第14話 聖騎士サオリと暗黒騎士アナフェマ

「これがマスターの欠片」

 ダイヤモンドみたいな透明な結晶で、キラキラと虹色に輝いている。触れるとヒンヤリ冷たいけれど、手の温もりが伝わると心地よい。

「良かった。これでマスターを助けられるね。」

「そうね、これで目的は達成よ。ユリィも触って良いかしら?」

「もちろん。はい、どうぞ」

 ユリィはマスターの欠片を受け取る。

「これは…表層心理の欠片」

「表層心理?」

「欠片はもう一つある。それは深層心理の欠片よ。」

「マスターの欠片は2つあるって事?」

「もちろん表層心理の欠片だけ持ち帰っても、マスターは助かるわ。ただ、それだけでは足りないの。心の奥底、無意識に大切にしている記憶が失われてしまう。」

 無意識に大切にしている記憶か…それはどんな記憶なんだろう?

「ねえ、深層心理の欠片は何処にあるの?」

 ユリィはマップを宙にマッピングする。

「最果ての地のさらに奥深く、ディープダンジョンにあるわ。そこにマスターが居る。貴女を待っているのよ。」

「そっか…」

「ただしデメリットがあるの」

「デメリットって?」

「もし、途中でゲームオーバーになると、現実世界に戻れなくなる。」

 不安は不吉な風となって、私の心を凍えさせる。

「それって…私が意識不明になるの?」


「サポートデスクよりお知らせします。ゲームクリアを確認しました。ログアウトポイントの座標をマップに送りましたのでご確認下さい。」

 どうしよう…このまま戻る方が安全だよね。でも…マスターが心の底から大切にしていた事って何だろう?それを無くすとどうなるんだろう?

「ワタシ…このまま進むよ。深層心理まで侵入して、マスターに会ってくる」

「後戻り出来ないよ。意識不明のマスターを想像できる?病気で苦しんで、可哀想なはずなのに…近づきたくないの。死体みたいで怖いから…もう誰にも会えないし、きっと、何も感じなくなる。怖くないの?」

 何も感じないってどういう事なんだろう。ゲームをしても楽しくない?ご飯も美味しくない?それに、ママにも百合ちゃんとも会えないのかな。

「怖いと思うよ。だけど、それはマスターだって同じだし、放ってなんかおけない。」

 私が心の奥底に秘めた事をユリィに伝えたくなった。

「私ね、パパが居ないの。だから、よけいに放っておけない。」

「沙織ちゃん…ワタシも最期まで一緒だからね」


 私達は最果ての地、さらに奥深くのディープダンジョンへ侵入した。心理の奥底は様々な機能が渦巻いている。脳内は無意識のバックグラウンド処理を常に実行している。だがそれは全体の1%に過ぎない。

 残りの99%は実行される時を待っている。 何らかのきっかけ(トリガー)によって爆発的に覚醒して人間を突き動かす。それは生まれながらに誰もが持っている。普段気付いてないだけで、その時を待ちわびている。


 運命の糸が複雑に絡み合うダンジョンを進んでいる。誰かとの繋がりが確かに存在している。心理のトリガーを踏まないように、慎重に侵入すると、急に拓けたスペースにたどり着いた。

 奥に玉座が置いてあり、誰か座っている。

「マスターなの?」

「そう、僕はこのゲームのマスター。サイバーDIVEの創造主だ。」

「ライブラリ照合」

名前 ※※※※※※

体力 ※※※※※※

属性 ※※※※※※

「ステータスが隠されてるわ」

「教えて上げるよ。僕の属性は虚空。闇と光が生まれる狭間に存在する、空っぽの心なんだ」

「沙織ちゃん、虚空に弱点属性は無いわ。どうする?」

「ユリィ、私は囚われのマスターを助けに来た。自分の殻に閉じこもってる。だから言いたいことを言ってやるの。現実で言えない事でも、ゲーム世界なら言えるよね。」


 その時、沙織が持つマスターの欠片が目映い光を放ち始める。光は天に届き、ラビットシノビは新たな装束に包まれる。

「あれは…伝承にある伝説の聖騎士」

 沙織は光の精霊の加護を受けてホーリーフォームに変身した。

 

