150 昏き森

「何……これ?」


 ボクは目の前に広がる光景におもわずつぶやく。


 ――昏き森は、思ったほど遠くはなかった。

 徒歩で十日、道無き道を進むと、見覚えのある森へとたどりついた。

 中央高原の端の端、中原を取り囲む外輪山の急峻な斜面のふもとに、うっそうとしげる森がある。


 遠い記憶を呼び覚ます光景に、ボクは複雑な想いで森を進んだ。

 その間、ボクの気持ちを察したアスラが、ボクの手を握ってくれていた。


 そうしてたどりついた昏き森の集落が――壊滅していた。


 巨木のうろや樹上に造られていた家々は例外なく壊され、その中には惨殺されたダークエルフたちが転がっている。


「これは……酷いね」

「うん……」


 つぶやいたボクに、アスラがうなずく。


「どういうことだろう? 襲撃してきた男の話では、若者が古老を排除して部族を乗っ取ったはずじゃ……」


 それが、どうして全滅しているのか。


 シエルさん(聖剣)が言った。


『ちょっと、わたしにも見せてもらえます?』


 シエルさんの言葉に、ボクは背中にしょった〈空間羽握スペースルーラー〉を抜いた。


『ふむ……下手人は、悪魔ではないでしょうか』

「悪魔?」

『ええ。悪魔は人の負の感情を喰らいます。遺体がいたずらに傷つけられているにもかかわらず、性的暴行を受けた形跡はありません。野盗ではないでしょう。そもそも、ここまでの死体損壊は野盗には不可能です。人間の力でこれほどのことをやるには相当な労力がいりますから』

「魔物の群れかもしれない」

『魔物が興奮のままに死体を損壊することはありますが、あえて生かしたままでなぶりものにすることはないのです。魔物なら死体を食べるはずですが、その形跡もありません』


 さすがに勇者と呼ばれていただけはあって、冷静な分析眼だった。


 ナイトも、アスラのリュックの中から這い出してくる。

 黒いゴシック風の服を着た妖精の姿をしているが、元はアスラの中の第二人格となっていたヴァンパイアと呼ばれる魔族の少女だ。今は始祖エルフであるアルフェシアさんによって、妖精の身体に意識を移し替えられている。

 ナイトが鼻をひくつかせて言った。


「すっごい血の匂い……」

「まさか、飲みたいって言うんじゃないよね?」

「まさか。ヴァンパイアが飲むのはあくまでも生き血よ。死体の血をすすったら、それはもうスカベンジャーだわ」


 そう言いながら、ナイトが鼻をひくひくと動かした。


「――あっちね」

「何が?」

「血の匂いが新鮮な方向よ。ちなみに、そこにある死体は、死んでから半日くらいってところかしら」

「半日!? ってことは……」

「ええ。襲撃者はまだ近くにいるかもしれないわね」


 ボクはナイトの指さした方へ歩き始める。

 襲撃者が怖い、とは思わない。

 警戒は要するが、今のボクたちに敵うわけがない。

 悪魔戦が得意なのはステフさん、アルフレッド義父さん、エドガー君の順番だが、ボクも聖剣〈空間羽握スペースルーラー〉の力を使えば十分に悪魔と戦える。


「もし悪魔が出てきたら、ボクが戦う。アスラは後方支援を」

「うん、わかったー」


 あどけなく見えても、アスラも相当な実戦経験を積んでいる。

 アスラの場合は、体内に取り込んだ魔物たちの経験まで吸収しているから、年齢に見合わない老練な戦い方をする。アビリティの引き出しが異常に多く、エドガー君同様、何をしてくるかわからない怖さがあった。

 だが、余剰次元に本体を隠している悪魔との戦いはまた別だ。あくまでもこの世の存在である魔物の力では、悪魔と戦うのは難しい。


 ボクたちは、ナイトの嗅覚を頼りに、集落の奥へと進んでいく。

 昏き森は、名前に反して明るい。木漏れ日のさす森の中の集落。普段ならピクニックにでも来たくなる場所だった。

 もちろん、木々が破壊され、惨殺死体が転がる今の森でピクニックなんてとてもできそうになかったが。


 昏き森を進んでいくと、ふっ、ふっ、とふいに暗くなる場所があることに気がついた。


『結界ですねー』


 とシエルさんが言う。

 結界を越える度に、木漏れ日のさす明るい森が、徐々に暗くなっていく。


『結界、全部破られちゃってますねー。力技です。悪魔だとしたら上級悪魔かもしれません』


 大陸全体で十数体しかいないと言われる上級悪魔。

 それが、昏き森を襲った?

