第十八話 マグ・トレドの領主

 こっちの世界に来て、自分の軽率さを後悔したのは何度目だろう?

 僕は二人の兵士にガッチリ両脇を固められ、昼間来たあの市場へと連行されていた。手足の拘束こそされてはいないが、マルヴァスさんから借りたあの短剣も取り上げられてしまったし、この状況で逃げるのは不可能だ。


 サーシャのためにと思いながら、よく策を練らず闇雲に飛び出したのがバカだった。恐らく、シラさんはこうなる事を見越して僕を引き留めたのだろう。彼女が言わんとした事をもっとちゃんと聴くべきだったのだ。


 唯一の救いは、首から提げている大切な例のペンダントは取り上げられずに済んだ事だ。あれまで取られてしまったら、僕は自分を保っていられる自信が無い。


 途中、二度例の咆哮と翼が羽ばたく音が聴こえた。どうやらあの竜は今、この街の上を旋回しているようだ。炎を吐いたりはしてこないし、街の衛兵も一矢たりとも放ってはいない。少なくとも今の所は、だけど……。


 「む……? おいどうした!? そいつは何だ!?」


 市場の入り口では数名の槍兵が守りを固めていて、ひとりが僕達に気付くなり全員が槍を構えて穂先をこちらに向けた。正確には僕ひとりに。

 

 「南区の裏通りで見つけた者だ! 不審な点があるゆえ、隊長に尋問して頂くためにここへ連行した次第! 通行の許可を賜りたい!」


 僕を間者呼ばわりした方の兵士が声を張り上げた。


 「……それには及ばぬ」


 守衛の槍兵達の後ろから、フルフェイス型の兜をしっかりと被り、物々しい甲冑で身を包んだ完全武装の武人が姿を現した。一歩歩くごとに鎧の胴や脚部と腰に佩いた剣がぶつかり、ガチャガチャと小気味良い音を立てている。彼の姿を認めた周りの兵士達がビシッ!と直立不動の姿勢を取る。


 「隊長! ご足労頂き恐縮です!」


 「巡回のついでだ、構わん。……ふむ」


 隊長と呼ばれた甲冑の武人が僕を見下ろす。兜の表面から真一文字に引かれた隙間の奥で、冷然とした目が僕を捉えているのだろう。かなりの迫力があり、首が竦まる思いがした。


 僕は、ペンダントに手が伸びそうになるのを懸命に堪えた。見咎められたらこれも没収されてしまう。それだけはなんとしても避けたい。


 「この者が所持していた武器になります」


 無言で居る隊長の横から、僕を連行してきた兵士達の片方が恭しく短剣を差し出す。隊長はおもむろにそれをとってしげしげと眺めた。


 「……む!? この短剣は……!」


 突然、何かに気付いて食い入るように短剣を見つめ直す隊長。鞘を払って剣身を目の前に透かすと、言葉鋭く僕に尋ねてきた。


 「これは《ウィリィロン》、ダナンに二人と居らぬドワーフの鍛冶師が鍛えた“包呪剣”だ。小僧、これを何処で?」


 「……恩人から借りたんです。身を守るために必要だから持っておけ、って」


 『ご存知なんですか?』と質問を質問で返したくなるのを堪えて、用心深く僕は答えた。

 マルヴァスさんの短剣って、そんなに有名な業物なのだろうか?あの人はそれを、何の惜しげもなく僕に貸し与えたと?

