151 地を天と仰ぐ塔
地を天と仰ぐ塔、という奇妙な名前のダンジョンがある。
このダンジョンがいつから存在しているのか、それを知っている者は誰もいない。齢500歳を超える火竜アグニアですら、物心がついた頃には既にあったと言っていた。
ただ、塔がどこにあるかは知っていた。
そこに、地の精霊核があることも。
俺とメルヴィはミトリリアの背に乗って中央山嶺を超えた。
本当は歩いて超えたかったが、残念ながらそんな時間的余裕が今はない。
「ふわぁ……一面真っ白ね!」
メルヴィがリリアの背中から山嶺を見下ろしてそう言った。
だから、北の外れのフロストバイトにでも行かない限り、雪というものを見る機会はなかなかない。
「スキー場でもあったらいいのにな」
俺は思わずつぶやいた。
「スキー? って何よ?」
メルヴィが聞いてくる。
「長い木の板を両足につけて、雪の斜面を滑るんだ。スピードが出て楽しいよ」
「……それ、降りるのはいいけど登るのが大変じゃない」
「リフトを作る必要があるな」
「リフト?」
「ワイヤーにゴンドラっていう乗り物をつけて、それを動力で引っ張るんだ。スキーで滑降したあとは、それに乗って山を登ってまた滑る」
「……エネルギーの無駄遣いな気がするんだけど」
メルヴィさん、それを言っちゃおしまいよ。
リリアが気持ちよさそうに上空の冷たい空気を切りながら【念話】で話しかけてくる。
『あら、人間は面倒なことをするのね。そんなことしなくても、上空まで飛び上がって滑空した方が速度が出るわ』
「そりゃおまえはなぁ……」
スキーは擬似的な落下を楽しむものでもある。
空が飛べないからこそ、人間は落ちることにも興味を持つ。
落ちたら死ぬ。しかし、だからこそ落ちてみたい。
ビルの屋上や歩道橋の上に立った時、飛び降りてみたいという衝動にかられたことはないだろうか。
『それは、竜だって同じよ。墜落したら死ぬこともあるわ。飛ぶというのは危険と裏腹な行為だけど、だからこそ、それを制することに喜びがあるのだ……って、お母様が言ってたわ』
「あの
そんな話をしているうちに、俺たちは山嶺を超え、今度は逆に、大きく落ち窪んだ地面の上にやってきた。
盆地とかいうレベルじゃない。蟻地獄をそのまま直径数十キロまで拡大したような大きさの巨大な凹みだ。
その凹みの奥底に、問題の地を天と仰ぐ塔がある。
『地を天と仰ぐ塔がいつからあるか、なんのためにあるか、どれだけ深いのか、奥には何があるのか。ほとんど、何も知られてないらしいわ。でも、地の精霊が集まってくる場所だから、精霊核があるとしたらここだって』
「ロマンだな」
地を天と仰ぐ塔の入口は、何の変哲もない石の階段だ。
地下への階段の先には、地底に向かって伸びる逆さの塔が埋まっているのだという。
入口のまわりには、古代ギリシャ風の石柱が立ち並んでいる。地面には、風化し、割れ目の入った石版が敷き詰められていた。
その周囲を見上げる。
周囲は、まさに蟻地獄の底から外側を見たような光景だ。
えんえんと続く砂の上り坂は、砂嵐にかすんでその果てる先がまったく見えない。
高校時代に読書感想文の課題図書で『砂の女』を読んだ。その中に出てくる、砂穴の底に住む女になったような気分だった。
それにしても、
「……なぁ、この砂が一斉に崩れて来たらどうするんだ?」
『この数百年そんなことはなかったはずだけど……まぁ、飛べば逃げられるでしょ』
「そりゃそうか」
生き埋めになっても、その直前に魔法を使えばなんとかする方法は幾通りかある。
「こうしててもしかたない。さっさと潜るか」
「そうね」
『おー!』
火竜形態だったリリアが人化するのを待って、俺たちは地の精霊核が眠るという地を天と仰ぐ塔に足を踏み入れた。
◆
黴臭い空気が鼻に入る。
まどろんでいたわたし――片瀬美凪はくしゃみをして目を覚ました。
わたしはベッドの上に横たわっていた。
朽ち果てた布の残骸らしきものが敷き詰められたものをベッドと呼んでいいならば、だが。
「サンシロー?」
わたしはつぶやいた。
四六時中一緒にいるせいで、何かあるとすぐ話しかける癖ができてしまっている。