イニシエの契り忘れし人の子よ

汝の祈りを信じて

新たな契りを約束しよう

聖騎士サオリ

清き泉に飛び込んで転生を果たせ

闇を打ち払え

光と共にあれ


「聖騎士サオリ」

それがワタシの名前


聖騎士サオリ

装備 ウルスラの盾

   ゲオルグランス(殉教の槍)

   バプティスムの鎧


「マスター…覚悟して」


キミこそ光

光が有るから闇が生まれる

キミの輝きこそ僕の存在意義

僕は闇に堕ちる


「暗黒騎士アナフェマ」

それがボクの名前


装備 ジューダス(裏切り者)の盾

   ハディースの槍

   アンチアガペーの鎧


「さあ光と闇の最終決戦だ」

暗黒騎士アナフェマが勝負を仕掛けてきた。

 

 キミは健気で優しい女の子。ウェディングドレスを着せて、永遠に連れ去りたい。沙織は僕だけの女の子。

 ずっとこの世界に居よう。ここはゲームの中、全てが僕の思い通りになる世界。

「聖騎士サオリを倒せば、ゲームオーバー、つまりキミは現実世界に戻れなくなる。現実を忘れて、ずっとゲーム世界に居るんだ。それはキミにとって理想の世界じゃないの?」

 マスターは真っ直ぐな気持ちを私にぶつけてくる。

「確かに、沙織はゲームが大好きだよ。現実を忘れさせてくれるし、理想の主人公になれる。だけどサイバーDIVEを旅して気付いたことがあるの。

 この世界に登場するのは全て自分が知ってる範囲の人や物だけで、自分が知らない、思いもよらない出来事は絶対起こらない。ワタシはまだまだ知りたい事が沢山ある。だからこの世界を脱出する。」

「そうか、沙織はこのゲームを通じて一回り成長したみたいだね。安心したよ、これで罪悪感なくキミを倒せる。最高の輝きを放つ瞬間を奪ってやる」


「暗黒騎士アナフェマ…なんて闇のオーラなの。」

 鎧や槍、盾の隙間から漆黒の霧が漂っている。兜の眼光は鮮血の如く、鋭く研ぎ澄まされていた。そもそも騎士の鎧は精霊の加護が無いと装備出来ない。

 もしかすると元は聖なる騎士だったのかもしれない。いつしか闇に取り込まれてしまったのだろうか?


「まずは僕から!」

 暗黒騎士スキル発動‥闇馬召喚!

「駆けよ!ジプシーバナー!」

 暗闇の狭間から出現した闇馬の軽快なギャロップ音が閉鎖された空間に響き渡る。闇馬がアナフェマの側に駆け寄ると、呼吸を合わせて暗黒騎士が飛び乗った。

 ジプシーバナーと呼ばれた闇馬は漆黒のたてがみとフサフサの尾をなびかせながら優雅に歩いている。顔と首に馬用の鎧を装備しており、鋼の蹄を落ち着きなく鳴らしている。

「ジプシーバナーの高鳴りを感じるかい?コイツも久しぶりの戦いを喜んでるよ。」

 馬は車みたいに静止する事はない。個体差はあるけど、止まっていても常に走る準備をしている。

 主人の命令に応えるためだ。

「いくぞ!聖騎士サオリ!」

 暗黒騎士の合図と同時にジプシーバナーは全速力で私に突っ込んで来た!

「回避が間に合わない…お願い!ウルスラの盾!」

 私は盾を構えて暗黒騎士の突進に備えた。トップスピードに到達すると同時に見上げる高さから、重い槍の一撃が振り下ろされる!

