第2話 公平な社会

1 斉藤一


 山岡市在住の私立高校二年である斉藤一(さいとうはじめ)は、幼少期に父親から虐待を受けて育ってきた。そして、母親も一を庇おうともせず、他の男のことばかりで放置されてきた。父親の暴力で育った一は、暴力や威圧で周りを支配できると悟り、中学生のころには自分を取り巻くグループを形成していた。

 先輩に目をつけられ絡まれたとしても、これを退ける力をつけた一だが、出る杭は打たれるが如く、仲間の裏切り、騙しなどでその勢いを潰された。しかし、そのころ知り合った半グレの男の知恵を借りて、自分に害を与えてきた人物たちに報復をしていった。そして、同級生などから恐れられる存在になっていった。ただし、半グレの男から知恵を借りた代償として、男の駒となって犯罪行為に加担することもあった。次第に荒んでいった一だが、本人は全てを悟ったかのように調子付いていった。

 その後、中学を卒業するにあたって、一は高校に通うつもりはなかったが、これまで子供に対して一切関心がなかった母親が妙な親心を出し、高校に通うよう勧めた。そんな母親に嫌気がさしながらも、三年間遊ぶことを考えて高校に通うことをきめた。高校でも幅を利かせて、周囲から恐れられる存在になっていった。二年にあがるころには、一のグループができあがり、彼女もできて順風満帆な学校生活を送っていた。

 しかし、ある日、彼女が他校の男子生徒と仲良くしていることが発覚した。怒り狂った一は、相手を痛めつけるためその男子生徒について調べた。すると、相手は三年生でボクシングを習っている男で、一にとって不利な状況であることがわかった。しかし、ここで引き下がれば周囲への示しがつかなくなってしまう。だから一は、相手に一対一の決闘を申し込み、いざとなれば自分の取巻きを使って勝つことを考えた。

 そして、決闘の当日、予想外のことが起きた。決闘の場所となる公園で待っていると、相手が数名引き連れてやってきたのだ。一の浅知恵は相手に見透かされていたのだ。やむなく一は一対一で決闘を始めたが、予想通り一方的にやられはじめた。このままやられてしまうと、彼女を失うどころか、自分の権力が失われかねない。しかし、この絶体絶命の危機は、思わぬ形で救われた。誰かが警察に通報したのだろうか、パトカーが2、3台来るほどの騒ぎになったのだ。窮地を脱した一は、安心したのも束の間、集まっていた者まとめて警察署へ任意同行するはめになった。


2 性悪説


 決闘罪で斉藤一たちの捜査をしていた生活安全課の課員は、主犯格の一の周辺を調べて驚いた。一が、かねてより把握していた斉藤正男(さいとうまさお)の息子だったのだ。斉藤正男は、暴行、傷害事件でよく警察に捕まっているトラブルを起こす常習犯で、今現在も山岡署では正男に対する暴行事件や窃盗事件を抱えている。さらに、一の話を聞いていくと、一の5つ下の弟に対しても暴力を振るっていることが判明した。


 山岡署の会議室で、刑事課である宝塚の係と、生活安全課の担当係が、斉藤正男に対する事件の話し合いをしていた。

「それでは、正男に対する暴行、窃盗事件の会議を始めます。」

 宝塚が話を切り出した。

「ですが、その前に一言。今回、珍しくうちの課長と生活安全課の課長が話をして、共同で事件捜査をすることになったのですが、この場に課長たちはいません。」

 その理由を知っていたが神森は訪ねた。

「なぜですか。」

「仲が悪いからです。だから敢えて呼びませんでした。会議よ内容は各々で後ほど報告しましょう。」

 すると、生活安全課の係長が謝辞を述べた。

「すいません、宝塚係長。うちの事件ですのに。」

「いえいえ、うちもなんとかしなければと思いつつ、殺人などで手が回ってなかったところです。こちらこそ申し訳ない。でもいい機会なので解決しましょう。」

 捜査の方針としては、まず決闘罪の事件を早期に解決し、その後、宝塚たちが正男を窃盗罪などで逮捕する。ちなみに、宝塚の係は泥棒の事件を担当しないが、担当の係が別事件を進めているため、暴行事件を抱えている宝塚の係が合わせてやることになった。そして、小学生の息子への虐待も事件化を視野に入れて進めていくというものだった。


