第4話 結束の力

1 団体の意義


 早朝、山岡警察署に神森文政巡査部長が出勤すると、機動隊員が集まっていることに気付いた。何事かと思いながら刑事課に入ると、すでに宝塚係長が来ていた。

「係長、下に機動隊員が集まっていましたが、何かあるのですか。」

「あぁ、団体による大規模なデモが行われるから、その警備にあたるらしいよ。というか、それこの前言っただろ。」

「そうでしたね、すいません。」

「聞いた話では県外から集合するみたいで、山岡市民はほとんど参加してないみたいだよ。」

「どういうことですか、それ。」

「昔は同じ主義主張の人が多かったみたいだけど、今は時代が変わって団員も減少の一途をたどっているという話だよ。まぁ若い子たちは毛嫌いするかもね。今では全国津々浦々の高齢団員が集まるイベントのようなものになってるって。」

「形骸化してるじゃぁないですか。」

「バイトを雇ってるとか、某国の工作員だとか色んな話があるけど、はっきり言ってそうなったら終わりだよね。」

「時代の変化についていけず、存続のためとはいえ一線を越えてしまっているんですね。もう辞めてしまえばいいのに。」

「その団体を利用している存在もいるし、なくなることはないだろうよ。ただ、その中でも本当に信念を貫いている人は可哀想だけどね。」

「さぁ、仕事仕事。」

「そういうとこ冷たいよね、君は。そんな君には、早速仕事が入ってるよ。」

「え、なんですか。」

「昨晩、DVで夫が逮捕された事件が入ってるんだよ。俺にも連絡があって早く来たんだ。その夫の取り調べを神森に頼むよ。」

「わかりました。準備します。」


 昨晩の11時ころのことである。佐々木剛士は会社の会合を終えて帰ってきたところ、妻の志保から浮気を疑われた。原因は過去に浮気をしたことによるから、妻が疑うのも無理はない。普段なら丁寧に対応するが、この日はお酒も回っていたことから面倒に思えた。だから適当に対応したのだが、この選択が悪く妻は怒り始めた。妻は最初は物を投げてきたが、次第にヒートアップしていき暴力を振るうようになってきた。あまりにもしつこいことから剛士も手を出してしまった。すると、妻は被害者面をし始めて、警察に通報した。

 剛士は警察に事情を説明したが、妻は夫から暴力を一方的に振るわれたと説明した。剛士はありのままに説明をしたが、そこまで妻を悪く言わなかったので、警察に剛士に対する容疑のみが高まり暴行で逮捕されたのだ。


2 男女平等


 神森は佐々木剛士の取り調べを実施していた。神森は最初、DVをする夫と聞いていたのでどんな輩なのかと思っていた。しかし、話をしてみると何とも物腰が柔らかい人物であった。

「佐々木さん、今回奥さんに暴力を振るった理由は何ですか。浮気を疑われただけじゃ暴力を振るう理由にはならないでしょ。」

 剛士は神森に昨晩の出来事について説明をした。

「いやいや、それはお互い様ですよ。佐々木さんだけ捕まるのはおかしいでしょ。なんでちゃんと説明しなかったんですか。」

「妻に対する私なりの贖罪なのです。きっかけは先ほども言いましたとおり私の浮気からなんです。そこから妻は変わってしまいました。冷静になってみるとやはり私が悪いのですよ。」

「…そうですか。確かに佐々木さんが暴力を振るったことには間違いありませんから、そのとおり対応させてもらいます。」

「お手数をおかけします。」


 取り調べを終えて、神森は宝塚に報告をした。

「この件ですが、奥さんも手を出してますよ。」

「そうか、どちらも暴行の容疑者だな。でも、夫の方は被害を出さないだろうな。」

「そうですね、自分だけが罰を受けるべきだと考えてるみたいです。二人の間には子供もいませんし、離婚となっても問題はないということみたいですよ。」

「二人の結婚は一体何だったのかってなってしまうな。まぁ、俺たちは家庭まで介入できないから、淡々と仕事をするしかないけどな。」


 神森は、宝塚に取り調べた状況を説明したが、実は報告していないことがあった。それは、佐々木志保が女性擁護団体と深い関わり合いを持つようになったことである。この団体は、女性に対する差別への訴えや、女性の社会進出をサポートする活動などを行なっている。志保は、当初知人の紹介でしかその存在を認識していなかったが、剛士の浮気が発覚した後、心の拠り所として団体と関わるようになった。剛士はこの話を何の気無しに話したが、神森はそうは捉えなかった。これが本当に剛士の浮気だけが原因でここまでの騒動になったのであれば、それは妥当である。しかし、その団体が志保を唆したのであれば、色んな人に迷惑をかけたツケを払ってもらわなければならない。神森の中のドス黒いものが溢れ出来ていた。

 

