第十二話 廃れた教会にて

 サーシャの言う教会は、市場から続く裏路地の最奥にひっそりと建っていた。


 「こ、ここがそう、なの?」


 戸惑いが隠せない僕は、思わずサーシャに確認する。建物はみすぼらしく、庭も小さく、外枠を囲む柵も所々が錆びている。日当たりも悪く、まるで廃屋みたいだ。


 「そうよ。まぁ、教会っぽく見えないかも知れないけど」


 「教会どころか……」


 人が住んでいるようには見えない。狐狗狸の住処と言われたら信じてしまいそうな程に荒れ果てた佇まい。神の御加護どころか悪霊が出てきそう。

 喉まで上ってきた心の声を、僕は飲み込んだ。

 そんな僕の心中を察したか、サーシャが苦笑いを浮かべる。


 「これでも昔は賑わってたらしいんだけどね。だけど司祭様は本当に良い人だから、取って食われる心配なんか要らないわよ。コバの事も知ってるし。それに…………」


 と、サーシャは含み笑いをしながらいたずらっぽい目で僕を見る。


 「万が一何か危ない目に遭っても、さっきみたいにナオルがしゅぱぱーっ! ってカッコよく助けてくれるし!」


 「……いや、さっきのは本当に偶然だよ。もう一度やれって言われても無理だって」


 「またまた、んな事言っちゃって。そーゆーのってケンソンって言うんでしょ? 分かってるんだから」


 「…………」


 参ったな。サーシャの中で僕は変に評価を上げてしまったのか、それともただからかわれているだけなのか。全てはマルヴァスさんから借りた短剣のお陰だって言うのに。

 実際、今でも信じられないくらいだった。サーシャを守るためとは言え、短剣を抜き放ってローリスと切り結ぶなんて。自分にああいう事が出来たというのが驚きだ。つくづく、マルヴァスさんには感謝しないと。

 生暖かい目から逃れるように、僕はコバの方に目をやった。

 相変わらずサーシャに手を引かれ、俯き加減で肩を落としている。僕の視線に気付き、少しだけ顔を上げたが、目が合うとすぐに逸らした。

 警戒されているのだろうか? それとも、人見知りしているだけ?


 「さあ、中に入りましょう。早いとこ司祭様に相談して、良いお知恵を貰わないと」


 サーシャはコバと手を繋いだままつかつかと扉へと歩を進める。そして慣れた手付きで取っ手を掴むと、ためらいもせず手前に引いた。

 ギギィ……と軋む音を響かせ、ゆっくりと扉が開く。僕はサーシャの後ろから中を覗き込んだ。

 堂内は薄暗く、こじんまりとしていて奥行きもそこまでない。中央に伸びる朱色のロングカーペットを挟んで、左右にそれぞれ巡礼者用の長椅子が四つずつ置かれてある。

 奥の礼拝堂には粗末で飾り気の無い小さな祭壇が設えられており、その後ろには竜を象った彫像が鎮座していた。そこの天井にのみ天窓が取り付けられており、そこから降り注ぐ光が竜を包んでいた。

 静謐で、中々不気味……もとい荘厳な雰囲気ではある。あれだけ荒廃した外観に反して、中は割りかし綺麗に整えられているようだ。しかし…………

 

 「……あれれ? 司祭様、出掛けちゃってるのかな?」


 サーシャは堂内を見渡して首を傾げた。彼女の言う通り、肝心の司祭さんの姿が見えないのだ。

 なんてタイミングの悪い……。これじゃあ、さっきローリスに追われている時にここに逃げ込んだとしても、袋小路に追い込まれて詰んでいただろうな……。

 ありえたかも知れない最悪の筋書きに背筋を震わせつつ、僕はサーシャに尋ねた。


 「どうする? 戻ってくるまで待つ?」


 「ん〜、そうね。コバの手当てもしないといけないし、しばらく使わせてもらいましょ」


 そう言うとサーシャはコバを長椅子に座らせ、いそいそと礼拝堂の奥にある扉に向かっていった。


 「え〜っと、確か司祭様のお部屋に薬草とかあったハズ……」


 「ちょ、ちょっとサーシャ!? 司祭様のお部屋って、勝手に入ったらダメじゃない!?」


 「いーのいーの! 知らない仲じゃないんだし、司祭様だって必要なら好きに使いなさいって言ってくれてたもん!」


 気に留める素振りもなく、そのまま奥の部屋に消えてゆくサーシャ。そして、後には僕とコバだけが残される。


 「…………………………」


 「…………………………」


 き、気まずい! 沈黙が痛い!