 会議を終えて、生活安全課の巡査が部屋から出て行こうとしていた神森を呼び止めた。

「神森さん、まさか一緒にできるとは思いませんでしたね。」

「そうだな、よろしく頼む。ところで、決闘罪の方は順調なのか。」

「はい、後は決闘をしていた2人の話を取り調べを終えたら概ね終了です。」

「斉藤一は今回の件、反省しているのか。」

「口では反省の弁を述べてますが、あれはダメですね。全て解ったような口ぶりで、大人に対してもですが、社会を舐めてますよ。」

「やはり諸悪の根源を断たねば、負は連鎖していくんだな。」

「それ間違い無いですよ。」

「それでもダメなら性悪説が正しいのかもな。」

「あっ、神森さん。今ちょっと格好つけたっぽいですが、気持ち悪かったですよ。」

「うるせぇよ。まぁ、大変だろうが頑張ってな。」

「はい、ありがとうございます。」

 巡査はふざけていると解釈したが、神森は真剣に性悪説について考えていた。今まで色々事件に携わってきた中で失望してしまうこともあり、人は生まれながら悪なのではないかと思うようになったからだ。そして、この想いが神森のドロドロした心を一層濃いものにしていった。


3 母の優しさ


 一ヶ月後、一が家にいるとき警察が訪れて父親である斉藤正男を逮捕した。母親や弟は動揺していたが、一はむしろ望んでいたことが実現したので、内心喜んでいた。生活費も母親が工面していたので、父親としては何もしていないに等しく、存在しているだけ無駄だと思っていた。それが、今回の逮捕で無駄な人間がいなくなったのだ。

 一は上機嫌で遊びに出掛けて行った。あとは彼女に手を出した男を始末するだけだった。本来なら相手の方が有利であったが、あれから状況が変わっていた。相手の男は警察沙汰になり、周りにも喧嘩のことが知られてしまい、軽い謹慎状態になっている。もし、ここで問題を起こせば学校生活にも支障が出てしまうので、下手なことは出来ないはずである。相手のことは、取り巻きに調べさせているから行動パターンは把握している。あとは、卑怯な手を使ってでもボコボコにするだけだ。前回の借りを返さないといけない、そう思いながら相手のところへ向かった。


 夕方。一は、相手の男の帰宅経路にある路地で身を隠してじっと待っていた。都合がいいことに付近は住宅地にもかかわらず閑散としている。一は捕まることなども気にならなかった。それより、自分のプライドを傷付けられたことが何よりも許せなかった。

 しかし、いくら待っても相手の男は現れなかった。取り巻きたちが間違った報告をしたのかとも考えた。そうだとしても今更どうにもならない。次第にイライラし始めた。すると、後ろから声をかけられた。