 山岡市内にある女性擁護団体の事務所では、代表の野川恵子と佐々木志保が話をしていた。

「この度のことは大変だったですね。でもこれで貴女を苦しめる者もいなくなった。」

「それなのですが、私はとんでもないことをしてしまいました。」

「何ですか。」

「私もあの人に暴力を振るっていたのに、警察に対して一方的にあの人から暴力を受けたと嘘をついてしまいました。私大丈夫でしょうか。」

「大丈夫よ、貴女が受けてきた心の傷に比べたら大した事はないのだから。それに相手も特に反論してないのでしょ。なら大丈夫。私が常日頃から言ってるでしょ、こういう時は女性の方が信用され易いって。」

「ならいいのですが。」

 今回の件を野川が計画していた訳ではない。突発的に起きたことだ。しかし、野川の男性に対する嫌悪が無意識に表に出て、周りを巻き込んでいき、日頃から離婚に向けた話や、暴力沙汰になった時の対処方法などを話すようになっていた。

「後は慰謝料を請求して、離婚すれば貴女も自由よ。私たちも全力でサポートしますね。」

「ありがとうございます。」

「より女性のための社会を目指して」


3 刺激の提供


 神森が佐々木志保について調べた結果、特定の女性擁護団体と接していることが判明した。そして、その団体をインターネットで検索したところ、権利意識の高い団体だということが分かった。過去にも女性に対する差別に関する訴訟を起こしている。サイト中の団体のコメント欄には男性に対する恨み節のような内容が記載されていた。そのアクの強さが神森のやる気を駆り立てた。


 次の日、神森は佐々木剛士の取り調べの際、志保との会話で最近よく登場する人物はいないか聞いてみた。

「野川さんという方の名前をよく聞きました。野川さんは女性として素晴らしいだとか、野川さんはこう言っていたとか。」

「誰ですか、野川さんって」

「ほら、昨日お話しした女性の団体の人ですよ。」

「奥さんはその人のことをとても信頼していたのですね。」

「私が裏切ってしまっているから、余計にでも野川さんのことを信頼していたみたいです。」

 神森は、この野川が代表の野川恵子だということに気づいた。そして、次なるターゲットが野川に定まった。

 だが、どのように野川に対して制裁を与えるか決めかねていた。理由としては、神森による処分は相応のものでなければならなかったからだ。要するに害悪に対して与える代償は同じくらいのものでなければならないということだ。この制約を自ら破ってしまったら、自分を支えている精神の柱が欠けてしまうと考えていたからだ。そして、その法則でいけば、野川の命は奪えないからだ。神森のゴツゴツした両腕は必殺であり、またそうでなければならない。処分しない相手は不得意とする。だからこそ、神森は悩んでいた。

「…じさん、刑事さん。大丈夫ですか。」

「あっ、すいません、考え込んでて。」

「お忙しいから疲れてらっしゃるのでしょう。それなのに私みたいな者のために煩わせてすいません。」

「いえいえ、…そうか。それでいきましょう。」

「えっ、なにがですか。」

「ごめんなさい、こちらのことでした。」

 神森が、丁寧な発言とは相容れないとてつもなく悪い顔をしていたところ、佐々木剛士の顔が引きつっていた。


 さらに2日後。野川が団体の事務所を出て帰宅しているところ、人通りが少ない路地でいきなり首を締めつけられるような感覚に襲われた。野川は助けを求めようとしたが周りには誰もおらず、思うように身体が動かないことから携帯電話機も使えなかった。みるみる意識が薄れていき、野川はそのまま気を失ってしまった。

 しばらく気を失っていたのだろうか、気がついたときには見たことない事務所のような場所のソファーの上で横になっていた。道路で気を失ったはずが屋内にいるし、それになにやら音楽などで騒がしい。

「あれ、気がつきましたか。」

 声の方向を見ると、若い男が部屋の中に入ってきていた。

「ここはどこですか。なんで私はここにいるのですか。」

「ここは俺の店ですよ。あなたが道で倒れていたから、俺がここまで運んできたんですよ。」

「それはどうも、でももう大丈夫です。ご迷惑をおかけしました。では、」

 さすがの野川も、見ず知らずの男がホスト風だったことから、あまり良い状況ではないと察知したのか、すぐに立ち去ろうとした。すると、男がそんな野川を優しくエスコートし始めた。

「出口はこちらです。さぁ案内しましょう。」

 男の以外な反応に野川は拍子抜けしてしまった。しかし、自分があまり美人ではないからだと納得して冷静さを保った。過去の経験から世の中の男はそんなものだとわかっていたし、期待はしていなかった。そしてこれらが憎悪となり、今日の野川を形成している。

「あっ、そうだ。うちの店ホストクラブなんで、よかったら少し飲み物を飲んで帰りませんか。もちろんお代はいただきませんから。」

「いえ、結構です。」

 野川は、初めからこれが目的かと悟った。どうせ最初はお金を取らなくても、人の弱みに漬け込んで通わせてお金を搾り取ろうとしているのだと思った。狙いがなければ、わざわざ女性を助けるなんて有り得ないと納得した。

