8 フライング・ベイビー

「もう行っちゃうの?」


 ジュリア母さんが悲しそうに言う。


「しかたないよ。今は隣のソノラートがまだまだ騒がしいからね」


 アルフレッド父さんによれば、隣国ソノラート王国の内紛は、有力諸侯が痛み分けする形で終息しつつあるが、まだ火種はくすぶっていて、ソノラートとの国境線を監視する第三方面軍はいまだ準戦時体制にあるのだという。


 そんな中でアルフレッド父さんは無理を押して実に7ヶ月ぶりの休暇を取得した。

 期間は2週間。


 現代日本の感覚だと長いようだが、この屋敷と父さんの勤務するランズラック砦の距離が徒歩で1週間もかかるらしい。

 【乗馬技】スキル持ちの父さんは馬を乗り継いでこの行程を5日で戻ってきたというが、そのペースで往復したとしても移動だけで10日を要することになる。

 2週間の休暇のうち、自由に使える休日は実質4日、移動の予備日を取れば3日もないことになる。


「いまは落ち着いているとはいえ、予断を許さない状況であることに変わりはない。本来なら一時的にでも指揮官が砦を空けるなどあってはならない事態なんだ。部下が『子どもの顔を見に帰るくらいの時間は意地でも作る』と言ってくれたおかげでなんとか帰ってこられたが、長居するわけにはいかないよ。早く、砦に戻ってあげないとね」


「砦に『戻る』……かぁ」


 母さんが寂しそうにつぶやく。


 おい、親父さん、そいつは禁句って奴なんじゃないか?


 俺はフィジクを書いて、積み木で親父殿の頭をこづいてやる。


「痛っ! こら、積み木を人にぶつけるんじゃない!」


「ばぁぶ」


 俺は父さんにだっこされたまま、ジュリア母さんをチラリと見る。

 その視線で、父さんは俺の言いたいことに気づいたらしい。


「……え? わたし?」


 首をかしげるジュリア母さんを、父さんがぎゅっと抱きしめる。

 ……こら、俺を間に挟むんじゃない。


「子は親の気持ちに敏感らしいな。エドは、母さんを悲しませるなと言いたかったんだろう。我が息子ながら聡いな……いや、聡すぎるだろ!」


 父さんは俺につっこみを入れてから、じっと何かを考えはじめる。


「……よし。幸い今はいくさも下火だ。一度、おまえたちを砦まで連れて行ってやろう」


「ええっ!? いいの?」


「赤ん坊に諭されるようじゃ父親としてちょっとね。エド、父さんの職場まで行きたいかい?」


「ばぁぶ!」


 そんなわけで、俺の初めての外出は両親とランズラック砦まで、ということになった。




◇◆◇◆◇◆◇◆



 ランズラック砦までは、1週間の道のりだ。


 父さんだけならもっと早く行けるらしいけど、今回はジュリア母さんに加え、生後6ヶ月の俺までいるので、ゆっくりと馬車を進めて、父さんの休暇期間が終わるちょうどその日に着くような旅程になっているらしい。

(ちなみに、俺付きのメイド・ステフはお留守番である。)


 しかし、いくらレベルがそれなりに高いとは言え、司令官ともあろうものが単騎駆けで家に帰ったりしてよかったのだろうか?

 そんな不安を覚えたが、父さんは往路は町や村の警備兵を代わる代わる護衛に付けて馬で走り、砦からの護衛とは帰り道で合流する予定だったらしい。

 父さんは相当に無理を重ねて屋敷まで戻ってきたってことになるな。

 何だか悪いことをしてしまったかもしれない。


 途中の町や村にも興味はあったのだが、父さんはそれぞれの街や村では宿を借りるだけで先を急いだため、見物して回る余裕はなかった。

 砦からの帰り道は時間的な余裕があるはずなので、母さんに頼めばちょっとくらいは街を見物することもできるだろう。


 俺は砦までの道中、ひたすらMPの最大値上げに励むことにした。

 馬車での移動のためあまり好き勝手に動くことができないので、魔法のレベル上げをしたくても物理的に難しい状況だったのだ。

 また、前回のお披露目会で母さんから魔法を教えてもらう約束は取り付けられたのだが、それは旅行から帰ってからということになっている。


 ただ、MP最大値上げにも障害は存在する。

 最大の懸念は、両親が常に一緒にいるため、MPを使い切って気絶などしようものならちょっとした騒ぎになりそうだということだ。


 これについては、目をつむったまま、【魔力制御】で魔力の漏出を抑え、【無文字発動】で文字を書く動作を省くことで、両親の目を欺いてこっそり魔法を使うという技術を編み出した。

 目をつむっていれば、気絶したとしても外からはわからないからな。


 問題は何の魔法を使うかと言うことだったが、これにも妙案が見つかった。

 ごとごと揺れる馬車に尻が痛くなってきた俺は、ふと思いついて【物理魔法】を自分自身にかけてみた。

 フワリと、ごくわずかだが確実に身体が浮いた。

 これ幸いと俺は砦までの道中、身体に【物理魔法】をかけ続け、MPが切れたら気絶する、という一連の流れを、飽きることもなくえんえんと繰り返していた。


 MPも多くなってきたので使い尽くすのが大変になるかと思っていたのだが、達人級の魔法スキルは最低でもMPを10食うことが判明した。

 さらに【魔力制御】【無文字発動】【物理魔法】を並列起動すると、一度に30ものMPを消費することができる。


 そうとわかったら話は早い。

 俺は最初は数秒、後には数分でMPを使い尽くし、5分ほどの気絶を経て、再びMPを消費するという無限ループを、食事時や両親が話しかけてきた時をのぞく全ての時間で繰り返し、最大MPをコツコツコツコツ上げていった。



 ――そんな満ち足りた日々が1週間(168時間)続いた。

 そしていよいよ、アルフレッド父さんの職場である、サンタマナ王国第三方面軍拠点・ランズラック砦へと到着する日がやってきた。

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