第22話 レンズの向こう側

 時計の針は午後3時に迫っている。2時間近く店にいたことになる。ランチタイムが終了することを伝えにウエイターがやってきた。どちらか一方が多く支払うと、対等な立場が崩れるから割り勘にしようという山崎の意見に麻友は同意し、会計を済ませた後、外に出た。


 「僕は地下鉄だけど、帰りの方面は同じかな?」


 麻友は車を少し離れた所にあるコインパーキングに停めていた。


 「もしよろしければ、どこか途中までお送りしますよ。何度か乗り換えないといけない場所ですから面倒でしょう」

 「いや、いいよ」

 「先輩とはまだお話し足りないのでぜひ。色々教えてほしいですし」


 山崎は固辞しようと思ったが、麻友にそう言われると確かに話足りないような気もした。


 2人は緑道を歩き、階段を上った先にある駐車場に出た。助手席に案内された山崎の目に、ルームミラーに吊り下げられた飾りが止まった。


 「これって、甲府の中小企業が大学と組んで製品化したものじゃなかったっけ。水晶の街であるのをアピールするために、高速道路で販売を始めたという記事をどこかで読んだ気がする。もしかして取材したことがあるの? 僕の時は怪しい人間だと思われて断られたんだけど」


 麻友は山崎の反応に驚いた。ハンドルを握り、アクセルを踏み、車体をゆっくりと発進させ、車道に出てから彼女は口を開いた。


 「実は、これをプレゼントしたのはかわもっちゃんなんです」


 山崎は黙った。


 「連絡はしないんですか?」


 緩やかなカーブを曲がった先にある信号が黄色から赤に変わった。2人の間に沈黙が流れた。山崎が言葉を発するのを麻友は待ち続けた。信号が青に変わる。400メートルほど走って左折すると高速道路のインターチェンジにつながる幹線道路に出る。山崎がどこで降りるのかを聞いていなかったと、今更ながらに気付いた。そんなことは後でまた決めればいいと思いながら、直進すると、やっと山崎は口を開いた。


 「彼女に会うことがあるなら、今から言うことを言わない約束してくれる?」


 麻友は頷いた。


 「あの子が過去に押しつぶされそうになっているとして、自分に何ができるのかと考えた時に、言葉を掛けることも、会う約束をして無言で横にいてあげることも、嘘くさいなと思ったんだ。本当に彼女に必要なのは、僕ではなくて、傷が癒える時間と、自分で再び立ち上がろうとするための意思なのではないか、とね」


 麻友の視線の先に交差点が現れる。


 「でもそれって、過去が暴かれたことで、男が逃げていったと、とらえられなくもないじゃないですか」

 「……」

 「今でも遅くないんじゃないですか。彼女は待っていましたよ」


 麻友は苛立ちを覚えた。なぜ自分が苛立っているのか、よく分からなかった。自分の口調に棘があるのが嫌だと思っても、衝動を抑えられなくなった。


 「その前に、はっきりさせてください。彼女を支えられますか?」


 山崎は困惑している。根元の部分でやはりこの人は自分と同じで不器用なのだと麻友は悟った。


 「……すみません、生意気な事を言ってしまって」


 交差点の信号が赤に変わった。山崎はゆっくりと口を開いた。 


 「いや。そんなことはないよ。むしろ言ってほしいぐらいだよ。気が付いたら、心地のいい表面上の言葉しか、周囲は投げかけてくれなくなってしまったし」


 「……じゃあ、今度は私のお願いを聞いてもらえますか? 今から言うことは失礼に当たるかもしれませんが、それでも今日話し合った共同企画は必ず実行すると。慎重に言葉は選ぶつもりです」


 「うん。約束する」


 「ありがとうございます。山崎さんはユーチューバーですよ。この商売がいかに不安定なものなのか、私は身をもって知っています。なので支えるにしても限界があると思うのです。川本という女性の過去がどうであれ、先の見通しを立てるのが難しいご自身を、山崎さんは肯定できないでいて、それが全ての行動の根底にある気がするのです。惨めな自分がさらに傷つくのを見たくないから、傷つきそうな事態に遭遇しないような行動を選んでしまう。川本という女性が何の問題のない状態ならばいいですけど、いざ窮地に立った時、勇気を持って彼女の横に立つという選択肢があるにもかかわらず、そもそもそんな資格なんかないのだと考えてしまい、怖くてできないんです。そういう部分がゼロではないと確信をもって言えますか?」


 信号が青に変わった。スムーズに流れていた片道2車線の道路は、国道との接続路に近づくにつれ混雑するようになった。


 「変な言い方になりますけど、川本という女性を知っている身として、不安定な彼女は気掛かりでした。山崎さんがしっかりと支えになってくださるなら、一番いいんじゃないかと思う自分もどこかにいたのです。


 でも、山崎さんと話をして気付かされました。山崎さんは精一杯、他人の目を気にしながら、毎日を過ごしてきたということです。他者に自分が否定されることへの恐れが強すぎるからこそ、彼女に対する一言を紡ぎ出せないのではないかと。壊れないように踏ん張っている人が、壊れた人間を支えることは、いずれ無理が生じる話だと思います。山崎さんが委ねるべき自然の流れに反する行為は避けたほうがいいというのが、今の私の意見です」


 車は渋滞に捕まった。麻友は助手席の方を向き、頭を下げた。


 「……群馬の女性はしっかり者だね。正直に話をしてくれてありがとう」


 車が再び走り始めた時、山崎が口を開いた。


 「……そんな。なんだかすみません」


 場を取り繕う一言であったとしても、麻友は嬉しかった。


 「にょほりんと話しているとすっきりするというか、肩の力が抜けるような気がする」


 山崎は欠伸(あくび)をした。


 雲の切れ目から青空が覗いた。前を走るトラックのテールランプの明滅に合わせて、前進と停車を繰り返し、川本に今日の出来事をどう伝えるべきか麻友は考えていた。


 「……そういえば私、どこまで行けばいいんですか?」


 山崎は安心しきったような表情をして、眠りに落ちている。信号待ちの停車中に、その安らかな表情を眺めていると、麻友はいたずらに、男のサングラスを外してみたくなった。 

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