第十三話 竜を信奉せし聖職者

 一体いつからそこに居たのだろう?

 立派な白ひげを蓄え、経典らしきものを胸に抱いた老紳士は、左目に付けたモノクルの位置を手で直し「ふむ……」と一言呟くと、サーシャとコバ、それから僕を見回した。


 「ジェイデン司祭様……!」


 サーシャが縋るような声を上げて老紳士を見上げる。ジェイデンと呼ばれた老紳士は、それを受けて彼女を安心させるかのように微笑んだ。


 「いらっしゃいサーシャ、それからコバも。今日はまた随分と心を乱すような出来事が起きたみたいですね。先程市場の近くを通りがかりましたが、えらく騒がしかったので何事かと思いましたよ」


 「それは…………」


 「大丈夫、責めてはおりませんよ。衛兵の方々も主にローリスの方を追っているみたいでしたし。ほとぼりが冷めるまでここに居ると良いでしょう」


 「ありがとう、ございます……」


 ジェイデン司祭はサーシャの素直な返事に満足そうに頷くと、おもむろに僕の方を見て鷹揚に会釈した。


 「初めまして。今サーシャが言ってくれましたが、私はジェイデン。この教会の司祭を務めさせていただいております」


 「……あ、初めまして。僕はナオル。サーシャの友達です」


 「この辺りでは見かけないお顔ですが、もしや旅のお方かな?」


 「はい、そうです。この街には昨日着いたばかりで。サーシャには色々と助けてもらってます」


 「なるほど」


 年輪の刻まれた顔に爽やかな微笑が浮かぶ。ジェイデン司祭の風貌や所作や語気からは、こんな粗末な教会には不釣り合いな貫禄を備えているように感じられた。


 「ふむ、察するに君ですね? サーシャとコバを庇い、ローリスの前に立ちふさがった勇敢なる若者は」


 「いえ、勇敢だなんてそんな……」


 「謙遜なさる必要はございません。町娘とゴブリンを助けるために抜き身の剣を構えた男の前に躍り出るなど、伊達や酔狂では決して出来ません。英雄の行為と言っても良い。私からもお礼を申します。二人を守ってくださり、ありがとうございます」


 「ああ、いえ、その……友達、ですから…………」


 ぽんぽんと投げかけられてくる賞賛の言葉に気恥ずかしさが込み上げてきて、僕はどう応えて良いものか分からずもごもごと口ごもってしまう。

 こういうのは肯定しても否定しても厭味ったらしくなってしまいそうだ。

 どうしたものか……。そうだ! 話を最初に戻せば良いんだ!


 「そ、それで司祭さん! コバに関する事で衛兵を頼れない理由って何なんでしょうか!?」


 「……おお! そうでしたそうでした! ご説明するつもりが、すっかり話が逸れてしまいましたね。いやはや、これは失敬」

 

 ジェイデン司祭は軽く咳払いを一つすると、表情を改めて再び口を開いた。


 「失礼ながら先程外で少しお話を立ち聞きさせて頂きました。コバがグラス殿の奴隷だった、というところまではご存知ですね?」


 「はい。その、グラス……さんが亡くなられた後、サーシャの家で引き取ったって」


 「その通りです」


 ジェイデン司祭の目が遠くを見るようなそれに変わった。


 「グラス殿は、マグ・トレド随一の騎士でした。戦いに赴けば必ず勝ち、どんなに強大な敵を迎えても決して屈する事は無かった。猛将の名をほしいままにし、領主様の信頼も篤く、それでいて弱者には優しい、そんなお方でした。この街の誇りでしたよ。身分の区別無く、誰もが彼を慕っていました」


 過ぎ去りし過去に思いを馳せるように、ジェイデン司祭の語り口にも熱が込もってゆく。


 「このコバも、母親共々奴隷の身でありながらグラス殿より温情ある扱いを受け、その扱いは決して使用人よりも下という事はありませんでした。コバの母親が亡くなった時も、彼はコバがその遺骸を引き取って墓を立てる事を許したくらいですから」


 「グ、グラス様……!」


 ジェイデン司祭の話が耳に入ったのか、コバがまたも身体を震わせ嗚咽を漏らす。

 僕は、ふと感じた疑問をぶつけてみる事にした。


 「そんなにコバを気にかけていたなら、何故グラスさんはコバを奴隷から解放しなかったんですか? もしそうしていたらコバも…………」


 きっとこんな風に拗らせたりはしなかった。そうはっきりと口にするのは憚られて、僕の言葉は尻すぼみになってしまう。

 

 「多くの人間にとって、ゴブリンとは不浄で汚らわしい下級の生き物という認識です。仮に領内で見つけた場合良くて奴隷、最悪討伐という話にまでなってしまいます。彼らは、王国の法では決して保護されない存在なのです。そんなゴブリンを良民達と同じ格にまで引き上げれば、たとえグラス殿と言えども非難は免れないでしょう」


 「……………………」


 何も言えない。現に僕だってコバの事を『創作物でよく出てくる雑魚モンスター』・『汚らわしいゴブリン』だと確かに思ってしまったのだ。


 「コバを奴隷身分のままでおいたのは、コバを守るためでもありました。“騎士グラスの奴隷”という肩書がついていれば、少なくとも不当な暴力を受ける事は無い。見れば分かる通り、コバ自身もグラス殿を大層慕っていたので少なくとも二人の間には何も問題などありませんでした。先のマグ・トレド攻防戦でグラス殿が重傷を負われるまでは……」


 「帝国が攻めてきたってやつですよね?」


 「左様。激しい籠城戦の末に王都からの援軍が現れるまで持ちこたえた我々は、城外に撃って出て最後の決戦を挑みました。グラス殿はそこで五つもの敵将の首を挙げる大功を立てましたが、敵陣深く踏み込んだ彼もまた反撃を浴び、戦線離脱を余儀なくされました」