サンシローは朝起きればその日のスケジュールや天候、おすすめのアクティビティなどを教えてくれる。各種センサーで、こちらの体調までお見通しだ。
『はい。美凪。私はここにいます。』
サンシローの機械音声は少し離れたところから聞こえた。
わたしは混乱した頭で、今いる空間を見回す。
煉瓦造りの壁。石版の敷き詰められた床。今いた寝床の他には、ごちゃごちゃとがらくたの置かれた大きな机と、壁の一面を埋め尽くす大きな本棚がある。
が、その本棚に並んでいるのは、いかつい革の背表紙だ。こんなの、博物館でしか見たことがない。
「……ここは?」
思わずつぶやくと、
『美凪、あなたは混乱しているかもしれません。しかし、私は一層ひどく混乱しています。何か、覚えていることはありませんか?』
サンシローが肩をすくめるジェスチャー付きでそう言った。
ええっと……。
「……そうだ。わたしはレティシアの陰謀を防いだ後、アッティエラに会ったんだ」
『例の、私には見えないという異世界の神ですね。』
「そう、そのアッティエラ。彼女はわたしとサンシローが世界の危機を救ったことに感銘を受けて、わたしを異世界マルクェクトに……ええっと、『再構成』させる、と言ってくれた」
『再構成、ですか。』
「〈
『インターネットに接続できることは、美凪が目を覚ます前に確認しています。ただ、私は困惑せざるをえませんでした。インターネットのタイムスタンプが、すべて直近の私の記憶から十年後のものになっていたからです。』
「ああ……じゃあ本当に、今は十年後なのね。ここはマルクェクトなのかしら?」
『不明ですが、サンシローのGPSが機能しないことを考えると、その仮説には一定の説得力があります。また……』
サンシローが言葉を区切る。
『美凪。あなたの姿は、私の直近の記憶より若返っているように思えます。』
サンシローの言葉に、わたしは自分の身体を見下ろした。
わたしは一糸まとわぬ裸だった。
「きゃっ!」
あわてて両腕で身体を隠す。
『大丈夫です。サンシローはプライヴァシーポリシーにもとづき、不適切な場面は自動で録画を停止するようにプログラムされています。』
「人の身体が不適切みたいに言わないでほしいんだけど……」
サンシローは付属物扱いだというのに、服の方はなぜ付属物にしてくれなかったのか。
いや、あの時サンシローの使った「神の杖」の攻撃で、わたしの服は身体もろとも跡形もなく消し飛んでいるはずだ。
そう考えればおかしくはないのか? いや、サンシローは復活してるけど……。
『美凪が不適切な格好をしていることは、今は重要なことではありません。美凪、私にはあなたが若返ったように見えるのですが、これは機械学習のエラーなのでしょうか?』
「だから人を不適切みたいに言わないでってば。でも、たしかにちょっと若返ってるような気がするわ。鏡でもあればいいんだけど……」
『すぐそこに、銅鏡があります。』
サンシローの示す方向には、たしかに大時代的な三面鏡があった。
開くと銅鏡になっている。
曇りが激しい上に、ところどころ錆びてしまっているのでわかりにくい。
「うーん……はっきりとはわからないけど、指定通り16歳に再構成されたみたいね」
肩が薄くなり、胸が少し小さくなり、肌のきめが細かくなった。
顔も、気持ち幼くなったような気がする。
それこそ、高校のアルバムに乗っていても違和感がないくらいだ。
女性としては、若返ったと喜ぶべきだろうか。
状況が突飛すぎて、とてもそんな気分にはなれなかった。
「それにしても……ここはどこなのかしら?」
『不明です。ただ、いくつかの観測事実から、サンシローはここは地下室であると判断しています。』
「魔法やスキルのある世界なのよね。そんなところに説明もなしに放り出されても困るわよ」
わたしがぶつぶつ言っていると、唐突に、部屋の真ん中に光の塊が現れた。
光はおおまかに人型をしている。
人型は徐々に形を整え、見覚えのある輪郭を造り出した。
それは、
「アッティエラ!」
『おー、やっと目覚めたな、ミナギ!』
