第十話 決死の説得

 「次から次に……。何だァテメェ!!」


 「……………………」


 目の前に立ちはだかる僕を睨めつけ、苛立たしげに声を荒げる鎧の男、ローリス。

 凄まじい威圧感にさらされ、僕はごくり、と思わず唾を飲み込む。

 やってしまった。他人の揉め事に首を突っ込んでしまった。後でマルヴァスさんに謝るべきだろうな。……“後”があれば、だけど。

 

 何の行きがかりもないゴブリンだけなら、恐らく「可哀想」とは思いつつも、こうやって身を挺したりはしなかっただろう。

 だがサーシャは違う。出会って一日も経っていないけど、彼女はもう僕の友達だ。それが殺されそうになっているのを見た瞬間、僕の頭は真っ白になった。気付いたら、こうしてサーシャとローリスの間に割って入っていた。


 後悔は、していない。いや、する余裕すら今の自分には無いのかも知れない。

 僕は、首のロケットペンダントを握り締め、懸命に恐怖心を抑えて震える唇を開いた。


 「やめて下さい! こんな事……っ!」


 声にまで震えが表れなかったのは褒められていいと思う。

 僕は両脚を踏ん張り、背筋を伸ばして真っ直ぐ相手の顔を見る。精一杯の虚勢を張って、圧倒されそうになるのを堪えた。


 「やめろ、だと? 何様のつもりだ、テメェ! 誰に向かって口利いてるか、分かってるんだろうな!?」


 ローリスは抜き放った剣を掲げ、剣先を僕に向けてきた。そのまま心臓を貫かれそうな気がして、僕はもう一度唾を飲み込む。ペンダントを握る右手にますます力が篭もる。


 そっと、左手を腰に伸ばす。そこには、昨夜マルヴァスさんから借りたあの短剣が差してある。グリム・ハウンドの前脚を容易く斬り飛ばした彼の姿が脳裏に蘇る。

 ドワーフの手で造られた魔法の武器。本当に斬りたいと思った対象だけを斬る反則級の効力。それならば、ローリスの剣だけをへし折って彼を無力化出来るのでは…………。


 「(……いや、無理だな)」


 心の中で頭を振る。それが出来れば苦労は無いんだ。

 いくらこの短剣が凄かろうと、それを扱う僕は全くのド素人。対してあちらは(本人の弁の通りなら)数多の戦場を潜り抜けた百戦錬磨の猛者だ。力も、技量も、経験も、ついでに得物の間合いも、何もかもが問題にならない。公園でカイル相手にちゃんばらお遊戯を演じたが、あの時は木の棒でも今度は正真正銘の白刃である。

 満足にこの短剣を振るう事も出来ずに斬殺されるのがオチだろう。


 だったらこの状況、どう切り抜けるのか?非力でひ弱な僕に出来る事。

 土下座?いいや、違う。それは…………











 「あなたの剣は、善良な市民を斬るための物なんですか!!?」







 ローリスは虚を衝かれたように目を見開いた。心の動揺が腕に伝わり、掲げられた剣を微かに揺らす。

 僕はその様子に確信を抱き、更に言葉を続ける。




 「あなたは、兵士となって帝国との戦争に参加したんでしょう!? この国を守るために! この国に住む人々を守るために! あなた方が血と汗を振り絞り、歯を食いしばって必死に戦ったからこそ、今の平和があるんじゃないですか! そのあなたが、どうして守るべき市民に剣を向けるんですか!?」


 勢いに任せて一気にまくし立てる。僕の一言一言を受ける度、ローリスの顔が苦悶に歪んでゆく。






 『いいかナオル。いくら相手が間違っているからと言って、それをそのまま頭ごなしに否定しちゃダメだ。余計に話がこじれるし、逆ギレを誘ってしまうかも知れないからな』


 頭の中で、かつて兄さんに言われた言葉が浮かぶ。


 『相手にも立場がある。自分が正しいと信じるのは大いに結構だが、その上で出来る限り相手の身になって考えを巡らしてみるんだ。相手が聴く耳を持っているなら、きっとそれで場を収められるから』


 



 まだ小さかった頃、僕はよく友達と喧嘩をした。

 どっちが悪いとか、こっちが正しいとか、些細な切っ掛けにも関わらずお互い意地を張り合って中々決着がつかない事が多かった。

 そして、あわやもう少しで手が出るというところで、いつも兄さんが現れて仲裁してくれたんだ。


 兄さんは決して頭ごなしに叱ったりはしなかった。僕の話も、相手の話もちゃんと聴いた上で、双方の面目が立つように取り計らってくれた。

 兄さんの声を聴くと、昂ぶった感情は不思議とすぐに鎮まった。

 友達と仲直りして別れた後、兄さんは毎回口癖のように僕に説教したものだ。


 当時は兄さんの言った事の意味が殆ど理解出来なかったが、今なら少しだけ分かる。


 この目の前の落ちぶれた男、ローリスにだって立場があり、事情がある。彼が『聴く耳』を持っていると信じて、全力で説得するんだ!

 最悪、彼の怒気が収まらなくても時間稼ぎにはなる!