 「む、無茶をしすぎたんじゃ……?」


 「戦いに血が沸けば、目の前の敵しか見えなくなる事も往々にしてございます。グラス殿は果敢過ぎたのです」


 ジェイデン司祭は、彼の死を今でも悼んでいるかの如く長い溜息を吐いた。


 「床の上で自らの死期を悟ったのでしょう、グラス殿は粛々と身辺の整理を命じ始めました。彼には家族が居なかったので、遺産の大半をマグ・トレドに還元し、余った分を全ての使用人に平等に分け与えました。そして家がある者は送り返し、身寄りが無い者には新しい職場の斡旋もしてやりました」


 「へぇ…………!」


 僕は思わず感嘆の声を上げた。これまでずっと仕えて来た人達の働きを忘れず、最後までちゃんと報いようとするなんて。当たり前といえば当たり前なのだろうけど、言うは易し行うは難しだ。


 「それで、最後に残ったのがコバでした。グラス殿は頭を悩ませました。長年奴隷として過ごし、尚且ゴブリンであるコバは自力で身を立てる事が出来ない。かと言って引き取ってくれる人間も見つからない。傷はどんどん悪化し、残り時間だけが減ってゆく……」


 「ど、どうなったんですか!?」


 ジェイデン司祭の語り口に引き込まれていた僕は固唾を呑んで次の言葉を待った。


 「私が間に立ち、コバをシラさんに紹介しました。シラさんも、娘のサーシャも、心の綺麗な女性です。ゴブリンへの偏見を持たない人達です。働き者であるコバを歓迎してくれましたよ。経済的にも、私が引き取るよりずっと良かった」


 僕はサーシャの方を見た。相変わらずコバを抱きしめながら蹲っていたけど、こちらを見上げた顔は真っ赤に染まっていた。

 ふと目が合い、彼女はすぐに顔を逸らした。物凄く恥ずかしそうだ。


 「グラス殿はコバの去就を見届けた後、この世に思い残すことが無くなったと言わんばかりに穏やかに息を引き取られました。以来、コバはずっとシラとサーシャに仕えています。ところが、ですよ。街の英雄であるグラス殿と一市民である宿屋の店主とでは、後ろ盾としての影響力の差が有りすぎます」


 「……! ああ、なるほど。なんとなく分かりました」


 そこまで聴いてようやくおおよその事情が飲み込めた。

 マグ・トレドの人々の大半はゴブリンに対して排他的。グラスさんのところに居た時は誰も口出し出来なかったけど、サーシャの場合だとそうはいかない。理不尽な嫌がらせをされたり、最悪官憲に引っ立てられたりしかねないって事か。だからこそ、頑なにコバの存在を隠そうとしたんだ。

 なんともやるせない気持ちになった。理解は出来るけど納得は出来ない。何処の世界でも現実とは不条理なものなのか。僕は急に不安が込み上げてきた。


 「それじゃあ、市場であんな騒ぎが起きたのはすっごくまずいんじゃ…………」


 「微妙なところですね。野次馬の中にはサーシャの顔見知りも何人か居たようですから、少なくともコバがサーシャの所に居る事は知れ渡ってしまうでしょう。コバの譲渡の件は非公式ですが領主様もご存知ですので衛兵は手を引いてくれるでしょうが、民衆はサーシャ達の宿を敬遠するようになってしまう恐れはあります。まぁ、極端な行為を働く者は出て来ないとは思いますが」


 「司祭様……あたし達、どうすれば良いですか?」


 流石のサーシャも心細げな様子で、再びジェイデン司祭を縋るように見上げる。


 「二人さえ良ければ、しばらく私のところでコバを匿いましょう。人々の興味は移ろいやすいものですから、噂が沈静化するまで待てば大きな過誤は起きないでしょう」


 「よろしいのですか!?」


 「ええ。グラス殿に対する義理もございますし、シラさんやあなたは今でも時々礼拝に来てくださる貴重なお客様です。たまにはご機嫌を取っておかなくてはね」


 少しおどけたようにジェイデン司祭が笑ってみせると、緊張の糸がほぐれたかのようにサーシャの強張った肩と表情から力が抜ける。

 僕は、さっきからずっと気になっていた事を尋ねた。


 「司祭さんは、グラスさんとは親しかったんですか?」


 「ええ、親友でした。彼は良く、この教会に来て祈りを捧げてくれましたよ。今や多くの人に忘れ去られた“始祖の竜”を、彼は信じて下さっていました」


 「“始祖の竜”って、あれですか? あの彫像の」


 僕は、祭壇の奥に鎮座している例の彫像を指差した。竜を象った、珍しい意匠。普通西洋の竜といえば神の敵というポジションで、教会で祀られるような聖なる存在じゃないと思っていたけど、もしかしたらこの世界だと違うのだろうか?


 「おお! あなたも興味がお有りですか! 『竜始教』が説いた偉大なる竜の物語を!!」


 途端にジェイデン司祭の表情が輝き出した。目に爛々とした光を蓄え、鼻息荒く身を乗り出してくる。

 サーシャが「あ、やらかしたなコイツ」というような目で僕を見た。


 「よろしい! お話しましょう! 竜の神秘を! この世の成り立ちを!!」


 芝居がかった仕草で手に持った経典を開き、ジェイデン司祭は実に生き生きとした口調で説法を開始する。

 僕は、彼のあまりの豹変ぶりに返事をする事も忘れ、ただただ顔をひきつらせながら成り行きを見守るばかりだった…………。

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