「ぐっ…」

 暗黒騎士の槍の一撃はウルスラの盾によって弾かれた。しかし、重い一撃は私の全身に鉛のように重くのしかかる。

「攻撃を受け続けるのは危険だね」

「ハディースの槍が弾かれるとはな!さすが聖処女ウルスラの盾だ!」

 暗黒騎士は私の真横を通り過ぎて、弧を描きながら私の方に向き直った。馬の体高から振り下ろされる物理攻撃は強力で、地上の私には不利となる。

「それなら私も!」

 聖騎士スキル発動…光馬召喚!

「駆けよ!リヒト=ユニコーン!」

 光の柱から出現した一回り小柄な光馬がわたしの側に駆け寄って来たので、背中に乗せて貰う事にした。

「キミがワタシの馬」

 優しい瞳が印象的なリヒト=ユニコーンは全身が灰色で聖騎士の馬として、似つかわしくない姿だった。だけど、その小さな一角は確かに聖騎士の馬としての資質を秘めている。

「初めまして、ワタシのお馬さん♪」

 私が頭を優しく撫でるとリヒト=ユニコーンは身震いで応えてくれる。

「さあ…これで互角に戦えるよ!」

 私はゲオルグランスを握り締めて、暗黒騎士へ突進し始めた!

「来るか!ならレースとしよう!」

 私は暗黒騎士アナフェマを追いかける形で並走しながら、攻撃しようと近付く。

「よし、今だ!」

 聖騎士の槍が暗黒騎士の鎧を捉えた。同時に奴も槍を構えて、お互いが攻めの態勢となる。

「暗黒騎士アナフェマの槍術を御覧あれ!」

 ハディースの槍が伸びてくる。槍は一本しかないはずなのに、槍の先端だけが無数に分裂して私に襲い掛かってきた!

「何!?」

 ゲオルグランスは幾つかの槍撃を弾いたけど、全部は防ぎきれず、バプティスム鎧の節々を掠めた。幸い致命傷になる攻撃は防いだが、何が起きたのか検討も付かない。

「アナフェマ!その槍は何なの!?」

「これは冥府の神から賜りし、ハディースの槍だ!この槍は血の生け贄を欲している。さあ聖騎士の鮮血を奪うぞ!」

 アナフェマは再びハディースの槍撃を繰り出してくる。今度は分裂しない、変わりに硬く研ぎ澄まされた槍がゴムのようにしなって、私の心臓を貫こうと伸びてくる。

「槍の軌道が読めない!」

 私は咄嗟に落馬する勢いで身体を投げ出して、ハディースの槍を回避した。リヒト=ユニコーンとは足の鐙だけで繋がっている。直ぐに上体を起こして、暗黒騎士アナフェマに向き直る。

「やるな。さすが選ばれし騎士だ!」

 槍の扱いは明らかに暗黒騎士が勝る。正面から戦っても勝てる見込みは無さそうだ。

「それなら、槍以外の攻撃で倒すよ!」

 私は並走するのを止めて暗黒騎士を背にして、逃げるように走り出した。

「ん?もう降参かい?逃げないで、もっと戦おうよ!」

 アナフェマは私を追い掛ける形で真後ろから迫ってくる。だいぶ距離が離れている…タイミングを合わせなきゃ!私は馬の速度を落とし始めて、ゆっくり走る。暗黒騎士アナフェマとの距離が縮まってきた。

「サオリ!もうすぐ追い付くぞ!」

 アナフェマはハディースの槍を構えて攻撃の姿勢をとる。

「今だ!喰らえ!」

 その時、リヒト=ユニコーンが急に前足を頭上高く持ち上げて、後ろ足のみで直角にターンした!

「サオリの姿が消えた!?」

 光馬の体高に隠れて、目標を見失ったハディースの槍はリヒト=ユニコーンの真横を掠めた。光馬の態勢が戻る間際に、暗黒騎士アナフェマの足元から声が聞こえる。

「サオリはこっちだよ!」

「何!?足元だと!?」

 声の方に振り向くと、聖騎士サオリが鐙から足を外して、光馬から飛び降りている。ゲオルグランスを地面に突き刺して、全身を限界まで捻りながら、棒高跳びの要領で槍をしならせて地面スレスレから飛び上がろうとしている!