 コバはこちらを見ようともしない。不自然に背を向けて縮こまってるだけだ。

 ただでさえ息が詰まるような場所だと言うのに、二人の間に漂う空気のせいで重苦しさが更に倍率ドンで上がっていってる。

 こ、これは耐え難いぞ。なんとかしなくては…………。


 「あ、あの〜…………」


 取り敢えずコミュニケーションの第一歩として、ゆっくりとコバに話しかけてみる。すると彼はビクッと肩を震わせてぎこちなく振り向いた。上目遣いで見上げてくる瞳のない白く濁った目には、はっきりと恐れと警戒の色が浮かんでいる。

 なんだかイジメているみたいに思えてしまい思わずたじろぐが、気を取り直し肚に力を込めて僕は言葉を続ける。


 「け、怪我……痛む? さっきほら、結構派手に転んでたし」


 「い、いえ……っ! ただの、かすり傷でございますゆえ……!」


 「そっか。大怪我じゃなくて良かったね」


 「は、はい……! お気遣いいただき、ありがとうございますです……!」


 緊張で顔も声も引きつらせながら、コバは大袈裟に何度も何度も頭を下げる。態度こそ卑屈そのものだが、さしあたり会話してくれる気はあるようだ。

 

 「ねえ、バタバタしてたし、そう言えば自己紹介もまだだったよね。僕はナオル。サーシャの宿で泊まらせてもらってるんだ」


 「ぞ、存じ上げておりますです……! ナオル様……!」


 「え? 知ってたの?」


 「も、勿論でございます……! サーシャ様、シラ様のお客様であらせられますから……! コバめも、陰ながらご奉仕させていただきました……!」

 

 そこまで聴いて、僕はようやく気付いた。

 

 「もしかして、昨夜薪を抱えて風呂場に運んでいたのは、君?」


 「さ、左様にございますです……! ナオル様に気付かれぬよう、細心の注意を払っていたつもりでありましたが……。も、申し訳ございませぬ! 醜いコバめの姿を御目に触れさせてしまいまして……!」


 「ちょっ!? ストップストップ! 僕は別に気にしてないからそんな事しなくて良いってば!」

 

 いきなり椅子から転げ落ちて土下座しようとするコバを、僕は慌てて押し留めた。

 なんて面倒なゴブリンなんだ……。ゴブリンってもっとこう、意地悪な目つきに小汚い肌をして、知能が低くてやたら攻撃的で、棍棒片手に道行く人を集団で襲うちっこいモンスター、といったイメージだったんだけど。


「そ、そう言えばさ! コバはどうしてあの市場に居たの?」


 コバの気分を紛らわす為に話題を変えようと僕は尋ねてみた。


 「はっ……! 実を申せば、薪の残りが少のうなって参りましたので、シラ様の許可を得て木材を買い求めに市場に出向いた次第でして……。このように肌を覆ってしまえば、街の皆様方もコバめを人間の子供と思って下さいますので……」

 

 そう言ってコバはパーカーのフードを被り直した。よく見ると袖も裾もコバの体躯より結構長めになっている。フードを目深に被り、直立していればゴブリンの肌もすっかり隠れてしまい、一見しただけでは誰もコバとは分かるまい。動きやすいかどうかは別として。

 なるほど、と僕は心の中でひとり頷く。でも今日はうっかりローリスにぶつかってしまったと。


 「以前にも幾度か経験がありますゆえ、此度も問題なく買い付けられると思っておったのですが……。コバめの不注意から、ナオル様には大変なご迷惑を……!」


 「迷惑だなんて思わないよ。僕がしたくてやった事なんだから。サーシャとコバが無事ならそれで良いんだよ」


 「ああ、なんと恐れ多いお言葉……。不浄なコバめにはもったいのうございますです!」


 「不浄って大袈裟な。サーシャが聴いたら悲しむよ。そりゃ昔は奴隷だったのかも知れないけどさ、今はあの宿の従業員でサーシャの弟みたいなものなんでしょ?」

 

 ひたすら畏まるコバをリラックスさせようと思って言った言葉だった。

 ところがコバは、まるで雷にでも打たれたかのように瞠目してそれを否定した。


 「サ、サーシャ様の!!? このコバめが!!? めめめ、滅相もございませぬ!! コバめは奴隷でございますです!! グラス様が身罷られる直前に、司祭様の仲介でシラ様にコバめを譲渡なさいました!! それ以来、コバめの主はシラ様、そしてサーシャ様にあらせられます!!」