 しかし、接客ルームに差し掛かったところ、急に妙な安心感を覚えた。そこに男が追い打ちをかけた。

「嫌だったら無理にとは言いません。うちの店も経営が厳しくて、少しでも口コミで評判が広がって欲しいだけなんです。どうでしょうか…」

「そういうことですか。なら、少しだけならいいですよ。」

「ありがとうございます。」


 最初は警戒していた野川も、酒と軽快なトークで次第に気分を良くしていた。それを少し離れた席で神森が見ていた。そこに先程の店長を名乗る男が近寄って行った。

「神森さん、これで良かったのですか。」

「上出来だよ。今回の代金は後で請求してくれ。」

「ありがとうございます。しっかし、なんか最初は頑なな感じでしたけど、いきなり緩くなりましたよね。どうしてだろ。」

「彼女も女性なんだよ。」

 もちろん、神森のゴツゴツした左腕で野川の精神を操作したからである。

「さて、今までガチガチに守ってきたものが崩れた今、独身50代の人がどこまで崩れていくかが見ものだな。」


4 強敵


 後日、佐々木剛士は慰謝料支払いの誓約と、離婚届への署名により妻との示談を成立させ、釈放となった。そして、その数日後の夕方、佐々木は神森のところへ挨拶に訪れてきた。

「佐々木さん、離婚して良かったんですか。」

「そうですね、いろいろ考えたんですが志保が望むことを優先しました。ただ、まだ一緒に暮らしているのですが…。」

「え、なんでですか。」

「いえ、なんか志保が慕っていた野川さんが、ホストにハマってしまったらしく…。その姿を見ていたら馬鹿らしくなったということで、団体とは関わらないようになったみたいなんですよ。」

 案の定、野川はホストにハマってくれたので、神森はその状況を団体内部で拡散した。

「それからは、昔のようにまでとはいきませんが少し良好な関係に戻った気がします。」

「そんな事があったのですね。このまま歪み合うよりは良いと思いますよ。」

「はい。今回のことは丸く収まりましたが、私は彼女を傷つけてしまったことを忘れないようにします。」

「そうですね、大切なことだと思います。」

 佐々木は神森に深々と頭を下げた後、山岡署を後にした。


 佐々木と別れた神森が刑事課に戻ると、宝塚警部補が手招きして、別室に来るよう誘っていた。何事かと思いながら別室に行くと、宝塚が小声で話しかけてきた。

「悪いな。ちょっと重要な話があって。」

「なんですか。」

「ここだけの話、うちの係が1名増員になる。」

「本当ですか、やったじゃぁないですか。」

「いや、よく聞け。新しく来るのはまだ警察官に成り立てだということだ。」

「え、なんでそんなんが来るんですか。確かに人事的にもおかしな時期ですし、やばいの押し付けられたんじゃないんですか。係長ぉ。」

「その逆だって。話では、かなりの優秀だとよ。」

「いやいや、優秀だけじゃこんなことにならないですよ。お偉いさんの子とかじゃないんですか。」

「それは正解。本部にいる幹部の娘さんらしい。ただ本当に優秀らしいぞ。」

「ふぅーん。眉唾ものですな、それは。」

「明日からの配属だけど、もうすぐ挨拶に来るみたいだから、とりあえず見てみなよ。」

 神森と宝塚が話を終えて、部屋に戻ると見慣れない女性が刑事課の部屋に来ていた。その姿を見た神森は息を飲んだ。女性の背後に鬼のような顔が浮かんでいたからだ。神森はその女性が同じ能力の持ち主だと悟った。

「はじめまして、美作綾です。」

 美作は挨拶をしながら、課にいる刑事たち一人一人の顔を確認している様子だった。

(こいつ、反応を見てやがる。)

 神森たちの能力は、発現させなければ同じ能力者でも気づかれることはない。だから、神森は人前では能力を使うことは極力さけている。しかし、美作は意図的に能力を開示している。何かの策か、確認かは分からないが、つまりはバレていても負けない自信があるということだ。そして、周りの評価が高いことからも只者ではないということだ。

(くそっ、厄介な奴が同じ部署に来るとは)

 次の瞬間、美作と目が合った。なるべく反応しないようにしたが、美作も何か気になった様子だった。その後、刑事課長が美作に宝塚を紹介して、続けて宝塚の係の者たちも順次挨拶を済ませた。そして、宝塚が美作に向けて話しかけた。

「分からないことは誰でもいいので聞いてくれ。ただし、美作も早く仕事をこなせれるよう努力してもらいたい。」

「はい、分かりました。」

「美作については、神森と一緒に動いてもらうから」

 神森は驚いた。寝耳に水だったからだ。

「係長、そういうことは前もって言ってもらわないと。」

「忘れてたよ。」

「でしょうね。」

 神森は、鬼のような顔を見ないように美作に話しかけた。

「今日は特にすることないから、身の回りの整理をしたら帰っていいから。明日からよろしく頼む。」

「はい、よろしくお願いします。」


 美作は最後まで能力を開示したままだったが、美作本人は終始笑顔であった。神森は気付かれないよう装うのに必死であった。

(こいつ、徹底的に試してくるな。)

 神森は対策を考えなければならなかった。このままでは以前のように動き回ることができない。かと言って、何もしていない美作を始末することもできない。始末するどころか逆に始末されるかもしれない。当面は様子を伺うしかないが、抑圧されればされるほど、神森の歪んだ正義は溢れ出そうになっていた。

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