 昏き森にはそれだけのものがあったのだろうか。

 いや、そんなの決まってる。


「くらやみ様か」


 ボクたちは洞窟の前にたどりついた。

 そこには鏡岩と言われる巨大な岩があった。

 儀式の際には大の男が十人も集まって開けていた。

 巫女が中に入ると、その扉を外から閉める。

 洞窟の中はくらやみに閉ざされる。

 出ようと思っても鏡岩を子どもの力で動かせるわけがない。

 ボクは泣き叫んだ。

 爪が剥がれるまで鏡岩に張り付いた。

 そこまでやっても、誰も助けてくれなかった。

 やがて抵抗をあきらめる。

 闇を受け入れる。

 自分の手すら見えない闇の中で、ボクは感覚を失っていく。

 そのうちに、ボクという人間の輪郭がわからなくなる。

 闇と交じり合い、どこまでがボクで、どこからが闇かがわからなくなる。


 修行ではそこまでだった。


 しかし、どうやら「その先」があるようでもあった。


 くらやみと一体になり、「くらやみ様」をその身に降ろす。

 巫女は特殊な訓練を受けているから、自分の身に降ろしたくらやみ様を鎮めることができる。


(でも、それだけじゃない)


 たまたま、大人たちの会話を聞いてしまったことがある。


 万一巫女が制御をしくじるようなことがあったとしても、周囲は闇しかない空洞だ。くらやみ様といえど、巫女に宿っていてはそれ以上どうすることもできないという。

 そのうちに、巫女が狂い死ぬか飢え死にする。くらやみ様は依代を失い、この世に顕現することができなくなる。


 鎮め役にして、万が一の時の人身御供ひとみごくう

 それが、《昏き森の巫女》たるボクの役割だったのだ。


「……おねーちゃん、大丈夫?」


 アスラがボクの手を握って聞いてくる。


「あ、うん……大丈夫」


 ボクは過去の幻想を振り切り、洞窟を見る。


 鏡岩が砕け散っていた。


 その奥には闇が広がっている。


「あそこには……絶対に光を持ち込んではいけないと言われていた。だから、あの中がどうなってるかは誰にもわからない。ボクは、手探りで広さくらいはわかってたけど……」


 その禁を守るべきか、一瞬迷った。

 首を振る。


ライト


 ボクは魔法で明かりを生み出し、洞窟の中へと送り込む。


 驚くほどに何の変哲もない、ただの洞窟が、そこにはあった。


 そのことに落胆とも安堵ともつかない気持ちが湧いてくる。


「さあ、行こう」


 ボクの言葉で、ボクたち一行は洞窟へ足を踏み入れる。



 洞窟は、奥行きで数百メテルといったところだろうか。

 すぐに、奥へとたどりついた。

 奥は広いスペースになっていた。

 大きな鍾乳石の垂れ下がる高さ4メテルほどの空間だ。


 そこに、大きな祭壇がある。


 いや、あったというべきか。


 祭壇は、めちゃくちゃに壊されていた。


「くらやみ様が……奪われた?」


 そもそも、ボクは本当にそんなものがいるのかどうかすら、怪しいと思っていた。

 でも、こうして集落が襲われた以上、ここには何か重大なものがあったと思うしかない。


「何も感じないよー?」

『わたしも、そこに何の気配も感じませんね』

「同じくよ」


 アスラ、シエルさん、ナイトが口々に言った。


 ボクは、祭壇を注意深く調べてみる。

 瓦礫をどかしていくと、一冊の古びた本を見つけた。

 いや、本というほどのものでもない。十数ページほどの紙の束だ。


 その紙に目を落として驚く。


「……読めないよ」


 紙に書かれていたのは、マルクェクト共通語ではなかったのだ。


『見せてください』


 シエルさんが言う。

 ボクは聖剣〈空間羽握スペースルーラー〉を紙にかざす。


『ああ、これは古代魔法文字ですよ。大昔に使われていた魔法文字です。エドガー君が一時研究してたでしょ?』


 たしかにエドガー君は、古代魔法文字の研究もしていた。

 なんでも、現代の文字より古代魔法文字のほうが魔法の威力が高いらしい。

 だが、形が複雑なために扱いづらく、またエドガー君は膨大なMPで力技ができるため、最近はあまり使ってないと言っていた。