 「え? 今でも奴隷のままなの? シラさんはコバを解放してないの?」


 「かかか、解放!!!??」


 元々青みがかっていたコバの顔が更に蒼白になった。そばだたせていた尖った耳までも血の気が失せ、苦しげな呼吸を繰り返し、胸を手で抑え必死で自分を落ち着かせようとする。


 「コ、コバめは……! コバめ、は…………っ!」


 眦を下げ、震える唇を何度も何度も開こうとしてはその都度言葉を飲み込む。尋常な反応ではなかった。


 「落ち着いて! ほら深呼吸深呼吸!」


 背中をさすってあげるべきだ、と心の底で気遣う気持ちが沸き起こるが、コバの人とは違う異形の姿と予想外の奇態に思わず二の足を踏んでしまう。結局、僕は引き気味に声を掛けるだけだった。


 「一体どうしたっていうの!? 奴隷から解放されるのってそんなにまずいの!?」


 「コバめは……! コバめには、ご主人様が全てでございます!! ご主人様のご要望を叶える事だけが、コバめの望みでございます!! ご主人様がその生涯を終えられるなら、コバめもお供仕るべきでございました!! 生まれた時から、それは定めだったのです!! それなのに、ああ…………! グラス様……!」


 みすぼらしく痩せ細った両手で顔を覆い、コバは慟哭した。


 




 「あなたは何故、コバめに“生きよ”とお命じになったのですか!!!?」





 「コ……バ…………」


 血を吐くような叫び。コバのあまりの狂乱ぶりに、僕はただ呑まれるしかなかった。


 「コバ!!」


 こちらの異常に気付いたのか、サーシャが奥の部屋から飛び出してきた。ローリスから庇った時のように、床にうずくまるコバの傍にしゃがみ込み、上から覆い被さる。


 「ああ…………! サ、サーシャ……さま……っ!」


 「よしよし、大丈夫よ……。あたしはここに居る、ご主人様はここに居るわ、コバ。何処にも捨てたりなんかしないから。コバはずっと、あたしと母さんに尽くしてもらうから。グラス様は死んじゃったけど、あたしはコバよりもっと長生きするわ。だから、そんなに怯えなくても良いのよ……」


 むずがる子供をあやす母親のように、サーシャは優しくコバを抱きしめ、その禿げ上がった頭を撫でる。

 それは、奇妙で歪で…………それでいて、何処か神々しささえ感じる光景だった。


 「……ごめん、サーシャ。よくわからないけど、僕がコバを傷つけちゃったみたいなんだ」


 「……コバはね、生まれてからずっと奴隷として生きてきたの。親の代から続く、奴隷のゴブリン一家。だから他の生き方なんて知らないし、望んでもいないの。怖いのよ、この子は。自由になるのが」


 「そう、だったんだ…………」


 「ごめん、やっぱり昨夜、変に隠そうとしたりしないでちゃんと紹介しておけば良かった」


 「そうしなかったのはどうして? コバが嫌がったから?」


 「それもあるわ。だけどそれだけが理由じゃない。ナオルがコバを受け入れてくれるか分からなかったの。もし気持ち悪がって、衛兵に通報でもされたら……って不安だったから」


 「気持ち悪がるって、そんな……」


 と、言い掛けてハッとなった。ついさっき、まさに自分はこのコバに触れるのをためらったじゃないか。その人とは違う姿に、恐れと侮蔑の感情が無かったかと言われれば…………。

 いや、違う! 僕は差別主義者じゃない!

 僕は頭を振ってその考えを追い出した。


 「そ、そもそもコバって今はサーシャの奴隷って扱いなんでしょ? さっきローリスから逃げてる時も思ったけど、どうして衛兵に知られるのはダメなの? コバに関する権利って全部サーシャとシラさんに保証されてるんじゃないの?」


 「それは…………」


 と、サーシャはそこで口ごもる。どうしたんだろう? 何か言いにくい事情でもあるんだろうか?







 



 「それに関しましては、私の口からご説明申し上げましょう」









 不意に、背後から声を掛けられた。

 驚いて振り向くと、質素な青黒い祭服を纏ったひとりの老紳士風の男が、いつの間にやら開け放たれたままの教会の入り口に佇んでいた――。

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