 そんなこちらの心中を他所に、何故か隊長は得心がいったと言うように頷いた。


 「なるほど、お前が“そう”なのか」


 「え……?」


 予想外の言葉に戸惑う僕を尻目に、隊長は二人の兵士を労う。


 「ご苦労だった。この者は私が引き受けるゆえ、お前達は急ぎ持ち場に戻れ」


 「はっ!!」


 「いつあの竜が襲ってくるか分からん。油断するなよ」


 二人の兵士が頭を下げて機敏に踵を返し、去ってゆく。それを見送る間もなく、隊長が僕の首根っこをむんずと掴んだ。


 「うわっ!? ちょ、ちょっと……!?」


 「さあ、来い。ぐずぐずしてる暇は無いぞ」


 鉄甲の冷たさが首筋を走り、たまらず抗議の声を上げるも当然のごとく無視される。僕はなすすべなくそのままズルズルと引きずられて行った。






 市場の中では、更に多くの兵士が詰めていた。

 何れもクロスボウを構え、空に向けて狙いを定めている。竜に対する主戦力といったところだろうか。ただ、その数は百にも満たないような気がした。そのせいか、ひとりひとりの表情が良く見えた。誰もが青ざめ、張り詰めたような顔をしている。中には武者震いに身体を震わせてる人も居た。いや、臆病風に吹かれそうになるのを懸命に耐えているだけかも知れない。


 聞き分けの悪い猫よろしく首を掴まれて引き据えられた先は、その中心に立つ役所と思しき白い建物だった。歩哨が四人、それぞれ二人ずつ入り口の扉を挟むように左右に立っている。こちらが近づくと、その扉が開き中から誰か出てきた。


 立派な口髭を蓄えた壮年の偉丈夫。白銀に煌めく鎧を纏い、真紅のマントを夜風にはためかせて悠然と構えている。その鎧の胸部には、翼を大きく広げた鷲の紋章が描かれていた。


 「守備隊長よ、この非常時に如何致した? その手に捕らえている者は?」


 「我らが友人が申しておった“例の拾い物”にございます、イーグルアイズ卿」


 隊長が一礼して報告するが、渦中の僕はそれどころではない。イーグルアイズと呼ばれた壮年の騎士の後に続いてテントから出てきた人物を見て、目が釘付けになっていた。


 「……シラとサーシャの傍に居ろ、と言わなかったか? ナオル」


 「マ、マルヴァスさんっ!?」


 様子を見てくると言って僕より先に外に飛び出して行った、あのマルヴァスさんがそこに居たのだ。


 「どうして、ここに……!?」


 「こっちのセリフだ。どうして出てきた?」


 怒るというより呆れた、といった具合にマルヴァスさんが肩を竦める。


 「まぁ、色々事情がありまして……」


 「だろうな。興味本位で命を危険に曝すような男じゃないと俺は思ってるよ。少なくとも今はまだ、な」


 「うぅ…………」


 何も言い返せない。軽率だったのは否定しようがない。僕はただ項垂れるしかなかった。

 

 「そうか。まぁ何れにせよ、追々会わねばならぬと思うていたところだ」


 白銀の騎士=イーグルアイズ卿は、そう言って僕の目の前に立った。隊長が僕の首を離し、畏まって後ろへ下がる。


 「マグ・トレド領を預かるコンラッド・イーグルアイズと申す。そなたの話は我が友、マルヴァスから聴いておるよ。昼間の、この市場で起こした騒ぎについてもな」


 僕は恐る恐る顔を上げて彼の様子を伺う。イーグルアイズ卿は僅かにからかうような笑みを浮かべていた。


 この人が領主? じゃあ、その後ろで当然のように控えているマルヴァスさんは一体……。


 「……どうも。お耳を騒がせているようで恐縮です」


 「恐れるには及ばぬ。罪に問う気は無い。むしろ礼を言わねばな。血を流す事なく我が民を救ってもらったのだから」


 「あはは……。それは、どうも」


 僕はイーグルアイズ卿と相対しながらも、やはりマルヴァスさんが気になってちらちらとそちらへ目をやる。するとあの隊長が、僕から取り上げた短剣ウィリィロンを彼に返していた。





 ――グオオオオォォォォ…………!!





 またもや竜の咆哮が聴こえた。今度は、割と近い。


 「さて、平時であれば館に招いてゆっくりと会談の席を設けたいところだが、生憎今はそうもいかぬ」


 イーグルアイズ卿は身を翻して白い建物の方へと戻ってゆく。左右の歩哨が素早く動いて入り口の扉を上げた。


 「続きは本営の中で話そう。入るが良い」


 彼に続き、マルヴァスさんと隊長も中へと入る。それでも、歩哨は扉に手をかけたままだ。

 こうなったら仕方ない。僕は肚をくくって、建物の中へと足を踏み入れた。

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