「斉藤。」

 後ろを振り向くと、そこにはスーツ姿の見たこともない男性が立っていた。神森文政だ。しかし、一は神森と面と向かって話をしたことがないので、誰だかわからなかった。

「誰。」

「お前を助けにきた者だ。…そこで待っても相手の

男の子は現れないぞ。」

「何言ってんだ。それに現れないってのはどういうことだよ。」

「俺が細工をさせてもらったから、この場所を通らないようになっているんだ。」

「は、何してくれてんだ、てめぇ。」

「そんなことしても余計な罪を増やすだけだ。しかし、こうも衝動的で短絡的な人間が出来上がっているとはな。可哀想に。」

「喧嘩売ってるのか。」

 一は、神森に殴りかかろうとした。しかし、身体が動かなくなった。

「え、な…。」

「親という存在は大きいよな。分かるよ。俺には両親がいてくれる。でも、君にはカスみたいな両親しかいなくて、さらに虐待まで受けていたんだもんな。」

 一は、何が起きているのか分からず、動揺していた。

「君が悪いわけではない…かな。たぶん。悪かったのは周囲の環境だろうな。だから、救いようのない人間になってしまった。」

「なんだよこれ。答えろよ。」

「若者には未来があるが、君はもう決まっているようなものだ。君がなるのは十中八九クズだ。」

「おい、無視すんじゃねぇよ。」

 すると、一は首を締め付けられるような感覚になり、息苦しくなった。

「今、君の人生の総評をしているんだ。そして、クズ予備軍の君はしゃべるんじゃぁない。クズなんだから。」

 首を締め付けられる感覚がなくなったかと思うと、次にとても心地よい感覚に襲われた。

「本当の母の愛を知るべきだな君は。とりあえず話を聞け。」

 何が起きているのか全く分からなかったが、一はそれすらもどうでも良くなるほど、根拠のない安心に包まれていた。ふと、右肩を見ると、岩の様にゴツゴツした片腕が一を包み込んでいた。そして、下を見ると、肩を包み込んでいる腕とは比較にならないほど大きな手が下半身を握りしめていた。しかし、一はそれすらもどうでも良くなっていた。

「道を踏み外した若者に存在価値はあるんだ。例え、多くの若者は安易な方に流されてしまい、同じことを繰り返してしまったとしても、社会を構成する歯車の一つとして必要とされるんだ。しかし、たまにそれを凌駕するクズが現れる。それが君なんだよ。」

 一は言葉を返す力失っていた。そして神森は続けて喋った。

「つまり、ある程度のクズは一般人の自尊心を安定するために必要だが、君みたいに極めてクズは周りに与える害悪の方が多くて、むしろ存在価値はないんだ。」

 すると、一は何かに背中を押される感覚を覚え、逆らうことなく押される方向へ歩き出した。

「君の人生はついていなかった。それだけだ。」

 ゆっくりと神森もその後を追いながら喋った。

「現世から解き放ってあげよう。もし、来世があるならそれに期待してくれ。」


 一は、ゆっくり歩いていた。自分がどこに向かっているかもわからなかったが、それも気にならないほど心地の良い気分になっていた。住宅街を抜けて表通りを進み、雑居ビルに入った。古い建物なので誰でも自由に出入りができ、階段を登って十階建ての屋上まで行くことができた。そして、なんの躊躇もなく柵を越えて、そのまま下に落下した。神森はその様子を少し離れた場所から確認して、その場を後にした。


4 公平に裁く


 数日後、神森は、斉藤正男の取り調べを担当していた。息子が亡くなったというのに、相変わらず正男は他人事である。当然、捕まっている容疑についても否認をしている。口から出る言葉は「弁護士に喋るなと言われているから黙秘する。」という他人任せな受け答えだった。

「おい、にぃちゃん。早く釈放してくれよ。俺に取り調べしても無駄だぜ。」

「…」

「あれだろ、大した証拠もないんだろ。だから、同じことを何回も聞いてるんだろ。そうなんだろ、なあ。」

「…」

「ははは、図星か。いつ釈放なんだ。全く、これじゃぁよぉ、何を思って飛び降りたかわかんねぇ一も無駄死にってもんだなぁ。」

「息子さんからは相当嫌われていたんだな、あんたは。」

「は、何言ってんだ。」

「そりゃそうだよな、虐待する親が好きなわけないよな。」

「あぁ、どうでもいいや、そんなの。」

「息子さんは何度かあんたを殺そうとしてたんだ。知ってたか。」

 正男は驚いた顔をした。

「息子さんのスマートフォンの履歴から、親を殺したら罪が重くなるかや、成人男性の殺し方などをネット検索した記録が見つかった。危なかったな、息子さんが生きてたら殺されてたぞ。」