「読めるんですか、師匠?」


 ボクはシエルさんのことを師匠と呼んでいる。

 聖剣の扱いや各種スキルについて教えてもらっているからだ。

 実際、舌を巻く。

 これが、勇者と呼ばれた女性の技なのかと。


 それはともかく、シエルさんが古代魔法文字を読めるなら話は早い。


『ええっと……くらやみ……とは……魔城……ダッスル、ヴァイン……の、心臓……に当たる……もの』


 シエルさんがつっかえつっかえ読み上げる。


『魔城……は……生ける城……それ自体が……巨大な……魔物……その力は……星すらも……打ち砕く』


 シエルさんの声が洞窟に響く。


『その……心臓……もまた……生きている……虚無から……力を……生み出す……』


 ボクは無言でページをめくる。


『その、力……を……糧、として……魔城ダッスルヴァイン、は……動き……成長する……その力は……、……なんですって!』

「ど、どうしたんですか?」

『ああ、ごめんなさい、驚いてしまって……ここにはこうあります。『魔城ダッスルヴァインは生ける城であり、心臓の生み出す闇を食らって成長する。その力は最初こそ微々たるものだが、やがては悪神モヌゴェヌェスを超えるほどの力を獲得すると言われている』』

「あ、悪神モヌゴェヌェスを超える力!?」


 善神たちと戦い続ける悪神モヌゴェヌェス。

 その力は、この世界でも最強だといえる。

 善神が束になってようやく悪神を押さえ込めているのが現状なのだから。


『悪神モヌゴェヌェスは、その力を恐れ、この場所にダッスルヴァインの心臓を封印していた。それがくらやみ様の正体ってことみたいですねー』


 シエルさんの言葉に絶句する。


 この部族が、悪神の勢力だった。それはまぁ、納得がいく部分もある。

 しかし、悪神が自分を超えかねないと危惧したものがここに封印されていたとは。


「た、大変だ!」

『まぁ、事実なら、ですけどねー』


 シエルさんがのんきに言う。


「シエルさんは事実じゃないと?」

『いえ、事実の可能性が、残念ながら高いですね。ただ……』

「ただ?」

『誰が、この部族を襲ったのでしょうか? この手記の内容が事実なら、ここを悪神側の勢力が襲うはずがありません』

「あ……」


 それは、シエルさんの言う通りだ。


『先日の襲撃者のリーダーも、誰かにそそのかされたようなことを口にしかけていました。それは一体誰だったのか……』

「どこかの国家かしら?」


 ナイトが言う。


「連邦ではないことはたしかよね。中原帝国も可能性は低いでしょう。不平分子が再起を図って魔城ダッスルヴァインとやらを探し当てた……? うーん、ありそうもないように思うのだけれど」

「昏き森は閉鎖的な一族だよ。くらやみ様の情報がそう簡単に手に入るとは思えないな」


 ナイトの言葉にボクが反論する。


『ここを襲撃したのが、悪魔だということもお忘れなく。悪魔を飼い慣らしている国や組織があるとは、寡聞にして知りませんねー』

「ボクらの知らない誰か、あるいは何かが動いてるってことか……」


 ボクは深く考えこむ。

 が、これといった答えは見つからない。


「つまりー、どういうことー?」


 アスラが首を傾げて聞いてくる。


「ああ、ごめん。つまりは……そうだね。なんとしてもエドガー君をひっ捕らえなくちゃならなくなったってことだね」


 この事件、はっきり言ってボクたちの手には余る。

 世界の存亡みたいな大きな問題は、女神様ともつながりのあるエドガー君抜きではとても対処できるとは思えない。


「……おにーちゃん、どこ行っちゃったんだろう」

「……それなんだよねぇ」


 アスラの言葉にため息をつく。

 ボクらが寄り道をしている間に、エドガー君はもう中央山嶺を超えているに違いない。

 そうしたらその先は、何があるのかもわかっていない未開の大陸西部なのだ。


「恨むよ、エドガー君」


 ボクのつぶやきが、洞窟に殷々とこだました。

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