 「ローリスさん。僕達が今、こうして日々の平和を享受出来ているのは、まさしくあなた方が剣を執って立ち上がってくれたお陰なんです! それについては感謝してもしたりません! ですが、そのあなたがこうして理不尽な狼藉を働くのなら、どうして僕達はこれまでと同じようにあなたを尊敬出来るでしょうか!?」


 「……ガキが、知ったふうな口を利きやがる。今更…………今更感謝だァ!? ふざけんじゃねェ!! どいつもこいつも、軍をほっぽり出された俺に何一つしちゃくれなかったくせによォ!!」


 俯き加減だったローリスだが、突然弾かれたように顔をあげると唾を飛ばすような勢いで喚き散らす。鬼気迫る表情は、しかし何故だか泣き出す寸前の子供のようにも見えた。


 「分かります。僕達は“守られるべき弱い存在”という立場に甘んじて、矢面に立ってくれた兵士さん達に縋るばかりでした。あなたが苦しんでいる時に誰も手を差し伸べなかったのは、申し訳なく思っています」

 

 サーシャから聴いた話だと、マグ・トレドの市民達もかつての戦争でこの街を守るために武器を手にした訳だから、今のセリフは彼らへの失礼に当たるかも知れない……。が、嘘も方便だ。


 「ケッ! 偉そうに! ここらへんに集ってやがる連中の代弁者にでもなったつもりかよ!? 同情するフリをしてりゃあ、俺が許すとでも!?」


 ローリスは路上に唾を吐き捨てると、憎々しげに僕を睨みつける。しかしその態度は、僕の言葉に耳を傾けている事の証拠でもある。

 僕は、少し攻め手を変えてみる事にした。


 「このゴブリンがあなたに無礼を働いた事はお詫びします。ですが、このまま感情に任せてゴブリンを斬り捨てても、却って不利益を被るだけなんじゃないですか?」


 「余計なお世話なんだよ!! ゴブリンなんぞ、犬畜生と同じだ! 一匹二匹殺したところでお咎めなんざねェ! ましてやそいつの主人は、もうとっくに死んじまってるんだからなァ!」


 ローリスの鋭い眼差しが、僕を通り越して背後に向けられる。


 「ううぅ……」


 「コバ…………」


 コバと呼ばれたゴブリンが漏らす呻き声と、サーシャの彼を気遣う声が交錯する。振り向いて様子を確かめたいところだけど、目の前の脅威から目をそらす勇気は無い。

 代わりに、彼の矛盾点を突いてやる事にする。


 「確かに、奴隷のゴブリンがひとり消えても誰も痛くも痒くもないのかも知れません。ですがサーシャは? 彼女はこの街に住む市民ですよ。それを不当な理由で斬り殺したら、あなたには重罰が科せられるんじゃないんですか?」


 「………………………………」


 図星だったのか、ローリスは苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべて声を詰まらせる。どうやら少なからず冷静さを取り戻しているみたいだ。

 よし、これならいける。一気に畳み掛けよう!


 「ローリスさん。あなたはさっき、『功績のある自分は騎士に叙任されて当然だ!』みたいに仰っていましたよね? あなたが憧れた騎士とは、こうしてか弱い市民を無闇にいたぶる人達なんですか? 違うでしょう? 騎士ってもっと気高く、誇り高いものでしょう? だったら、あなたもそうあるべきなんじゃないですか? 気持ちまで落ちぶれてどうするんですか!」


 言ってて自分でも『あれ? なんかおかしくないか?』という思いが頭の片隅をかすめたが、勢いに乗った僕の舌は止まらない。なんとしてもこれでローリスを丸め込まなければもう後がないんだから。


 「いいぞいいぞー!」


 「あの坊主、中々言いやがるぜ」


 「えっ? 小娘じゃないのか?」


 「阿呆、声で分かるだろうが。あんな野太い声した女がいるか」


 「ローリス、もうやめとけー!」


 「そうだそうだー!」


 「てかあっちのゴブリン庇ってる子、可愛くね?」


 周りの野次馬たちが口々に囃し立てる。頼むから黙っていてくれ、こっちは必死なんだ!


 「どうか剣を引いて下さい! 御自分が騎士に相応しいと思っていらっしゃるのなら、ここは度量の広さを示すべきでしょう! それとも些細な諍いを大事にして、お縄になりたいんですか!? そんなのつまらないでしょう!?」





 「……うるせぇぇぇぇ!!!」





 あっ、やばい! ローリスの叫びを聴いて、僕は自分の失敗を明確に悟った。

 さっきの物言いは完全に説教になっていた。自分より年下の子供に、あんな上から目線の言葉を連続でぶつけられればそりゃキレる。

 相手を慮っているつもりが、やりすぎてしまった。兄さんの言うところの『頭ごなしの否定』になってしまっていたんだ。


 ローリスが憤怒の形相で剣を振りかぶる。一切の迷いを捨て、僕を一刀両断にしようとしている。


 「ひぃぃっ……!!?」


 無駄だと知りつつも、僕は両腕を上げてそれを防ごうとして…………


 




 「ナオル! こっち!!」






 上げかけた腕が途中で何かに掴まれ、そのまま横に引っ張られる。強い力だった。


 「えっ!? うわっ!!」


 重心を持っていかれ、体勢を崩す。直後、寸前まで僕の頭があった位置をローリスの大剣が唸りを上げて通り過ぎた。一瞬でも遅かったら、僕の頭は割られたスイカのようになっていただろう。


 「走って! コバも!!」


 サーシャの鋭い声が飛ぶ。僕の腕を掴んだのは勿論彼女だ。悲鳴を上げて逃げ散る野次馬達の間に見える細い路地に向かって彼女は走ってゆく。僕も引っ張られるがまま、それに続いた。

 ふと隣を見ると、あのゴブリンも慌てふためきながらしっかりと付いて来ている。





 「待ぁぁぁぁちやがれぇぇぇぇぇぇぇ!!!」




 獣のような咆哮が背後で上がる。足を止めずに振り返ると、髪を逆立て血眼になったローリスが、ドスドスと地面を踏み荒らしながら追ってきているのが確認できた。


 「(サーシャに街を案内してもらう筈が、こんなトラブルになるなんて……!)」


 いや、ぼやくのは後だ。僕は心の声を抑えて、サーシャの手をしっかりと握り返した。

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