「嘘だろ!」

 サオリの強烈な蹴りが暗黒騎士アナフェマに命中すると、ジプシーバナーから叩き落とされた。闇馬は主を失い、その場から走り去ってしまう。

 暗黒騎士アナフェマは宙に投げ出されると、激しく回転しながら地面を転がりしばらく意識を失った。聖騎士サオリは見事な蹴り技を披露すると、華麗に着地した。

「やった!凄いじゃん!」

 我ながらこんなアクロバットが出来るなんて、最高の気分だよ!

 喜びに浸る私の元にリヒト=ユニコーンが駆け寄って来る。

「ごめんね…無理させちゃって」

 キミの表情は分からないけど、疲れてるのが伝わってくるよ。

「しばらく休んで、ワタシを見守ってね」

 リヒト=ユニコーンを撫でながら、落ち着かせる。

「それで、マスターは何処かな?」

 暗黒騎士アナフェマが倒れている。これでゲームクリアなのかな?

 ワタシはマスターの無事を確かめるために、足取り軽く、マスターの元に駆け寄る。

 その時、死角から鋼のギャロップ音が聴こえてきた。

「えっ…」

 気が付くとワタシも宙に投げ出されて、激しく地面に叩き付けられた。

「あれは、ジプシーバナー?」

 どうしよう、衝突された時に頭を打ったのか、身体が上手く動かない。再度衝突したら、立ち上がれなくなる。不安な気持ちは直ぐに解消された。

「もしかして…噛んでる?」

 ジプシーバナーはマスターに駆け寄ると、顔を寄せている。すると突然、鎧や手を甘噛み始めたのだ。

「ガジガジ」

 いや、結構強く噛んでるけど痛くないのかな?馬にも愛情表現があるらしい。

 マスターとジプシーバナーは仲良しなのだろうか?しばらく噛むと諦めたのか、蹄を鳴らしながらマスターの周りを軽快に回っている。


 足音が兜に響き渡る。散歩を急かして、尻尾をフリフリさせる犬のような無邪気な音だ。

「お前が起こしてくれたのか」

 さすが暗黒騎士アナフェマの馬に選ばれた奴だ。最期まで闇を見せ付けてやろう。

「よし、もう一度戦うぞ」

 僕は相棒に跨がり周囲を見渡した。聖騎士サオリが遠くに見える。

「次で最期にするよ」


 マスターが無事なのは良かったけど、まだゲームは終わってないみたいだ。

 次こそ暗黒騎士アナフェマを倒す。

「これが最期の攻撃だよ」

 すると、リヒト=ユニコーンがワタシの側に駆け寄って来た。顔を近付けて頬すりしてくるので、ワタシも顔を撫でながら目を合わせた。

 やっぱり優しい瞳だ。吸い込まれるように抱き締めて、口付けをする。

 すると光馬リヒト=ユニコーンが白絹のような滑かなたてがみを震わせている。全身灰色の肌がまっさらな白に包まれ、ユニコーンの一角が黄金に輝きだした。

「これが、本当の姿」

 キミはうなずいた。ワタシも期待に応えるね。背中に跨がるとゆっくりと暗黒騎士アナフェマに向き合う。

 今度はゲオルグランスが自分の意思があるかのように震えている。物質にも魂が宿ると聞いたことがあるけど、ゲオルグランスにも存在するのかな?

 ゲオルグランスは自らワタシの手を離れて、その形状を変化させている。

 殉教の共鳴が金属音を奏で、一対の弓矢へと生まれ変わった。

「アルク=ステファノス」

 白銀に輝く気高き弓矢は聖騎士の願いに応えるべく、その身を繊細に研ぎ澄ましている。ゆっくりとワタシの手に収まる彼は自らが犠牲になっても、使命を果たすために最期まで折れる事は無いだろう。