半分透明なままそう言ってきたのは、マルクェクトの神だったというアッティエラだ。
見た目は10歳くらいの少女の姿をしている。ボサボサの長い赤髪と、真っ黒な眼帯。小さい身体には襟や袖に文字のようなものが書きつけられた白衣をまとい、その下には学ランのような黒い上着とチェックのプリーツスカートを身に着けている。前からそうだが、なぜか足だけは裸足だった。
アッティエラが言う。
『そっちは一瞬だっただろうが、こっちはもう十年も経っているのだ!』
「そうらしいわね。あなたはここにいるの? それとも、その姿は幻なの?」
『ああ、幻だ。あたしは地球にいるぞ! そして、今や地球の神様なのだ!』
「えっ?」
『地球には神がいないようだったからな! あたしが名乗りを上げたというわけだ! 大変な騒ぎになったぞ!』
「そ、それはそうでしょうね」
ちらりとサンシローを見る。
サンシローにアッティエラとのやりとりを説明する。
サンシローが言った。
『たしかに、インターネット上には当時からの情報があります。魔法を司る神アッティエラが突然現れ、人々は魔法を使えるようになったと。サンシローのコモンセンスベースではとても信じられる内容ではないのですが。コモンセンスベースのアップデートが必要ですね。』
『地球のあっちこっちで、シャーマンによる神権政治が始まってるのだ! それに伴い従来の宗教は軒並み壊滅し、宗教戦争に終止符が打たれたのだ!』
「そ、そうなんだ……」
どんなことになってるのよ、地球。
「そ、それより、ここはどこなの? わたしはどうしたらいいの? 異世界にいきなり放り出されても困るわ!」
『そうだろうと思って、こうして様子を見に来てやったのだ! 地球の神となったことであたしの力も大きくなり、アトラゼネクの目をかいくぐるくらい、わけなくできるようになったのだ! このままいけば、あたしがアトラゼネクを超えるのも時間の問題なのだ! あーっはっはっはぁっ!』
アッティエラが盛大に笑った。
「そ、そうなの……それより……」
『わかってるのだ! 質問には順番に答えるのだ! まず、ここはどこかだな!?』
「うん」
『今、ミナギのいる場所は、異世界マルクェクト、
「だ、ダンジョン?」
『うむ! 遠い遠い昔、人々に異端者として逐われたある魔導師が地を天と仰ぐ塔の奥に住み着いた! その魔導師が研究していた魔法こそ、〈
「異端者って……大丈夫なの?」
『大丈夫だ! エルフエレメンタリストという頭のかったーい連中が大陸の西部を、当時からずーっと治めているのだ! 精霊に明確な意志なんて存在しないのをいいことに、精霊の声を聞いた、精霊がそう言ってると言って他の連中を従えていった悪賢い連中なのだ! そいつらに異端者呼ばわりされたくらいだから、その魔導師は真っ当なやつだったのだ! 魔法に人生を捧げて惜しまない、あたしの使徒の中でも最優等といっていいやつなのだ!』
「は、はぁ……」
わたしは曖昧に相槌を打った。
『次に、ミナギはどうしたらいいか、だな! だが、これはあたしの答える問題じゃないぞ! ミナギがどうしたいかだ! あたしからミナギに注文することは何もないのだ! できることなら魔法を究めてほしいとは思うが、ミナギの適性や好みがそっちを向いてるかはまだわからないのだ!』
「わたしがどうしたいか、か」
『十年前は、好きな男に会いたいと言っていたな!? ならば、ひとまずはそれを目指せばいいんじゃないか!?』
「す、好きっていうか……」
憧れ、だろうか。
たしかに、加木さんがこの世界にいるというなら会ってみたい。
「でも、この世界は危険なんでしょう? 武道の嗜みもないわたしとロボットのサンシローじゃ生きていくだけでも大変そうだわ」
『そう言うだろうと思って、あたしはおまえにプレゼントをしておいたのだ!』
「プレゼント?」
『ゆっくり、まぶたを閉ざすのだ』
アッティエラの言葉に、わたしは目をつぶった。
アッティエラの言葉は、さすが魔法を司る神なだけあって、催眠術のようにするりと意識に入ってくる。
『右目の感覚に集中するのだ。何か、いつもと違う感じがあるはずなのだ』
