第九話 ゴブリンと落ちぶれた戦士
目の前で繰り広げられている光景は、俄には信じがたいものだった。
幅広の剣を腰に帯び、ボロボロの鎧を着た仁王立ちの長髪男。睨めつける先には、こちらも同じくボロボロの衣服を纏った小柄なゴブリン。
一体どんな状況なんだ? あの二人の間に何があったんだ?
「もも、申し訳ございませんです! コバめの不注意でぶつかってしまい、戦士様には不快な思いをさせてしまいましたです! どうか! どうかご堪忍して下さいです!」
尻餅をつき、怯えたように鎧の男を見上げていたゴブリンが、ふと我に返ったのか弾かれたように姿勢を正した。土の上に正座して、両手を顔の前でこすり合わせてひたすら鎧の男を拝み倒す。
「ふざけんなテメェ!! さっきから同じ事を何度も何度も……! 謝れば済むと思ってんのか!? 奴隷風情が、高貴な騎士である俺に非礼を働いといてよぉ!!」
「まことに! まことに、心の底から悔いておりますです! 不潔なコバめが、戦士様にお触れしてしまうなど……! ですからどうかお許しを! 何卒お慈悲を賜りたく……!」
泣きそうになりながら必死に許しを請うゴブリン。傍目にも気の毒な程、痛々しい有様だった。しかしながら、その卑屈とも言える態度が逆に鎧の男の怒りを助長しているようにも思える。
「なんだなんだ?」
「ありゃあ、義勇兵くずれのローリスじゃないか?」
「そうだ、気狂いのローリスだ!」
「おいおい、あいつまた揉め事起こしてるのかよ」
「おい、あっちのゴブリンもグラス様の奴隷だった奴じゃないか!?」
「本当だ……! 亡くなられたグラス様の後を追ったって聴いてたが、生きてたのかよ!?」
野次馬が集まり始め、鎧の男とゴブリンを遠巻きに囲みながら姦しく会話を交わす。その内容を鑑みるに二人共有名人のようだ。
自分を指差す民衆の存在に気付いたゴブリンが、その視線を防がんとするように恐る恐る首元に手をやってフードを被り直す。
なるほど、あまりにもみすぼらしくて分かりにくかったけど、どうやらパーカーのような衣服を着ているらしい。普段はああやって素顔を隠していたのに、ぶつかった拍子に脱げてしまったのだろう。
一方でローリスと呼ばれた鎧の男は、周囲の様子など眼中にないとばかりに態度を改めようとしない。腰に帯びた幅広の剣の柄を拳で叩き、更に言い募る。
「おいゴブリン! 俺はお前を知ってるぞ! マグ・トレド一の猛将グラス! 馬上でふんぞり返って威張り散らしながら闊歩するあいつの後ろを、背を丸めてへこへこ付いて行ったお前の姿を何度も目にしているんだ!」
「あ、ああ……。グ、グラス様……!」
「討ち死にしたあいつに従って冥府まで行っていれば良かったものを。殉死は奴隷の務めだろうが!」
「グラス様……グラス様…………! 違います!違います!! 戦士様は誤っておられますです! グラス様は戦場で斃れられたのではありませんですっ! おいたわしや……。深手を負われ、寝たきりになられて、そのまま回復する事なく…………」
グラスという名前に対するゴブリンの反応は大きかった。俯いて口の中でボソボソと呟くだけだったのが、突然背筋を伸ばしキッとローリスを睨みつけて反論した。……かと思えば、次の一瞬には再び痛ましげに顔を歪めて地面に崩折れてしまう。
「うるせェ!! そんなもん、どっちでも良いんだよ!!」
「……ハッ! コ、コバめはまた……!? も、申し訳ございませんです! グラス様の最期のご様子を、正しくお伝えしたいだけだったのです!!」
「テメェ、舐めてんのか!? この俺を誰だと思ってやがる!! ダナン王国一の勇者、“鉄火のローリス”だ!! 踏んだ戦場は数知れず、先の戦争で獲った首級は五百を下らねぇ! 常に敵陣へ一番乗り、それが俺だ!!」
ローリスは親指で自分を差し、居丈高な語り口で得意気に胸を反らす。それに対して人集りの中から「また始まったよ」「やれやれ……」といった声が挙がった。
それに気付いていないのか、あるいは気付いていても無視しているのか、ローリスの舌は回転を止めない。
「ヒメル山の戦いだってそうだ! 俺は歯向かう帝国の雑兵共を叩き斬っては踏み付け、返り血で染まりながら快進撃を続けていたんだ! 山頂から《
次第に話が脱線していく。ローリスは自分の演説に酔い痴れて、勝手にどんどん興奮を高めていっているようだ。
しかし、《
「俺は英雄だ! 命を張って戦った! 誰よりも敵を殺した! 勝利のために! この国のために! …………それなのに、それなのにだ! はした金だけ投げ渡してお払い箱たぁどういう料簡なんだ!!」
この人は一体何に怒ってるんだ? 目の前のゴブリンがぶつかった事に腹を立ててた筈なのに、今やその怒りはこの国に向けられているようにしか見えない。どうしてそこまで飛躍するんだ?
