近くまで来ていた。
「神森さん、なんかこのアパート静かですね。」
「あぁ、このアパートは通称酒井アパートと言われていて、酒井が隣人や大家らに因縁をつけたり、個人の権利と言う名の暴力を振い続けたせいで、今では住む人がほとんどいなくなったんだ。」
「ほんとに迷惑な奴ですね。」
「そう、そして、義務も果たさず権利ばかり主張した酒井はひとりぼっちになってしまったが、それを周りのせいにして、更なる悪循環を生んでいる。」
「なんか腹立ってきました。酒井は守る価値がないですね。」
「あぁ、それは俺も同意見だが、今回は連続殺人犯が現れるかどうかが重要だからな。結果として酒井を守ることになるが、仕方ないさ。」
「うーん、そうですよね。」
神森は、よくもこう嘘がつけるのかと自分自身に感心していた。また、それと同時に酒井を葬ることを考えていた。綾に気付かれずに酒井を処分しなければならずリスクが大きい。しかし、自らの目的を達成させるためやるしかないのだ。
「神森さん、帰ってきましたよ。」
「外出していたようだな。」
酒井が外出していたことは想定内だ。優の話のとおり通常であれば、この1時間後に同棲している交際相手が仕事から帰ってくるはずである。酒井を処分するのであれば、このタイミングである。酒井を仕留める方法は、綾に気づかれないようにゴツゴツした腕を使うしかない。しかし、距離にもよるが能力を発動している際は、同じ能力者であればその気配を感じとられてしまう。神森は、色んな手を講じたが最悪の場合は日を改めることも考えた。
「美作、ちょっと玄関近くに行ってみようと思うが、ベランダ側から様子を見てくれないか。」
「…あ、そのぉ。」
「ん、どうした。」
「父から単独行動したらお前が怪しまれるから、神森さんと一緒に行動するようにと言われてまして。あっでも、決して私は何もしてませんよ。していないのですが…」
「そうか、それもそうだな。警視の指示に従おう。」
神森は、美作義則に先手を打たれていた。義則は娘ではなく、神森が変な行動をしないようにという意味で一緒に動けと指示をしたのだ。
(最初から目をつけられていたのか。これで予定が崩れたな。…さて、どうしたらいいものか。)
なす手のないまま1時間が経過したところで、酒井の交際相手がやってきた。
「酒井の交際相手が帰ってきましたね。」
「あぁ。これで酒井も今日のところは外出はしないだろうから、もう少し様子を見たら撤退しよう。」
「はい、わかりました。」
すると、酒井の家の方から女性の悲鳴が聞こえてきた。
「なんだ、今の悲鳴は」
「酒井の家の方ですよ。様子を見に行きましょう。」
酒井の家まで行くと、交際相手が玄関前で座り込んでいた。神森がそっと中を覗くと、そこには首を吊っている酒井の姿が見えた。神森はしめたと思いながらも、酒井の交際相手に警察を呼ぶよう指示をしてその場を離れた。
4 決意
しばらくすると、酒井の家の周りにはパトカーが集まってきていた。少し離れたところで神森たちも様子を伺っていた。
「神森さん、私たちも現場に居なくてもいいのですか。」
「もし行くとしても、係長から連絡があってからね。今行くと不自然だから。独断で殺人事件の捜査をしているなんて、みんなに言えないし。」
「でも、酒井の交際相手に見られてますよ。」
「万が一、酒井の家にいたことがバレたときは、取調べを担当していた者として、酒井が気になったとか適当なことをいうよ。」
「わかりました。でもなんで酒井は自殺をしたのでしょうか。」
「それはわからないが、確かに酒井は自殺をする人間じゃないな。」
「ですよね。」
「殺人の可能性はあるけど、他者の介在があるかはどうかは検視で明らかになる。それを待つしかないよ。」
神森は、美作が本当に言いたいのは『なんで能力が使われた気配はないのに、酒井が死んでいるのか』という意味だと気づいた。
「とりあえず警視には報告しておくよ。」
神森は美作警視に現状を説明した。
「そうか、二人ともご苦労さんだった。そこから引いてくれ。」
「わかりました。」
電話を切ると、神森たちは一度山岡署に戻り、酒井の死に対応する人手が足りていることを知ると、現場の人に任せることにして帰宅することにした。
神森はいつもの帰り道を歩いていると、前方から何やら嫌な感じがした。目を凝らしてみると、一人の男が蛇のようなドス黒いものを身に纏い立っていた。暗くてよく見えないが感覚からして能力者だ。神森は気づかないふりをして通り過ぎようとしたが許してくれなかった。
蛇のようなものが神森を襲ってきたのだ。
「なっ」
神森はとっさにその攻撃を避けてしまった。
「やはり、見えるんだな。」
聞いたことのある声だった。だが、そんなことより神森は、その男を仕留める決意をもった。
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