第24話 北浜イタリアン

 山崎澄夫はアパートに戻るとシャワーを浴び、グレーの無地のスウェットに着替えてから、ノートPCを起動させた。窓の向こうから快速電車の走行音が風に乗って響いてくる。


 中途半端な時間に眠りに落ちたため、普段よりも遅い時間まで起きて調べ物でもしようと考えた。まず共同企画で取り上げる企業の選定だ。以前、川本が紹介してくれた地域産業振興団体の幹部から、ニッチな分野で高い競争力を誇る全国の中小企業をリストアップした500ページ以上もある冊子を譲り受けていた。ざっとではあるが目を通してあり、気になる企業のページには付箋が貼ってある。改めてインターネットを使って企業のホームページを確認し、視聴者が関心を持つのはどこか吟味することにした。


 分かりやすさを重視するなら一般消費者を対象とした独自製品を生み出した会社になる。しかし事例はそれほど多くはない。あとは宇宙、スポーツ、医療に関連した製品、または技術になるだろう。新聞社に勤めていた時代は、国内メディアが過去に取り上げた記事のデータベースを自由に活用できた。今の立場ではリソースは限られており、国会図書館にも頻繁には足を運べない。頼りになるのは己れの嗅覚しかない。


 気が付くとノートPCの前に座ってから2時間以上経っていた。候補に入った企業には連休明けに電話をして、取材を申し込むことした。ある程度、目星を付けた後は、二宮麻友の母が経営する医療法人の名前を検索するつもりだったが、腰や肩に疲労を感じ始めていたこともあり、ソファーで横になり、一度目を閉じた。


 頭に浮かんだのは高校の教室だ。梅雨時で空は曇っていた。


 どの大学を受験するのか、保護者を交えて担任の教師と面談する予定になっていた。なぜそんな記憶が蘇ってくるのかよくわからない。年下の女性と語り合ったことが、もしかしたら関係しているのかもしれない。


 悪い意味で自己責任と個性という言葉がもてはやされていた時代だった。山崎が通っていたのは、スポーツ活動に特化していたわけでも、有数の進学校として認知されていたわけでもない、学業面では可もなく不可もない人間が集まる県立高校だった。


 面談には母のとみ子が横にいた。専業主婦で外出することの少ない母の口紅が鮮やかな色合いで、クローゼットの中に眠っていたワンピースの肌の露出が多いのには違和感があった。同じクラスにいた女子の保護者が、とみ子の通った高校の美術部の先輩で、偶然にも同じ日に面談が入ったため、帰りに2人で喫茶店に立ち寄ることにしていたのである。その朝の父はひどく不機嫌だった。


 とみ子は10年遅く生まれていたら、大学に行っていたとよくこぼしていた。大学に行ってどのような人生を歩むかよりも、まず大学に行きなさいと言っていた。父は表面上は、息子の人生は息子が決めるものであって、親がともかく口を挟むべきではないとの態度を保ち続けた。本音は大人になってから分かった。やはり父にも期待というのがあって、社会に危害をもたらす人間にはならないでほしい、特定の政治や宗教に傾斜せずに適度な収入を得る立場となってもらい、自分は安穏に余生を過ごしたい、というものであった。


 面談前に提出を求められた調査票では志望校を記入する欄があった。自分の学力と照らし合わせ、どの大学の何学科を受験するのが適切なのか自ら決めることを求められていた。


 山崎は志望校を絞りきれず、理系なのか文系なのか、さらには私立なのか国公立なのかすら、選択することができずにいた。医者の子どもが医学部を目指したり、書家の子どもが文学部を志望したりする。世襲は武器なのかもしれない。地方公務員の親が土地を持っているのなら、不動産を勉強するのは悪くはないだろうと思い、とりあえず関西の私立大学の経営学部を志望した。


 「そこにほんまに行きたいんか?」


 担任教師は今の学力では難しいだろうと言い、決心の度合いを聞いてくる。本当に行きたいのかと言われれば正直どちらでもよかった。


 とみ子は、大学に入ってからやりたいことを探せ、と言う。山崎はただひたすら、面倒くさいと思った。減点主義の日本社会で、選択ミスを挽回するのは困難を伴う。自主性を求めるなら、失敗があってもいくらでもやり直しが効くリセットボタンがあってほしいとさえ思った。やがて教師の世界しか知らない教師と公務員の世界でしか生きられない父と、専業主婦の世界に身を置き続ける母に何を聞いても無駄だと考えるようになり、市立図書館で閉館時間が訪れるまで脈絡もなく本を読み漁った。自分がしっくりくる分野を探しているうちに、冬になり、結局浪人することとなった。


 父母は嘆き悲しみ、親同士の教育方針に不一致があったのが、失敗の原因だとして互いを罵り合った。息子を大阪市内の予備校が用意する寮に追いやった後は、相互不可侵条約が締結されたようで、口を聞かなくなってしまった。とみ子は折りにふれて息子の寮に電話をし、近況を訪ねていたが、父は静観を崩さなかった。


 その息子は息子で授業に足を運ぶことはなく、誘惑の多い大阪で、体臭が入り混じる図書館で本を読んだり、古い映画を観たりしている。目の前の壁から目を反らし続けた結果、さらに1年浪人することが決まった。


 不合格通知が出揃った日、とみ子は大阪の寮に駆けつけ、息子の顔を見ると泣き崩れた。予備校の職員が泣き止まぬ彼女に胸を潰し、管理人室のベッドで少し横になるように促すほどだった。


 「自殺でもするんやないかと、心配で心配で」


 とみ子はベッドのシーツを涙で濡らし続けた。涙が乾いたその日の夜、2人は北浜駅に近い洋食レストランで夕食をとった。質素な暮らしをする山崎の家には十分、敷居の高さを感じさせる店だった。


 「あたしここのパスタ前から食べたかったの」

 「親父は何してん?」

 「知らん。最近しゃべってないもん」

 「家おったら暇やろ?」

 「別に、油絵サークルに話し相手おるし。……お父さんはな、そんなに怒ってないで。もう諦めとるのんとちゃう? 昇進しはったみたいで、忙しくて家のことまで頭働かんらしいわ」


 スプーンを持つとみ子の左手から指輪は外されていた。


 「お父さんが諦めてもな、お母さんはずっと味方やんか。2浪は想定外やけど、学費はお父さんと何とかする。東京の大学にいきたなったら、目指せばええ。生きてさえいてくれれば、お母さんはそれだけでええから」


 山崎は寮ではなく新聞販売店が用意するアパートに入居し、朝刊の配達で日々の生活費を工面しながら予備校に通うこととした。


 育ちの悪そうな人間も何人かいて、時に喧嘩を吹っ掛けられることもあった。購読者を広げる目的の飛び込み営業では心無い言葉を掛けられることが多々あった。実社会の一面を覗くと、教科書や参考書に記載されてあることを覚えるだけの世界が楽に思えてならなかった。夏には志望校が固まった。東京にある教員養成大学の、自然科学系の専攻だ。新聞奨学生として働いていた同じ歳の男性が、関西よりも関東の方が就職活動をするにしても選択の幅が広がると言ったのが頭に残っていた。


 目標は高い方がいいという考えで寝る間を惜しんで受験対策を続けたのが奏功し、なんとか合格した。


 とみ子は有頂天になった。父はまさか、東京の教員養成大学に自分の息子が入学できるとは思ってもいなかったようで、息子に対する評価を180度転換させた。その変貌ぶりは父と息子の心理的な距離を一段と引き離す方向に作用した。

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