143 絶対に捕まってはいけない家出行

「で、どこに行くの?」

「考えてない」

「は?」

「ノープラン」

「マジ?」

「マジ」


 はぁ、とメルヴィがため息をついた。

 が、気を取り直して言う。


「ま、いいでしょう」

「いいの?」

「そういう旅もいいものだわ」

「うん、そういう旅がしてみたかったんだ」


 せっかく異世界に転生したというのに、俺はこれまで旅らしい旅をしていない。

 最初は赤ん坊だったこともあって両親と一緒だったし、カラスの塒に行ったのは誘拐されたせいだ。その後はモノカンヌスで育った。北伐の時にソノラートに出向いたりはしたけどそれは必要だったからだ。その後大断崖グランドクリフを超えて中央高原に入ったのも悪神の使徒を倒すためだった。

 無目的な観光旅行というものをやっていない。せっかくの異世界、地球にはないものがたくさんある世界なのだから観光しないともったいないだろう。


「そういえば、女神様フォンは持ってきたの?」


 メルヴィが聞いてきたのは、10年前、切り裂き魔リッパー事件の後に女神様からご褒美として授けられた女神様と通話できるスマホ(のような何か)のことだ。

 一日に15分までという制限はあるが、それ以前は成長眠の時にしか女神様と話せなかった。輪廻神殿の祭壇で【祈祷】する手もあるが、ゆく先々にかならず神殿があるとも限らない。かなり重宝するアイテムだと言えた。


「一応、な。でも、当面は使う気はない。向こうからエマージェンシーがあったらしょうがないけど、それまでは我慢だ」

「じゃ、当面はふたりきりってわけね」


 メルヴィがそう言って笑う。

 そのやわらかい笑顔にどきっとする。


「……メルヴィが嫁候補にできないのが残念だよ」

「な、ななな、何を言ってるのよ、もう!」


 メルヴィが顔を赤くしてそっぽを向く。


「人間と妖精だから嫁とはいかないけど、これからも頼むぜ、相棒」

「あ、相棒ね……うん、こちらこそよ!」


 しばし会話が途切れる。

 会話しながら、俺たちは裏街道をノンストップでひた走っていた。メルヴィは疲れ知らずのマラソンを続ける俺の肩に掴まっている。


「行き先はともかく、当面は追っ手に捕まらないことが優先だ」

「追っ手って」


 もちろん、エレミアとアスラのことだ。

 エレミアの持つクラス〈闇隠れの巫女〉は追跡と暗殺に特化したクラスだ。物理的・魔法的を問わず、ごくわずかな痕跡から対象を見つけ出すすべに富んでいる。実際、エレミアは連邦でも帝国でも敵側の間諜を見破り片っ端から捕らえていた。

 一方、アスラは〈万魔庫〉というクラスを持つ。これは取り込んだ魔物の能力を自分で行使することができるという能力だ(一部の魔物を身体の中から「取り出す」こともできる)。アスラは地獄狼ヘルハウンドなど犬系の魔物も取り込んでいるから、臭跡からこちらを追跡することができる。


「エレミア対策で、メルヴィに会う前に正反対の門から通行証を見せて出て、その後一度街に戻って、目撃者を作ってから別の箇所の壁を乗り越えた。その後さらに街に戻って、こんどこそ誰にも見つからないようにあそこに行ったらメルヴィがいたんだ」

「そ、そこまでやってたの」

「通行証が使われてないかは真っ先に調べられるはずだ。それで引っかかればいいけどエレミアは甘くない。だから目撃されてから近くの壁を乗り越えた。壁には鉤縄の跡をエレミアにしか気づけない微細なレベルで残してきた。それに引っかかってくれることを祈ろう」


 それすら看破されそうで怖いので、こうして道を急いでいるのだ。


「アスラ対策としては、通行証で出た後、近くの小川に飛び込んで少し上流まで行ってから別方向に痕跡を残してきた。臭跡は小川の前で途切れるはずだし、小川を辿られてもミスリードに引っかかる」