「俺は功労者だ! 輝かしい勲功があるんだ! 騎士に取り立てられて然るべきだ!! なのに、何で誰も認めねェ!? 何で国王は俺を無視する!? 何でどいつもこいつも馬鹿を見るような目で俺を見やがるんだ!!!」
……聴くに耐えない。土の上に這いつくばったゴブリンが不憫に見えたが、このローリスという人もそれに負けないくらい憐れな存在に思えてきた。
周りの野次馬達は、中には眉をひそめる人も居たものの、大半はニヤニヤと嘲るように嗤うだけで誰も止めに入ろうとしない。奴隷と落伍者の諍いなど、好奇心を満たすための見世物程度にしか思っていないのか。
この街の治安は悪くない方だ、とマルヴァスさんは言っていたけど、これで『悪くない』というレベルなのか……。
いや、このままでは僕もあの群衆と同類だ。何か打つ手は…………そうだ! 見回りの兵士さんとかが居るじゃないか!
どうしてもっと早く気付かなかったんだろう。こういう揉め事を解決するのは彼らの仕事だ。どうにか探して、この事態を収拾してもらおう。
血の巡りの悪い自分の頭を軽く拳骨で小突きつつ、兵士さんを探しに行こうとした時だ。
「挙句の果てに、奴隷まで俺をコケにしやがって……」
一際低いトーンの、呪詛かと聞き紛う言葉が僕の足を止めさせた。
渦中の二人に目を戻すと、ローリスが剣の柄を掴んでいるところだった。
「思い知らせてやる……!」
やばい……間に合わない。数秒もしない内にあのゴブリンは斬られ…………
「待って!!!」
僕は耳を、次いで目を疑った。
野次馬の中から飛び出してきた人影が、ゴブリンを庇うように二人の間に立つ。それは紛れもなく…………
「サ、サーシャ様!!? いけませんです! お戻り下さいです!!」
驚愕したゴブリンが慌てて押し止めようとするのを無視して、サーシャはその場に跪く。そして必死の形相でローリスに懇願する。
「この子は、コバは、あたしの家族なの! 粗相をしたと言うなら代わりに謝るから! だからお願い! 傷付けるのはやめて!!」
「何だ女ァ! 邪魔するんじゃねェ! そこをどきやがれ!!」
言い終わると同時にローリスが腰の剣を抜き放つ。陽の光を反射して、白刃が妖しく煌めいた。
サーシャは怯まない。決然とした顔で顎を引く。
「どうしてもこの子を許せないと言うなら、先にあたしを斬って!!」
「生意気抜かしやがる! お望み通り、先に逝かせてやらァ!!」
ローリスが一歩踏み出し、剣を振りかぶろうとした。
「…………あァ!? 今度は誰だ!!?」
「…………………………」
「ナ……ナオル!?」
どうしよう、と考える間も無かった。身体が勝手に動いていた。
気付いたら、目の前には大剣を構えた鎧姿の大男。後ろ姿しか見えなかったのが、今は真正面から向き合っている。鋭い、しかし何処か胡乱な眼差しに、いくつもの古傷。重ねてきた戦歴を感じさせる偉丈夫の姿が目と鼻の先に屹立していた……。
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