第十五話 暴漢再び
日が暮れるのを待ってから、僕とサーシャは夕闇に紛れ、街の裏通りを縫うようにしてシラさんの宿に帰ってきた。
コバは居ない。ジェイデン司祭の計らいで、しばらく教会に匿ってもらう事にしたからだ。
別れ際に、コバは今にも泣き出しそうな顔ですがるようにサーシャを見上げていたが、サーシャが「司祭様の言う通りになさい」と命じたらうなだれるように頷いた。可哀想に思えたが、こればかりは仕方ない。サーシャだって辛いんだ。
「おお、本当に帰ってこられた! 流石だねサーシャ! あんな入り組んだ路地でもきっちり道を記憶してる! 僕だけじゃ五分と経たずに迷子になってたよ!」
「うん…………」
「あっちこっち走り回ってもうすっかり腹ペコだよ。汗も沢山かいたし、早くご飯食べてお風呂にも入りたいな。サーシャもそうでしょ?」
「うん…………」
「そうそう、シラさんにも謝らないと。あれから役人の追及があったかも知れないし、きっと心配してるよ」
「ええ…………」
「それから、マルヴァスさんにも。今日の顛末を聴いたら、あの人どう思うかな? ははは……」
「そうね…………」
「あ〜……ほ、ほら! 取り敢えず中に入ろうよ!」
いたたまれない空気から逃げるように僕は宿屋のドアを開け、俯き加減で空返事を繰り返すサーシャを促して先に中へ入れてから、軽く表の左右を確認してドアを閉める。ほっと安堵のため息を吐いて、改めてサーシャを振り返る。彼女は相変わらず俯いたまま、玄関で佇んでいた。
さっきからサーシャはずっとこんな調子だ。コバと別れてからというもの、心ここにあらずというか物思いに沈んでいるというか。ここまでの足取りに迷いは無かったので、現実を認識出来なくなるほど自分の意識にのめり込んではいないと思うけど。
今日の出来事が余程堪えているのだろうか?ずっとコバの存在を隠してきたんだし、これから先が面倒かも知れない。今後の対策とかに頭を悩ませているのかな?
「あのさ、サーシャ。ひとりで抱え込もうとしない方が良いよ」
「…………」
サーシャは反応を示さない。
「コバの事は、サーシャだけの問題じゃないから。シラさんとも話し合うべきだし、ジェイデン司祭だって味方してくれてる」
「…………」
「あの人が言ってたでしょ? 人の興味は移ろいやすいものだって。僕の居たところにも『人の噂も七十五日』って言葉があってね。誰かが悪目立ちして注目を引いても、それ以降目立たずになりを潜めていると、いつの間にやら人々は興味を失って気にしなくなるって意味なんだよ。コバだって、しばらく隠れていればきっと大丈夫さ」
「…………」
「勿論、僕だって出来る事なら力を貸すし……」
「……ねぇ、ナオル」
不意に、サーシャが顔を上げて僕を真っ直ぐ見た。その目は真剣そのもので、迫力に気圧された僕は思わずたじろいだ。
「な、なにかな?」
「ナオルは、コバの事をどう思う?」
「ど、どうって……?」
「そのままの意味。今日、あの子を見てどう思ったの?」
「よ、よく分からないよ」
「難しく考えなくて良いから。あの子の存在をどう感じたのか、言って」
サーシャは僕から目を逸らさない。何かを期待するように、瞳の奥がゆらゆら揺れている。僕の返事を全身全霊で聴かんとしている。
取り繕った答えは求めていない。それが分かった僕は、一度深呼吸をしてから、慎重に答えた。
「正直……よく分からないよ。だって今日会ったばかりなんだし。ゴブリンって言えば『小汚くて野蛮で集団で人を襲うモンスター』ってのが僕が居たところでの常識、というかイメージだったんだ。それで僕も、その……最初は少し、そう思ってしまった節はあるよ」
サーシャは口を挟まず、神妙に聴いている。
「でもコバは…………。昨夜、薪を運んでいるところを見たし、ぶつかってしまったローリスにちゃんと謝っていたし、庇おうとしたサーシャを止めていたし。きっと、悪いヤツじゃないって思う。サーシャが大切に想っているのなら、尚更ね」
「そう…………」
サーシャがそっと目を伏せた。何かに耐えるように唇をキュッと引き結ぶ。
「あの、サーシャ……?」
「仕事に戻らなきゃ! ナオル、お腹減ったってさっき言ってたよね? 待ってて、すぐ何か用意するから!」
言うが速いか、サーシャはさっさと厨房に引っ込んで行ってしまう。呼び止める間も無かった。「母さ〜〜〜ん! 居る〜〜〜!?」という彼女の声だけが厨房から流れてくる。
「不味かった、かな…………?」
誠実な答えを返したくて素直な感想を言ってしまったけど、サーシャにとっては失望する内容だったかも知れない。だが、今更取り返しはつかない。
僕は弁明を諦めて部屋に戻ろうと階段へ足を掛けた。
ドシンッ!!