「さっきも川を通ってたわね」

「うん、すべての策を見破られた場合に備えて、念の為にね」

「森の木が茂って道に覆いかぶさっている裏道を選んだのも、アスラに上空から発見されないためか」

「そういうこと。一応、《ミラージュ》の魔法で上側を偽装してるけど、野生の勘で気づかれるおそれもあるからな」

「とんでもないものから逃げてるわねー」

「まったくだ」

「……捕まったら大変なことになるでしょうね」

「……い、言わないでくれ」


 怒り心頭のエレミアとアスラに捕まったらどうなることか。

 とくにエレミアなんて、「エドガー君を殺してボクも死ぬ!」くらいのことは言いかねない。


「でも、一応目指しているものはあるのよね?」

「ああ、そりゃもちろん」


 俺は〈マギ・アデプト〉の力でメルヴィの目の前に光の地図を表示する。


「今、俺たちは西に向かっている」

「西というと……ええっと、ミスランディアの西だから、フォーズって街?」

「そうだけど、フォーズには立ち寄らない。足跡を残したくないからな」

「じゃあ、その次は、フォーズの南西のバーゼットって村かしら?」

「そこもパスだ。人口の少ない村だから、村人は俺たちのことをはっきり覚えてしまうだろう。エレミアがしらみつぶしで目撃証言を集めたら引っかかる」

「じゃあどこよ?」

「フォーズ、バーゼットは通過して、バーゼットの北東、フォーズの西にあるクロイツの街に立ち寄る。ここは大きな街だから観光もできるし、旅の準備もできるだろう」

「なるほど?」

「クロイツの西は、もう中央山嶺の裾野にさしかかっている。俺たちはこの中央山嶺に挑戦する」

「山登りね!」


 竜蛇舌大陸ミドガルズタンは南北に長い半島状の大陸だ。その真中に背骨のように走るのが中央山嶺。標高は三角測量による推定で場所によっては7千メテルを超えているという。


「中央山嶺にはゴブリン、オークなんかがたくさん住んでるらしいが、その中にドワーフの隠れ集落なんかもあるらしい。竜を見た、なんて証言もある」

「へええ。面白そう!」

「隠れ集落や竜が見つかるかどうかはともかく、高いところから中原を見下ろしてみたいと思ったんだ。前世で富士山っていう高い山に登ったことがあるんだが、あそこから見た風景はすごかったぞ」

「楽しみね!」


 メルヴィが待ちきれないというようにくるくると飛んだ。


「でも、何より楽しみなのはその先だ」

「その先?」

「ああ。竜蛇舌大陸ミドガルズタンの西側さ」


 竜蛇舌大陸ミドガルズタンの東側(中央山嶺の東側)は、南は南ミドガルド連邦、北は中原帝国の版図となった。つまり、東側は基本的に人間たちの世界だということだ。

 対して西側は人間にとっては未開の地となっている。


「エルフの住む森だとか、灼熱大陸から移住してきたリザードマンだとか、竜人だとか、西側については噂以上の情報がない。ひょっとしたら、マルクェクト共通語すら通じない可能性があるかもな」

「ほへええ……」


 メルヴィが本気で感心した声を漏らす。


「ま、その辺の情報も、ひょっとしたらクロイツで手に入るかもしれない。少ないながらも中央山嶺を越えて東西を行き来する人間もいないわけではないらしいから。クロイツにはシェルパもいるらしいし」

「しぇるぱ?」

「山岳ガイド……っていうのかな。山に詳しくて、道案内をしてくれる人のこと」



 ◇


 一方、その頃ミスランディア・連邦大使館では。


「どどど、どうして坊ちゃまがぁぁぁっ!?」


 ステフが半狂乱で叫び、


「おにーちゃん、わたしを置いてっちゃったの……?」


 アスラが悲しそうにうつむき、


「え。エドガー君が? う、嘘だよね……」


 エレミアが茫然自失で固まっていた。


「あっちゃー追い詰めすぎたかねぇ」


 と比較的冷静につぶやくのは聖剣〈空間羽握スペースルーラー〉。ではなくそこに宿る勇者アルシェラート(シエル)。


「ま、逃げちゃったものはしょうがないでしょ。追いかけるか、帰ってくるまで放っておくかね」


 これまた冷静に、ナイト(小悪魔系妖精ルック)が言う。


「そ、そうだ! さすがのエドガー君でもまだそこまで遠くに行ってるはずがない! 追っかけて確実に仕留める! ……じゃなかった、捕まえる!」


 エレミアがぐっと拳を握って宣言する。


「捕まえてどうするのよ? 今の状況が嫌で逃げたんでしょ?」


 ナイトが言うとエレミアはかくんと首を折る。


「うう……そうなんだよねぇ」

「もうミスランディアにも連邦にも帰らない、俺はひとりで生きていくって言い出したらどうする?」

「そ、そんな……」


 エレミアの顔が蒼白になる。


「そ、そんなことになるくらいなら、エドガー君を殺してボクも死にます!」

「うわぁ」

「うわぁ」

「うわぁ」

「えー、おにーちゃんもおねーちゃんも死んじゃダメェ!」


 ステフ、シエル、ナイトがドン引きし、アスラだけがまっとうなことを言った。


「とにかく、追跡しなくちゃ。アスラちゃん、行くよ!」

「おう~! おにーちゃんとの鬼ごっこ楽しそう!」


 アスラのボケも耳に入らない様子で、エレミアは執務室の窓から飛び出していった。



 ◇


「――くしゅん!」

「何よ、風邪? 【治癒魔法】で治せばいいじゃない?」

「いや、きっと花粉症かなんかだろう」


 この世界の魔法でも花粉症は治せない。ミスランディアの東、中央山嶺の裾野には杉の密生林があるらしく、西風に乗って花粉がミスランディアにまでやってくる。花粉症はミスランディアの風土病みたいなものだ。俺もここに赴任してから発症した。


