第30話 匿名動画のコメント欄

 《この動画を公開する動機のうちに、私怨が一切ないのかと問われれば、正直否定はできません。でも、私が所属する組織に対し、もし希望を失っていたら、このような行動には出なかったと断言ができます。


 私は群馬県に本部がある医療法人二宮メディカル・ホスピタリティの従業員です。静止画像で映っているのが、我々の本部が入居するビルです。家族に迷惑が掛かるといけないので、名前は控えさせてください。


 顔も出せません。また音声は加工させていただきます。お聞き苦しい点があると思いますが、どうかお許しください。


 当法人の前理事長は長年に渡り、不適切な会計処理をするよう、現場に指示しておりました。まず前理事長の元配偶者の資産管理会社に対し、業務の発注を行ったかのように装い、毎年1億円の外注費を計上しています。同様にマンションや車両の購入資金を法人の経費として計上する私的流用も行っています。地域医療に携わる公的な性格を帯びた法人のガバナンスには大きな問題があるにもかかわらず、監督省庁や自治体は現状を見て見ぬ振りをしているのです。


 問題はほかにもあります。前理事長は先日、体調不良により退任いたしましたが、新たに理事長に就任したK氏は、過去に勤務していた銀行の取引先である医療法人との経営統合を模索しています。その議論をした証拠を公開すると、情報提供者が不利益を被る恐れがありますので、控えさせていただきますが、決して妄想で話している訳ではございません。相手はともあれ、K氏の計画については、一部の幹部の間で暗黙の了解があったというのも聞いています。


 統合後も私達の働く場所が確保され、安定した収入が得られるのならば、何の問題もないでしょう。残念なことに、経営統合を前に、二宮メディカル・ホスピタリティでは大規模な人員削減が行われる計画となっています。固定費の削減で利益体質を強固なものにすることが、統合の条件となっているからです。その人選が間もなく始まろうとしています。対象は40歳以上で、間接部門が中心となります。


 おそらくK氏や、K氏を取り巻く幹部らは、統合後の法人でもそれなりのポストを与えられることになるでしょう。組織というのはそういうものだと言われればそれまでかもしれません。


 ましてや不正会計が行われてきたような会社です。一定の職能を備えた人間の前に、もっと条件のいい、働きやすい職場が用意されるのであれば、そちらに移ることを止めるようなことは困難であるのも確かです。


 ですが、人口が減少し地方の経済が疲弊するなかで、地方の特定の場所でしか生活できない人間がリストラされたら、どうなるでしょう。再就職は容易ではありません。持家を手放さなければならない人間だって出てくるでしょう。家族がバラバラになることだって十分あり得る話です。


 この動画をご覧になっている方の中には、二宮メディカル・ホスピタリティの関係者もいるかとは思います。組織には問題があります。このままでは我々の前途は決して明るいものではございません。どうかこの動画の内容を、職場の同僚の方と共有してください。そしてK理事長の思惑通りに物事が進まないよう、リストラには断固反対しましょう。


 人事経理部に所属している人間には、リストラの実行に協力的な立場を示せば、昇格などのインセンティブが与えられるかもしれません。しかし、私達、医療従事者が守るべきなのは、私利私欲に縛られた資本の論理ではありません。患者様や入居者様の皆様の命です。最先端の医療設備も大切ですが、患者様や入居者様の抱える不安を少しでも和らげ、生きていてよかったのだと感じてもらうには、人間の力に頼らざるを得ない部分がどうしてもあるのです。


 人間の力を正しい方向で用いるには、しかるべき管理体制が必要になるのは言うまでもありません。それでも人を切らなければならないのであればまず、今まであった不正経理を明るみにし、二度とそういったことが起こらないような体制を整えてからではないでしょうか。


 最後に、これから二宮メディカル・ホスピタリティで働こうとしている方がもしいらっしゃれば、今回の動画は、不安を与えるものになったかと思います。社員の1人として深くお詫び申し上げます。動画を公開した結果、物事がどのように進むのか、私自身は全く読めません。ある意味、無責任だと言われても仕方がありません。


 私は、一緒に働く仲間一人ひとりの献身的な姿勢に深い敬意を抱いています。治療が必要なのは現場の従業員ではなく、経営陣の、ごく一部の人間の考え方なのです。入職後、戸惑われることがあっても、初心を忘れることなく、患者様、入居者様の支えになってください。きっとご活躍できるはずだと信じております》 


[これ、知る人ぞ知るYouTuber、にょほりんの実家。本人が言ってた話から推測するに辻褄が合う。過去の発言はコチラから↓]


[うわ、マジっぽい。にょほりん、初めて見たけど、やらかしたね]

[これはイタイ(>_<)]

[このコ、実家太すぎ。なんかむかつく]

[あー、中学校のときいたわコイツ。いつの間に消えたけど]

[なんかまとめサイトで取り上げられとる。そこまでの登録者数か? このコ]

[あたしも知ってる。すげー陰キャだったわ]

[親の七光りか、ショック。可愛かったけど、もー前のようには見れないな]

[こっちのコの方が好み。ちぬたんチャンネル]

[ちぬたん可愛いじゃん!]

……。


 ──平日朝のゴルフ練習場でクラブをスイングする人間はまばらだった。その1人に、頭髪がすべて抜け落ちた丸顔で太鼓腹の男がいた。鼈甲の眼鏡が掛かった眼光はそれでも鋭く、目尻にかけて吊り上がった眉の形状はこの男の気の強さを示していた。ピッチングウエッジを手にし、小さく素振りをしていた勝見の携帯電話が鳴った。声の主は勝見の秘書で、理事に昇格したばかりの能田からだった。


 「例の動画投稿に関連して、G新聞からの問い合わせを受けています」

 「地方紙1社だけか?」


 勝見は以前勤めていた地方銀行で、広報部門に在籍していた過去があった。


 「今のところはそうです。リストラの可能性について事実関係を確認したいと言っています」

 「私的流用なんて、やっているところは多いからな。動画の内容が事実と異なる場合は法的措置を検討する。リストラ策については検討した事実はない、と回答すればいいんじゃないか」

 「承知しました」


 勝見は電話を切ると、再びピッチングウェッジを手にし、人工芝のマットの上に自動で送り込まれたゴルフボールと対峙した。10球ほどアプローチの練習をすると、また能田から携帯電話が掛かってきた。


 「今度はどうした?」

 「税務署から電話が来ています」

 「時村に任せればいいだろう。彼は有能だよ」


 能田は黙った。


 「時村がまずいのか?」

 「経理の細かいところを知っている人間が数えるほどしかいないのは、理事長もご存知かと思います。情報の出元がそのまま内部告発者だとは限りませんが」


 もともと人事を長く掌握していた時村が、経理部長を兼務するようになったのは最近のことだった。前任の経理部長が急遽、退職したためだった。


 「分かった。私が戻って、直接対応をしよう。税務署の職員が来たとしても、我々を相手にするような人間は、きっと世の中のことを何も知らない若造だろう」


 勝見は電話を切り、ゴルフクラブを片付け始めた。

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