 ワタシは静かに、アルク=ステファノスを構える。徐々に引き絞りながら、暗黒騎士アナフェマの心に狙いを定める。


「あれがアルク=ステファノスか」

 聖騎士のみが扱える伝説の弓矢。真っ直ぐ僕を捉えている。

「サオリが弓矢なら、アナフェマも弓矢で応えるべきだね」

 ハディースの槍にダークエナジーを込める。

 限界まで闇を溜め込んだ槍は無理矢理その形状を弓矢へと変える。冥府から絶叫が聞こえるが、暗黒騎士にはオルゴールのような癒しの音色だ。

 僕はハディースの弓矢を構える。威力を上げるために限界まで引き絞り、聖騎士サオリの心臓に狙いを定めた。

 矢を放つのは同時だ。

 アルク=ステファノスとハディースの矢が正面から衝突する。光矢と闇矢はお互いに一歩も引かず、ひたすら光と闇を交わらせながら激しく閃光を放つ。

「ハディースの矢よ!早く敵を貫け!敗北は許さないぞ!」

 暗黒騎士アナフェマの絶叫が響き渡る。

「大丈夫…キミを信じてるよ」

 聖騎士サオリは静かに祈りを捧げてる。

 ハディースの矢が暗黒騎士の絶叫に共鳴して、己の限界を超えるダークエナジーを爆発させる!猛烈な闇が光の矢を呑み込み、姿を消してしまった。

「勝ったぞ!聖騎士の敗北だ!」

 ダークエナジーは暴走して、周囲に拡散してフィールドを破壊し始めた。

「しまった…行き場を見失ってるのか」

 その時、溢れる闇から一本の矢が現れた。

「一点集中だと…」

 希望の軌跡を描きながら、微かな光が闇を振り払うと再びアルク=ステファノスが姿を表す!

「ハディース!なぜ敵を見失った!防御だ…ジューダスの盾!」

 暗黒騎士アナフェマは防御の構えをとる。アルク=ステファノスは激しい閃光を放ちながらジューダスの盾に命中する!

「ぐっ、眩しい!ジューダスの盾よ…その身を滅ぼしても主を守れ!」

 ジューダスの盾に、ほころびが生じる。漆黒の金属膜に光の亀裂が走ると、錆びた鉄のようにボロボロと崩れ落ちる。

「ふざけるな!お前も裏切るのか!」

 盾は粉々に砕けて、破片は闇に溶け込む。アルク=ステファノスは暗黒騎士アナフェマを貫いた。

「なぜだ…なぜ負けたんだ」

 暗黒騎士アナフェマは全ての装備と愛馬を失い、闇の加護を失ったマスターはその場に倒れこんだ。

「倒したの?」

 ワタシの腕の中にアルク=ステファノスが戻ってくる。私はそっと彼を撫でると、張り詰めた弦をしならせて合図をくれた。

「ありがとう…ゆっくり休んで」

 アルク=ステファノスは手から離れて残光へ姿を消した。


 かつての暗黒騎士アナフェマは後悔している。

「僕はサイバーDIVEの創造主なのに…何度やっても勝てない。何度でもやり直しても上手く行かない。僕は…俺は!」


何故闇を恐れる

まだこの世に未練があるのか

闇を受けれよ

嘆きに心を委ねよ

憎悪に心を委ねよ

常に偉大な闇騎士であれ

そうか、これこそ…たったひとつ残された、僕の希望。


「暗黒騎士アナフェマ…最終形態」

 マスターの嘆き、後悔、憎悪が再び心を覆い尽くす。深淵に秘めた傷跡から溢れるダークエナジーに呑み込まれる。


自分で傷付けたくせに


「何…あれ」

 マスターから溢れるヘドロのような暗闇が全身を覆い尽くすと、暗黒騎士アナフェマが再び姿を表した。

 しかも形状が違う。鎧の隙間から蛇のような触手が無数に沸き出して、蠢いている。表面がヘドロにまみれてヌラヌラ光って、生理的な嫌悪感を覚える。

 さらにデタラメで真っ赤に充血した眼球が全身のあちこちから私を覗き込んでいる。今にも鎧を突き破って、化け物が飛び出して来そうだ。

「嫌だよ…怖いよ」

「沙織ちゃーん!」

 この声は…!

