15 書斎に直行

「ふぁ~やっとついたねぇ!」

 懐かしの我が家を見て、ジュリア母さんが声を上げた。


 ――砦での戦いから10日。

 俺とジュリア母さんは無事我が家へと帰り着いていた。


 あの後。

 夜半に目覚めたジュリア母さんは、まわりが夜だということに気づくと、そのまま俺を抱きしめて眠りに就いた。

 仕方がないので俺はベッドの上から【物理魔法】で水差しを上げ下げしてMPを消費、MP最大値の拡張を行いながら朝を待った。

 翌朝、大きくなった俺を見てジュリア母さんが驚くというイベントがあった後、荷物をまとめて俺と母さんはランズラック砦を起つことになった。

 母さんはやはり寂しげだったが、父さんが「今度は王都まで一緒に行こう」と言うとぱっと顔を輝かせて喜んだ。

 そんな二人の様子を、見送りに集まった砦の騎士たちが、ほっこりした顔で見守っていた。


 帰路もあまり寄り道はできなかった。

 ランズラック砦を襲った傭兵団〈黒狼の牙〉の残党は砦から四方に散っており、ともすれば帰り道で出くわしてしまう可能性があったからだ。

 まあ、傭兵たちをまとめて灰燼と帰した《炎獄の魔女》にケンカを売る度胸のある奴はいないだろうが、避けて通れる危険は避けて通るに越したことはない。


 そんなわけで、馬車でごとごと来た道を戻り、俺と母さんは10日間で屋敷へと帰り着いた。


 さて、この屋敷であるが、外からじっくり眺められる機会はこれが最初である。


 現代日本人の感覚では村というのが適当なサイズの集落の奥にすこし小高い丘があり、その上に二階建ての屋敷が建っている。

 1、2階合わせて10室ほどの、こじんまりとした屋敷だ。

 もちろん、領主の館としてはこじんまりしているという意味で、前世の感覚では豪邸の端くれくらいにはなる。


 母さんの説明によると、父さん――アルフレッド・キュレベル子爵の領地は、この村と周辺の3つの村、ちょっと離れたところにある小さな街を含む、一帯の領域とのこと。


 名前はそれぞれ、コーベット村、リベレット村、トレナデット村、クーレット村、そしてフォノ市。


 ちなみに、どうして領主の館をフォノ市に置かないのかというと、フォノ市が領地の外れにあるかららしい。商人に運営を任せて、市場からの利益の一部を税として納めさせているのだという。


 フォノ市以外の4つの村は典型的な農村で、とくに変わったところもないらしい。

 しいていえば、4つの村の背後には森がせり出してきていて、その奥に妖精が住んでいるとかいないとか、そんな伝説があるくらいか。


 全体としては、ド田舎とまではいえないまでも、のどかで落ち着いた地域であり、父さんの一族が何代か前の先祖から受け継いできたという由緒ある土地柄だ。


「お帰りなさいませ!」


 屋敷に入ると、使用人たちが揃って出迎えてくれた。


 俺たちがいなかった間のことを使用人たちがあれこれ母さんに説明する間に、俺は後ろから誰かに抱え上げられた。


「お帰りなさいませ、エド坊ちゃま」


 それは巨乳ロリ顔の俺付きメイド、ステファニーことステフだった。


「ただいまー」


「まあ、もう言葉がしゃべれるんですか? というか、坊ちゃま、なんだか大きくなってません……?」


 母さんと話していた使用人たちもびっくりして俺のことを見ている。


「エドガーくんは賢いからねぇ」


 とジュリア母さんがコメントするが……まさかそれで押し通すつもりなのか?


 使用人たちは明らかに何か聞きたそうだったが、にっこり笑うジュリア奥様にあえて質問する度胸のある使用人はいなかった。


「しょさいー」


 俺は愛らしさを意識しながらそう言った。


「うん、約束だからねぇ~。ステファニーちゃん、エドガーくんをアルくんの書斎に連れて行ってあげて。何か頼まれたら、危なくないことなら聞いてあげていいから」


「は、はい、かしこまりました」


 まだ使用人と打ち合わせがあるらしいジュリア母さんを置いて、俺はステフに手を引かれながら書斎を目指す。

 それにしてもステフの手はぷにぷにである。

 思わず両手でさすってしまう。

 うん、幼児だからセクハラじゃないぞ。


「エ、エド坊ちゃま……書斎に着きましたよ?」


「ば、ばぁぶ」


 思わず赤ちゃん語に戻って誤魔化してしまったよ。


 さて、いよいよだ。

 俺はステフが開いた扉から書斎の中に足を踏み入れる。


 書斎は、まさしく書斎といった感じの書斎だった。

 真ん中にドン! と存在感のある重厚な木のデスク。

 その左右に天井まで届く背の高い本棚があって、デスクの奥にはカーテンのかけられた窓がある。

 ステフは俺に続いて書斎に入ると、カーテンを開けて窓を開き、部屋の換気をしてくれる。


 俺はさっそく本棚に並ぶ本の背をチェックする。

 まだ文字に慣れないから時間がかかるが、【不易不労】のおかげで疲れることも飽きることもない。

 部屋の隅であくびを噛み殺すステフを尻目に、俺は書斎の本棚をじっくりと観察する。


 書斎にある本をざっと分類すると、こんな感じになる:


 1.文学全集。サンタマナのものが多いが、ソノラートのものや他の国のものもある。

 2.歴史書。これも各国のものが用意されている。

 3.農業関連の指導書、領地統治のハウツー本などの実用書。

 4.百科事典。

 5.魔法書。

 6.辞書。

 7.武術書。


 何からはじめたものか悩んでしまうな。

 小一時間うんうん悩んだ末に、俺は次のような優先順位をつけることに決めた。


 5魔法書>6辞書>7武術書>2歴史書>4百科事典>1文学全集>3実用書


 最初に魔法書を挙げたのは、好みの問題でもあるが、ゴレスとの戦いの反省からだ。


 それは、


 ――俺には、ゴレスにダメージを与えられる有効な手段がなかった。


 ということである。


 たしかに俺はゴレスの槍を投げ返すことでゴレスを倒せたが、逆に言えばゴレスの槍がなければ決め手となる攻撃手段がなかったともいえる。

 【物理魔法】で岩をぶつける程度ではゴレスにはさしてダメージを与えられなかった。

 そもそも【物理魔法】は攻撃魔法と言うより補助魔法であって、敵に効率よくダメージを与えるための魔法ではない。

 【物理魔法】で岩を持ち上げ、投げるだけのMPがあるのなら、ジュリア母さんのように直接炎を生み出した方が断然効率がいいのである。


 魔法は母さんからも教えてもらえることになっている。

 実際、帰り道でも少し手ほどきを受けた。

 ただ、普通は人によって魔法ごとに適性が存在するらしく、母さんも得意属性の火以外はうまく教えられる自信がないとのこと。

 魔法書で補える部分は補っていくべきだろう。


 『アバドン魔法全書』の読解もまだ残っている。

 一応、自分なりに意味を類推してその結果を丸暗記するというかなり面倒くさい(はずだが【不易不労】のおかげで苦もなくできる)作業は続けている。


 ただ、疲れないからといって、暗唱に費やす時間がなくなるわけではない。

 別に俺の頭がよくなったわけじゃないからな。

 だから時間に対する効率を考えるなら、もう少し要点の絞られた魔法書を探したいところだ。


 また、暗唱した部分の大まかな意味くらいはわかるようになってきたものの、どうしても自己流の解釈になってしまう。

 細かいニュアンスなどわからない部分も多く、自分の知識が正確かどうかなかなか確信が持てないのだ。


 そこで、6辞書の出番である。

 魔法書などを読み解くために辞書を引くことも、もちろんする。

 しかし、それだけでは【不易不労】がもったいない。

 目立つ項目はガンガン暗記してしまおう。


 そうして魔術書と辞書を把握できたら、順次7武術書、2歴史書、4百科事典へと進んでいき、余裕があれば1文学全集でこの世界の教養を深めていく。


 7武術書もやはり、ゴレスとの戦いの反省からだ。

 ゴレスとは距離を置いての戦いだったから、赤ん坊の俺でも何とか戦うことができたが、もし仮にゴレスと近い間合いで戦うことになっていたらどうなっていたか。

 悪神の使徒は、相手が赤ん坊だからといって手加減などしてはくれない。

 身体が小さいのはいかんともしがたいが、せめてこの世界にどんな武術が存在するのかくらいは把握しておくべきだろう。


 3実用書を後回しにするのは、当面必要がなさそうだからだ。

 俺は4男だから、将来領地を継ぐことはありえない。

 もちろん、キュレベル子爵領が飢饉に見舞われて大変だ、ということでもあれば、話は別だ。

 前世の知識まで動員して、何とかしようとするだろう。

 が、今のところオヤジ様の領地経営は、うまく行っているようなのだ。

 ならば、強いて内政チートに挑戦する必要はない。


 アルフレッド父さんがランズラック砦の事後処理を終えて家に戻るまで、おそらく一ヶ月ほど。

 その間、ジュリア母さんの手が空いている時は魔法を教えてもらい、それ以外の時間はここで読書をするか、庭に出て魔法の練習をする。

 いくつかスキル関連で検証したいこともあるので、それもまた時間のある時にやっていく。

 夜になったらベッドの上でMPを使い切って最大MPの拡張だな。


 あと、忘れてはいけないのが滑舌だ。

 レベルアップに伴う成長で、舌や喉もそれなりに発達し、言葉を発するための準備が整っている。

 ただ、実年齢はあくまでも6ヶ月なので、言葉をしゃべる練習が十分にはできていない。

 これからは本を読む時でも発音に気をつけて音読し、早く言葉をしゃべれるようにしたいところだ。


 ま、こんなところか。


 普通ならうんざりするほどの単調な作業の連続だが、今の俺にはほとんどご褒美である。



 ――さあ、楽しい楽しいスキル上げの時間だ……!

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