言われてみると、たしかに右目の感覚が違う。
熱いような、冷たいような、不思議な感触だ。
『右目のまぶたの裏に、何か浮かんでこないか?』
浮かんできた。
それは、青白い糸のようなものだ。
それが手前から奥に向かって無数に枝分かれしつつ広がっていく。
『それは、ミナギが進みうる道を示しているのだ。ちょっとやりにくい感覚だと思うが、道に意識を集中してみるのだ』
わたしは言われるままに意識を集中しようとする。
が、けっこう難しい。
糸が、結んでは
感度の高すぎるマウスみたいに、狙いが一点に定まらない。
『焦っちゃダメなのだ。運命の糸はか細く繊細なのだ。ミナギが力んだだけでも、運命の糸は揺らぎ、その接続先すら変わってしまうのだ』
アッティエラのアドバイスが聞こえるが、
(そ、そんなことを言われても……)
わたしは試行錯誤しつつ、過去のことを思い出す。
(そうだ……格闘ゲーム)
優れたプレイヤーは、こちらのキャラクターがほんの1ピクセル動いただけで、あるいはほんの1フレーム動きを止めただけで、こちらの意図を推測し、対処法を変えてくる。
この糸も同じだ。わたしの意図がわずかでも伝わると、それに応じて形を変えてしまう。
わたしは、アケコンの方向レバーを手放した。
少なくとも、そのようなイメージをした。
『おおっ! 運命が一気に収束したのだ! すごいぞ、ミナギ! この選択予見の魔眼をここまで制御できたやつはいなかったのだ!』
視界が、急激にクリアになっていく。
運命を織りなす糸がはっきりと像を結ぶ。
像はイメージになり、イメージはテキストに変換された。
最後に残ったのは、
「せ、選択肢?」
それは、ゲームによくありがちな選択肢に似ていた。
『ミナギにはそう見えるのか! 普通なら、ぼんやりとでも未来の可能性を感じ取るのがいいところなのだ!』
アッティエラがはしゃいだ声を上げる。
わたしはいったん目を開く。
「つまり、この『選択予見の魔眼』でどうにかしろってことなのね?」
『そうなのだ! ただ、この魔眼は扱いがすこぶる難しいのだ! たとえばだ、敵の攻撃を右に避ければ左手を失い、左に避ければ右足を失う。そんな未来が見えてしまったら、並の人間はどちらも選べず命を失うことになるのだ!』
「なるほど……」
人間は、合理的にリスクリターンだけで物事を判断できるわけではない。
恐怖に縛られ、もっとも愚かな選択肢を選ぶしかなくなってしまうこともある。
『本当はもっと具体的な力を与えてやりたかったのだが、スキルはアトラゼネクのババアの管轄で、あたしには手が出せないのだ! あのごうつくババアめ! あたしがこっちの世界で力をつけたらいつかぎゃふんと言わせてやるのだ!』
「は、はぁ……でも、助かるわ。使い方次第では具体的な力より重要そうだもの」
『うむ! それがわかるとはさすがなのだ! うまく使って道を切り開いてほしいのだ! 他に質問がないなら、あたしはこれで失礼するのだ!』
「うん、大丈夫だけど……これから先、あなたと話すことはできるの?」
『それはなかなか難しいのだ! あたしを祀った祭壇に【祈祷】というスキルを使えば繋がるかもしれないが、世界を跨ぐから毎回繋がるとは思えないのだ!』
「【祈祷】ね。心に留めておくわ」
『うむ! それではたっしゃに暮らすのだ、英雄ミナギ・カタセよ!』
「英雄はやめてよ。そっちこそ元気でね」
その言葉を最後に、アッティエラの姿がかき消えた。
わたしはサンシローに今のやりとりを説明する。
『興味深いですね。まずはその選択予見の魔眼を使いこなすべきでしょう。』
「そうね。それで、なんとかしてこのダンジョン――地を天と仰ぐ塔とやらから脱出しないと」
わたしがうなずく。
そこで、ピー、と甲高い音がした。
サンシローからだ。
「さ、サンシロー?」
わたしの問いかけに、サンシローのシステム音声が答えた。
『Battery low.』
わたしの顔から血の気が引いた。
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