何か、大きな物を落としたかのような音が床を震わせる。厨房の方からだ。
「サーシャ? どうしたの? 大丈夫?」
僕は上がりかけた階段を降りて、厨房へと向かった。
暖簾を潜り、踏み入れた先でギョッと足を止める。
人間が二人、折り重なってうつ伏せで倒れていた。服装と後ろ姿から、それがサーシャとシラさんだと分かった。
「サ……!」
声を上げて駆け寄ろうとした、その時だ。
ぬっと、巨大な手の平が目の前に出現した。
「……!?」
悲鳴を上げるより先に、その手に喉首を掴まれる。反射的に腰の短剣に右手を伸ばすが、それも別の手に押さえつけられる。そのまま、力任せに僕は背後の壁に背中を叩き付けられた。
掴みかけた柄を離した拍子に、腰に差してあった短剣が鞘ごと外れて床に落ちる。乾いた金属音だけが足元で虚しく響いた。
「かっ……!? ぁ……!」
「見つけたぜ、ガキ……!」
ギラギラと狂気の光を目に宿した、傷んだ鎧の大男。ローリスだった。
「ロ……ス……ッ!」
一片の慈悲も無く絞め上げられる喉からどうにか声を絞り出そうとするも、まるで言葉にならない。左手でローリスの腕を引き剥がそうと試みても、幾多の戦場で鍛えられたであろう彼の筋肉はびくともしない。足はつま先立ちになっており、蹴りを入れようにも上手く力が入らない。
なんで!? どうして、ローリスがここに居るんだ!?
「俺を舐めるな。衛兵から逃げながらテメェらの素性を調べるのなんて朝飯前なんだよ」
こちらの心を読んだかのように勝ち誇った声を上げるローリス。
僕は、床に倒れているサーシャとシラさんに目を向ける。もしかして、二人共既に……!?
「安心しな、気絶させただけで殺しちゃいねェよ。テメェの言う事はもっともさ。俺も頭に血が上りすぎてた。メスガキひとりと薄汚えゴブリン如きにムキになりすぎたな。あいつらを斬ってたら、『鉄火のローリス』の名折れもいいところだ。だがな…………」
首を絞める指に、より一層の力が加わる。
「テメェだけは別だ。衆人環視の中で一度、路地裏で一度、合わせて二度も俺に恥をかかせやがった。調子こいたクソガキには仕置きを下さねェと気が済まねェ!」
「ぅ……! ぐ……っ!」
「このまま縊り殺してやる! 昇天するまでの間、精々後悔しやがれ!」
万事休す。左手だけは自由に動かせるものの、床に落ちた短剣は取れない。無駄だと分かっていながらローリスの手首を掴んで引き剥がそうとするだけだ。
呼吸が出来ないせいでだんだんと意識が朦朧としてきた……。
(いやだ……! 死にたくない……! 僕は……僕は、生きて家に帰りたい……! 叶うものなら、このローリスの腕を斬り飛ばしてでも…………!)
これが今際の際に浮かぶ、生への渇望か…………。
「――ッ!!?」
短い呻きが聴こえたかと思うと、ローリスは何故か急に僕から手を離し、後ろへ飛び退った。
「ゲホッ! ゴホッ! ガハッ! ハーッ! ハーッ! ハーッ……!」
解放された僕は、その場に膝をついて喉に手を当て荒い呼吸を繰り返す。欠乏していた酸素がようやく肺に満ちる。
涙目になりつつ、気力を振り絞って顔を上げた。
ローリスは、僕の首を絞めていた方の手首を抑えつつ、恐怖の混じった目で僕を睨んでいた。
「テメェ、一体何しやがった!?」
「な……なん……!?」
「魔法の掛かった短剣の次は変な術か!? 得体の知れねェクソガキが!!」
ふと、ローリスの足元の床に赤い雫が滴っているのが見て取れた。ぽたりぽたりと、どうやらそれは抑えられた手首から流れ落ちているようだ。
「それ……どう、し…………」
どうした?と訊こうとして再び咽る。苦しさと痛さと涙でろくにしゃべることも出来ない。
「腕を斬り落とされるかと思ったぜ……! なんかの魔術か!? まさかテメェ、本物の魔道士だとでも……!」
「そこまでだ」
冷たく威圧する声が耳を貫く。僕もローリスもはっとして厨房の入り口に目を向けた。
マルヴァスさんだ。弓を引き絞ってローリスに狙いを定めている。
僕は、文字通り救われた思いで安堵の深い息を吐いた。
「ナオル、こっちに来い」
ローリスを見据えたまま、マルヴァスさんが短く指示する。僕は倒れたままのサーシャとシラさんを振り返った。
「だ、だけど……っ! サー、しゃ……!」
「分かってる、けど今はお前だ。俺の後ろに来い、早く」
有無を言わせないように指示を繰り返され、僕はやむなく床に落ちていた短剣を広い、這うように彼の足元まで寄って行った。その間も、マルヴァスさんは決してローリスから視線を外さない。
「お前を知ってる。『鉄火のローリス』。下賤の身でありながら騎士も顔負けの戦果を上げ、皆に一目置かれた男だった。それがどうだ? 随分と落ちぶれたじゃないか」
淡々と語るマルヴァスさんに対して、ローリスは無言のまま彼を睨みつけている。
「マグ・トレドの安酒場に入り浸り、日雇いの力仕事で泡銭を稼いでは酒に溺れてその日暮らし。ついには女子供にまで手を上げるとはな。変われば変わるものだ」
「チッ……! 言ってくれるぜ、お若い騎士さんよぉ!」
マルヴァスさんの眉が、ほんの僅かに動いた。
「俺もテメェのそのすまし面には見覚えがあるぜ。王都から来た援軍の中にいやがったよなぁ? お行儀よく馬に跨り、キンキラキンの洒落た鎧に着られていたションベン臭えガキがよぉ? 青二才の貴族のぼんぼんが、一端の口を利くようになったじゃねェか、えェ?」
「え…………?」
マルヴァスさんが、貴族……?
「ナオル、外に出て衛兵を呼んでこい」
「え? で、でも……!」
「こいつは俺が見張っている。衛兵なら市場の騒動でまだそこら中をうろついてる筈だ。さあ……」
と、マルヴァスさんが言葉を続けようとした時だ。
カーン! カーン! カーン! カーン!
甲高い鐘の音が、辺りに轟いた。
絶望の幕開けを告げる、前奏の鐘が――――。
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