「それより、ずっと森の中ねぇ」

「しょうがないだろ、アスラが上空を哨戒していたら平野を行くわけにはいかない」

「平野というか、この辺は段丘地帯よね。まぁまぁ身を隠しやすいから助かるわ」


 中央高原は、言うほどまっ平らな地形ではない。

 よく例えとして持ちだされるのは「皺の寄ったテーブルクロス」というのものだ。実際、中原には縦横無尽に標高数百メートルの山々が走っていて、それ以外の部分も段丘が多い。その陰に兵を隠すことができ、かつ行軍に差し障るほど山が険しくないこともあって、これらの段丘をいかにクリアリングしていくかが中原における戦争の重要な技術となっている。


 森の中でも、起伏が多いことに変わりはない。

 起伏の谷間には小川が流れていることもある。

 山から流れてくる清水で喉を潤しながら森の中を進む。

 メルヴィは妖精らしく森が好きだという。森の動物や蝶とたわむれながら鼻歌を歌っている。


「そろそろ、クロイツが見えてくる頃だと思うんだが……」


 つぶやきながら、目の前の小高い段丘に登る。

 段丘の上からはかなり遠くまでが見渡せた。

 〈スピリチュアルエルダー〉によって強化された視力で見ると、うねうねとモーグルのコブ斜面のように連なる段丘地帯の向こうに、かろうじて街を覆う城壁を見ることができた。

 素で目のいいメルヴィも、俺の横に並んで同じ光景を見ている。

 時刻は夕方。西から差し込む夕日が段丘に橙と藍色の複雑なひだを描き出している。

 俺たちはしばしその光景に見とれた。


「さ、日が暮れるまでに街に入らないと面倒だ」


 俺とメルヴィは速度を上げて段丘を抜けていく。




「――ふむ。冒険者か。何っ! え、Sランクだと!?」


 俺の冒険者カードを見た門衛が驚く。

 中央高原に乗り込むときに、ヴィストガルド1世の好意でギルドランクをSに上げてもらっていた。ギルドランクは南でも北でも共通だ。その方が行動しやすいということだったが、悪目立ちしてしまうのは玉に瑕だな。


「いいだろ?」

「あ、ああ……文句などあるはずもない。ようこそ、クロイツへ。……しかし、あんたらも間が悪いな」

「え? 何でだ?」

「聞いてないのか? 中央山嶺、竜ヶ峰に近いあたりの山が噴火したらしい。噴煙はさほどでもないが、溶岩が大量に溢れだしてきていて、今は中央山嶺への立ち入りが全面禁止になってるんだ」

「……そいつは困ったな」

「おおかた、山嶺の魔物を効率よく狩って荒稼ぎしようと思ってたんだろうが、当てが外れたな」

「そうか……まぁ、いい。観光を兼ねた旅なんだ。火山見学も悪くない」

「おいおい、立入禁止だって言っただろ? ……いや、待てよ? あんたがSランクだって言うなら、Aランク以上へのランク指定依頼が受けられるかもしれないな」

「ランク指定依頼ね。火山に立ち入って状況を調査してこいってことか」

「察しが良いな。その通りだ。火口付近に生息するフレイムロックギガントみたいな厄介な魔物がどうしてるかも気になるからな」

「なるほど。冒険者ギルドに寄ってみるよ」

「そうしてくれ。状況によっちゃ、クロイツの住民はバーゼットやフォーズ、ミスランディアに疎開することになる。火山の情報は何であってもほしいんだ」


 門衛と分かれ、俺は街の様子を観察しながらギルドに向かう。

 街は一見して慌ただしい様子だった。生活必需品の買いだめが起きて、そこここで押し問答が行われている。


「どうするの、エドガー?」

「そりゃ、この状況なら受けるしかないだろ。俺の名前がここに残るのは不安だけどな」

「ギルドに行かずに火山に直行するのは?」

「門衛にカードを見せてしまった以上、ここで姿を消したら怪しまれる。この町の人間は厄介事を嫌って逃げたと思うだけかもしれないが、エレミアなら確実に俺の意図を読んでくる。ま、エレミアがミスリードに引っかかってこっちにこないことを祈るしかないな」