「あの野郎、恩を仇で返すようなこと考えやがって。」

「はたして、恨みをかっているのは息子さんだけなのかな。」

「どういう事だ。」

「あんた、最近他にも傷害事件を起こしたそうだな。」

「知らねぇな。」

「酒に酔って、若い男性をボコボコにしたらしいじゃないか。ただ、その事件は被害届が出ていないんだ。なぜだか分かるか。」

「だから、知らねぇって言ってるだろ。」

「その若い男性は花木組幹部の息子だとよ。」

「えっ」

 花木組は山岡市に拠点を置く極道である。正男も極道相手には気をつけていたが、酔っ払いすぎて注意を怠ってしまい、よりによって幹部の息子に手を出してしまったのだ。

「あんたさぁ、自分の弁護士が本当は誰に雇われてるか知ってんのか。」

「い、いや。」

「花木組の息がかかった弁護士だよ、この意味わかるか。」

 正男の顔が青ざめていくのが目に見えてわかった。

「ちょっと待ってくれよ。」

「何を待つんだよ。全てお前がやったことだろ。自分で自分のケツくらい拭けよ。よかったな、外に出たら待っててくれる人たちがいるから。」

「認める。全部認めるから、助けてくれよ。」

「何を助けるんだよ。釈放されればあんたの人権が守られるんだ。これ以上のことはないだろうよ。」

「た、助け…」

「さ、今日はこれで終わりだ。つぅか、もうやる意味ないよな。そう言ったよなぁ、さぁいとぉう、まぁさおぉ。ははは、はぁははははっ」

 神森は、大笑いしたかと思うと机を思いっきり叩いて言った。

「逃れると思うなよ、クズが」


 翌週、斉藤正男は処分保留で釈放された。斉藤正男は全ての犯罪を認めたが、勾留の必要がないと判断された。小学生の息子に対する虐待も、息子がこれを認めず、さらに虐待を裏付けるものもなかったのだ。しかし、この日を境に斉藤正男は姿を消した。

 

5 敵


 山岡市の中心部にある田島法律事務所で、代表の田島健弁護士と鬼村剛弁護士が話をしていた。話の内容は、某弁護士事務所の弁護士が担当した依頼主が失踪したという話だった。

「逃走したのでしょう、それは。」

「いや、逃走する必要がないんだ。その斉藤という男は起訴猶予になる見込みだったんだ。だから今更逃げてどうなることもないんだよ。」

「その人を担当したのはどこの方ですか。」

「ほら、例の花木組との噂がある…」

「あぁ、なるほど。そっち系ですか。」

「それにもう一つ話があって、その斉藤って男には息子がいたんだけど、これもまた自殺してしまったらしい。」

「どうしてですか」

「理由は分からないらしい。父親と同じくらい恨まれていたから、最初は殺されたと思われたみたいだが、警察も自殺で間違いないということで処理したみたいだ。」

「不可解な自殺ですか…、というか田島先生やけに詳しいですね。」

「実は、行きつけのスナックに斉藤の奥さんが働いていて、直接話を聞いたんだよ。」

「まったく、喋り過ぎの奥さんもどうかしてますね。…というか、一体なんの話ですか。」

「あぁ、話が脱線してしまったが、鬼村先生に担当してもらいたい案件があってね。」

「それはなんでしょうか。」

「強制性交等罪で逮捕された男性の弁護をお願いしたいんだ。」

「そういうことであればわかりました。」

「依頼主は男性の両親となる。おそらく甘やかされた坊ちゃんだろうが、よろしく頼むよ。勾留されているのは山岡署だから、さっそく向かってやってくれ。」


 鬼村が出発した後、事務員であり愛人の女性が田島に近寄り話しかけてきた。

「田島先生、さっきの依頼を鬼村先生にお願いしてもよろしかったのですか。」

「あぁ、問題ない。」

「いくら鬼村先生が優秀でも、高額な依頼料が頂けそうな重要な案件なのですよ。」

「そうだな、確かに君の言う通りミスが許されない案件だ。しかし、鬼村剛という男は、20代とは考えられないほどのやり手なんだ。彼が携わった案件は、揉めに揉めていたとしても、なぜか円満解決している。何かタネがあるのだろうが、それでも素晴らしい。それに私は君と一緒にいたいから、時間がかかりそうな面倒なものは鬼村先生にお願いするのだよ。」

「悪い人ですね。」


 鬼村は、自家用となる高級車を山岡署の駐車場に停めると、これもまた高級な背広を身にまとった姿で歩き始めた。周りが呆気に取られてしまうような、まるで勝者の凱旋かのような雰囲気を出していた。偶然、向こうからやってきた神森が鬼村を見て鼻で笑った。それでも、鬼村は気にも止めず面会に向かった。

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