「ユリィ!」

 ダラクノダテンシが片翼をなびかせて、私の隣に降り立った。

「沙織ちゃん!心配したんだよ!怪我は無い!?」

「うん…大丈夫だったよ。聖騎士の装備とリヒト=ユニコーンが私を助けてくれたから」

「そっか…君たちもありがとう」

 ユリィはバプティスムの鎧とリヒト=ユニコーンを撫でている。

「ユリィは今まで何処に居たの?」

「うん、戦いが始まると同時に暗黒騎士が結界を展開したみたいなの。結界の外から戦いの様子を見れたんだけど、中に入れなくて…でも暗黒騎士アナフェマが倒れた時に結界も消えたから、ここまで来れたんだよ。」

「そうだったんだ」

「大丈夫!これからは一緒に戦えるよ!」

「うん!ユリィ頼りにしてるね!」

「フフフ…待たせたわね!ダラクノダテンシの晴れ舞台よ!景気付けにこれをプレゼントするわ!パリッ!」

 何だろう…今パリパリで新鮮な食べ物の音が聞こえた。

「これは、海苔?」

 ユリィがホテルのバイキングで食べてた海苔だ。


「黒い食べ物は闇の魔力アップに効果的よ!聖騎士サオリも食べてね。パリッ!」

「ユリィ…私は聖騎士だから、闇の魔力アップは遠慮しとくよ」

「そう?磯の香りがして美味しいのに」

 いつものユリィで安心したよ…

「それで、あれが暗黒騎士アナフェマなの?」

「そう、私アイツが怖いよ」

「ふーん、なんで佃煮まみれなのかしら?おーい!そんなに佃煮が好きならユリィがお歳暮でプレゼントしてあげるわ!」

 そう言われると闇のヘドロが佃煮にしか見えなくなってきた。

「プッ…アハハ」

「ねっ♪怖くないでしょ♪」

「うん!!」

 やっぱりユリィには敵わないや!

「さあ!こんどはコンビネーションアタックだよ!」

 暗黒騎士アナフェマが再び勝負を仕掛けてきた!


 聖騎士サオリに堕落の堕天使が合流したようだが、俺は至って冷静だ。

 恐ろしい外見は敵を恐怖に落とすために有効である。だが、ユリィの登場でサオリの恐怖は消えてしまったようだ。

「優位は崩れたが、俺は闇を受け入れた。聖騎士サオリよ、俺達の出会いは定められし運命…どちらか滅ぶまで、終わらないぞ。」

 暗黒騎士アナフェマが天高く浮遊すると、奴を取り囲むように、時空の断裂が出現した。

「サオリ!暗黒騎士が平行時空への扉を開けてる…気をつけて!」

「平行時空…」


時空の彼方に問い掛ける

無数の可能性に埋もれし報われぬ魂よ

皆の嘆きを我が聞き入れよう

呪われた魂よ最果ての地に集い

聖なる騎士を討ち滅ぼせ


「ラグナロク」

 時空の断裂から出現した闇の魂が無数のツルギに変化して、聖騎士サオリとダラクノダテンシに襲いかかる。

「危ない!」

 私は直ぐにウルスラの盾を構えて防御した。ウルスラの盾は光の波動を展開して私達を包むように守っている。

「くっ…闇に呑み込まれそう!お願い…持ちこたえて。」

「サオリ!闇は無限に沸いてくる!闇が湧き出す因果を正さないと、暗黒騎士アナフェマは倒せない!」

「闇が湧き出す因果…そっか、ありがとう、ユリィ!」

 平行時空の扉は開かれてる…だったら!