 俺は街の真ん中にあった冒険者ギルドに入る。

 最初は不審そうに見慣れない冒険者を見ていた受付嬢は、俺のカードを見るなり慌てて奥へと駆け込んでいった。

 戻ってきた受付嬢は急にへりくだった姿勢になり、俺をギルド長の執務室に案内すると言った。


「ようこそ来なさった」


 そう言って好々爺然としたじいさんが俺にソファを勧めた。


「たまたま通りがかっただけだ」

「それは災難でしたな。いまこの街は未曾有の危機にあると言えるじゃろう」

「火山噴火と、それに伴う魔物の移動だな」

「噴火による地震で安普請の家が次々に倒れ、スラム街で火災が発生したことも、ですな」

「お、おい! それを早く言え! 消火活動は!?」

「心配召されるな。そちらは既に済んでおる」

「そうか」


 俺は安堵して浮かしかけた腰を下ろす。


「エドガー・キュレベル……と申すのじゃな?」

「ええ。一介の冒険者です」

「この頃、耳はとんと遠くなったのじゃが、自分のものでない『耳』から聞こえてくることもある。ミスランディアに拠点を置く連邦の特任大使の名が、たしかエドガー・キュレベルといったはずじゃな」

「同姓同名です」

「ふむ。それならそれでよいのじゃが。任務を帯びているやもしれぬ者に無理は言えぬしな」

「火山調査の件ですか」

「さよう。長らく空き巣の状態だった竜ヶ峰に竜が戻ったという噂がある。それに前後しての火山噴火じゃ。このふたつには何かつながりがあるのやもしれぬ」

「竜ヶ峰に竜が……」

「しかし、竜に火山となれば、なまなかの冒険者には荷が重すぎる。いつ噴き出すかわからぬ噴煙や溢れ出る溶岩に対処しつつ、中央山嶺の最高峰とも言われる竜ヶ峰を調査する。むろん、そこには竜がおるのじゃろう。この竜が噴火の黒幕であれば、竜と一戦を交える可能性すら考えられる」

「とんでもないクエストだな。Sランク冒険者が束になってかかるレベルだ」

「その通り。じゃが、わしの『耳』がつかんだところによると、連邦の特任大使はただのひとりで敵のこもる砦を無血開城に追い込んだじゃとか、峠を進む百超将軍の軍勢の前に立ちはだかり、ただひとりでその軍勢を押し戻したじゃとか、奇怪な空飛ぶ古代遺物アーティファクトで上空から魔族の群れを攻撃し、木っ端微塵に打ち砕いたじゃとか、とんでもない話ばかりが入ってくる」


 それは……おおむね事実だった。


「だから、そいつは同姓同名の別人ですよ」


 俺はムダと知りつつもとぼけてみる。


「では、ただちにミスランディアに使いを立て、問い合わせをしてもいいのじゃろうな?」

「……その前にこの街を出て行けばいい」

「おぬしの目的地は中央山嶺と見るが、どうじゃの?」


 ノーコメント。だが、当たりだったことはこの老人にはお見通しのようだ。


「依頼を受けてくれれば、ミスランディアに使いは出さぬ」

「……脅す気か?」

「とんでもない。何か事情がありそうだから配慮させてもらうと言っておるのじゃ。それから、山嶺を熟知したシェルパを用意してやろう。元冒険者じゃから自衛くらいはできる人材じゃ」


 提示された条件は悪くない。どちらにせよ火山を見に行くつもりはあった。ふもとに火砕流が押し寄せる危険でもあったら警告くらいはしようと思っていたのだ。竜とやらも見てみたい。一般人にとっては魔物と変わらない認識のようだが、俺が以前出会った竜は話のわかるやつだった。逆に、もし竜が火山に関連しているのだったら討伐しておく必要もある。


「中央山嶺は入り組んだ峻険な地形をしておる。その地形に適応した特殊な魔物も数多く生息しておる。いかに強かろうと素人が何の準備もなしに踏み込める山ではないぞ?」


 じいさんの言葉が決定打となった。


「……わかったよ。依頼は受けさせてもらう。ただし、俺はそのまま山嶺の向こうに抜けるつもりだ。シェルパに報告書を持たせて帰す形でもいいか?」

「よかろう。報酬は半額を前払い、残りはギルドの口座に入金しておこう」


 というわけで、俺は火山が噴火したという中央山嶺へと足を踏み入れることになったのだった。

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