時空の彼方に呼びかける

名も知らぬ希望の使者達よ

皆の素敵な言葉を聞かせて

夢が叶うたった一度のキラメキ

最果ての地へ誘う

聖なる騎士の祈りよ

どうかアナタに届いて

たった一人を救いたいから


「My Dear レリーフ」

 私達を取り囲むように、大地から光の魂が出現すると無数のツルギに変化して、次々と闇のツルギを打ち払う。

「互角のようだな」

 聖騎士サオリの姿を見て思う事がある。大多数の人間は負の感情に起因する行動をとる。アイツだけは落とせ、アイツだけは許すなと、ネガティブな動機に突き動かされ、世界を動かしている。

 負の感情、つまり闇に呑み込まれた人間が大多数なのだ。闇に呑まれて多数に隠れた方が懸命だし、現実に立ち向かう事が怖い。

 だが沙織は違う。そして聖騎士サオリの要請に応えて、名も知らぬ希望の使者達が闇に抗おうとしている。何故だ?

「マスター…貴方は知らないだけ。希望の使者はすぐ側に居る。薄々気付いてるでしょ?」

「…」


「沙織ちゃん!暗黒騎士の攻撃が弱まってるよ!」

「うん!ユリィ!」

 私達は固く手を繋ぐ。

「皆の輝きで闇を打ち払おう!」

 サオリとユリィ、リヒト=ユニコーン、名も無き希望の使者達が手を携えて、光の閃光を放つ!光の閃光は闇の魂を浄化して、平行時空の彼方まで希望の光を届けている。

「報われぬ魂が消滅しているのか…ふふ、どうせこの一瞬だけだ。また闇は訪れる。希望の光が新たな絶望を生む。」

「それでも、私達は何度でも輝いてみせる。何度でも立ち上がるんだ。」

 暗黒騎士アナフェマに希望の閃光が命中すると、元の人間に戻る。

「闇の因果が消えつつあるよ!暗黒騎士を倒したんだ!」

「やった…やったよ…ユリィ。皆もありがとう」

 希望の使者達は役目を終えると、それぞれの時空に還った。

 私達は深層心理の果てまで進んで、闇を打ち払ったのだ。



暗黒騎士よ

ワタシの愛する教え子よ

お前は惨めな敗北者

用済みだ

サイバーDIVEから消え去れ


あぁ…もう駄目だ

どうすれば良かった?

束の間の希望なんて直ぐに裏切られる

闇からも見放されてしまった

僕の心はまた空っぽだ

このまま消えよう

最後にせめて

あの娘を道連れにしよう


「そうだ、マスターは何処に居るの?」

 かつての暗黒騎士アナフェマであるマスターが倒れている。私はマスターに近寄る。

「沙織…なのか?」

「うん、マスターだよね?良かった、無事で」

「沙織…また会えて嬉しいよ。あぁ、聖騎士装備のままじゃ、顔が良く見えないんだ。装備を解除してくれないか?」

「そっか、忘れてた。」

 私は聖騎士の装備を解除して、マスターを見つめた。

「愛してるよ」

 あれ?マスターの細い手が、私の首筋に纏わりついて、蛇が羊を絞めるように、私を殺そうとしている。

「沙織ちゃん!止めてマスター!もうやめてよ!」

 ユリィの悲痛な叫びが響き渡る。

「ゲームの時間はもう終わりだよ。思い通りにならない世界なんて、消えちゃえ。一緒にこの世界から消えよう」


 視界がぼやけホワイトアウトする寸前に、ふと優しい表情をして沙織が囁く。

「思い通りにならなくて…悔しいことあるよね」


手が緩む


「本当は優しくて、敏感だから…傷付きやすいんだよね。」


手が緩む


「消えるなんて言わないで


外の世界に飛び出して


いっしょに冒険しようね


いつでも待ってるから


きっと皆で遊ぶと楽しいよ」


 そうか、このゲームは、サイバーDIVEは…僕が思い通りに出来る世界なんかじゃなくて。


 沙織ちゃん達に冒険してもらう為のゲームだったんだ。


 マスターの闇は霧となってサイバーDIVEに離散する。後には彼の深層心理の欠片が残された。

 こうして沙織とユリィはマスターの表層心理の欠片と深層心理の欠片の2つを手に入れる事が出来た。

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