第21話 CHEMISTRY

 レストランは、横浜の港北と呼ばれる地域の一画にあり、緑道に面していた。川本と泊ったホテルから、歩こうと思えば歩いて行ける距離だ。視聴者に遭遇する確率は低そうだし、遭遇したとしても節度を保ってくれそうな地域だと山崎は感じていた。


 電車を乗り継ぐ必要はあるものの、羽田や舞浜に出かけるような感覚だった。


 連休に差し掛かり、台風が接近していたこともあり、蒸し暑い南風が皮膚を湿らせている。時折降るにわか雨のせいで往来に出る人は少なく、休日のランチタイムには満席になるのが常のレストランも、来店客はまばらであった。


 目の前に座る女性が金髪で、フリル襟のついた黒のブラウスに紫のロングスカートという恰好なのに対し、山崎はボタンダウンの白いワイシャツにスラックスと黒の革靴というビジネスルックで、第三者がみれば2人が同じ席にいるのは奇妙な組み合わせに映った。緑道と店を区切るガラス戸に、ランニングに没頭する中年男性や、傘を差しながら小犬と散歩する人妻の姿が透けてみえる。


 「ネットで調べたらここのピザが美味しそうでね」


 丁寧さを保ちつつ、緊張感を解きほぐすための適度な親しさを感じさせる山崎の振る舞いがあっても、麻友の身体には強張りが残っていた。山崎は雑談で彼女の気を和らげたいと思っていた。


 「前から気になっていたんだけど、にょほりんって、プロフィールでは出身が北関東ってなっているけど、群馬とか栃木とか、なんで県名にしなかったの?」


 髪は派手なのに頬を野いちごのように赤らめる麻友は言う。


 「マネージャーの意向なんですよね。本当は群馬なんですけど、北関東といえば栃木の人も茨城の人もより親近感を持って観てくれるようになるって。群馬ってばらさないでくださいね」

 「ばらすものか。萩原朔太郎が育った街だね」

 「そういうの、お詳しいんですか?」

 「理系だし、そこまでではないけど。図書館司書と学芸員の資格は大学の時に教員免許と一緒に取ったんだ。前橋の文学館には足を運んだよ。お父さんが医者で、決められたレールに抵抗して。20代はブラブラしていたんだよね」

 「なんだか私みたい。山崎さんはご出身はどちらなんですか?」

 「奈良。大学に入ってからはずっと東京だけど」

 「海なし県ですね、お互い。私は大学は京都なんです」


 麻友の表情がほぐれていく。山崎は関東の人間が関西の大学に行ったのを珍しいと言い、その理由を尋ねると、麻友は事務所のホームページには掲載されていない高校卒業後の経歴を語り、山崎は納得した。


 「京都はあまり詳しくないけど、歴史は奈良のほうが古いからね。そういえば群馬は古墳も多いよな」

 「実家の近くにもありましよ。奈良古墳群っていって。馬具がたくさん出土されたと習いました。奈良と所縁(ゆかり)があるんですかね」

 「不思議だね」


 注文していたマルゲリータとクアトロ・フォルマッジが運ばれてきた。麻友はスマートフォンを取り出し、ピザを画面に収めた。


 「海がないと、変に憧れますよね。夏になると砂浜に行きたくなるんです。山登りって基本、辛いじゃないですか」

 「盆地だと夏は暑いしね」

 「そう。暑いですよね。ボーっとしてしまうんです。萩原朔太郎はよく詩作に集中できましたよ」


 山崎は笑う。


 「あの当時の前橋は今ほど暑かったんだろうか。温暖化する前だし。だけど内陸にいると、思索的になるような気もする。特に人間に対して」

 「そうですかね。海に近い所に住み人間も、あれこれ考えると思いますけどね」

 「海は忘れさせるんだよ。そして潮の満ち引きがあるから、人をより計算高くさせる」

 

 麻友の頭に川本の顔が浮かぶ。頸(くび)の力はいつの間にか消え去っていた。


 雑談の時が過ぎ、2人は本題に入った。どんな企業を取材するのか。せっかく2人が取材するのであれば、普段よりも多くの人の関心を惹きつけるような面白さがあった方がいい。麻友の作品は、マネージャーを含めた専属スタッフが撮影と編集作業を行っている。衣装代などもマネージャーが管理している。こうした事情を踏まえると麻友の作品の撮影は彼女のスタッフが行い、山崎の作品は従来通り山崎自身による撮影という形にした方がスムーズに物事が運びそうだった。まず山崎が取材企業の候補を選定し交渉すること。取材先が決まった段階で、麻友は事務所側に半ば事後報告のような形で実務面での相談をすることにする。このような段取りが決まっていく。


 「取材先が固まればいいんだけどね」

 「私は山崎さんの仕事のスタイルを学ぼうと考えていますし、なんとなく面白くなりそうだなとも漠然と思っていますけど、山崎さんにとって、共同企画のメリットって何なんですか?」


 山崎は素直だった。


 「登録者は伸び悩んでいるし、マンネリ化していたからね。変化が欲しいかったんだ」

 「本当は事務所に入りたいんじゃないんですか?」

 「自分など拾ってくれないでしょう。にょほりんがいるし」

 「山崎さんが来たら、マネージャーは今とは違うクラスターで私を働かせますよ、きっと。どこか想像はつかないですけどね」

 「新しい分野は大変だよ」


 麻友は自分の表情が豊かに変化しているのを感じた。相手のペースに巻き込まれても心地よかった。エスプレッソを愉しんだ後も会話は途切れることがない。川本の話を切り出すのが、次第に億劫に思えてきた。


 きっと山崎は彼女の動画で心を痛めていて、互いに知っているはずの話題でありながら、それを回避し、目の前の話し相手に対しても、悲しみを蘇らせないように気を配っているのだ。


 「互いのいい部分を持ち合って、それを合算したらいい動画になりそうだけど、現実はそんなに簡単にはいかないね。せっかく共同企画を立ち上げても、仕上がるのは別々の作品になるのだから」


 緑道を塾帰りの小学生の集団が駆けていく。


 「作品は別でも、やってみたら良い化学反応が起きるかもしれませんよ」

 「取材先が上手く見つからなかったら、互いの身内で探すというのも手かもしれないね。にょほりんのファンはもっと君のことを知りたいだろうし。プライベートをオープンにしたくない場合は無理だけどさ」

 「山崎さんはそういう人がプライベートでいるんですか?」

 「経営者はいないな。そもそも父は10年以上前に他界したし、母とはずっと会っていないんだ」


 山崎の孤独が二宮の口をいつもより滑らかにした。


 「私は、母が経営者なんですけど、ずっと会っていないのは同じです。公務員になるといって大学に行かせてもらったのに、こちらの世界に来てしまったので、お冠なんです」

 「お母様は会社を経営しているの?」

 「病院を経営しています。私がまだ子どもの頃に父と離婚して」

 「そうだったんだ。いっそのごと、お母様の病院に2人で取材しようか」

 「恥ずかしいですよ、無理です」


 二宮は笑いながら抵抗した。


 「山崎さんのお母様はまだお元気なんですか?」

 「そうみたいだよ。老人ホームにいるんだ。同級生で司法書士をしている方の紹介で、身元保証サービスを利用して入居したみたいなんだけど、認知症がずいぶん悪化していて、もう顔を見ても分からないんだと思う」


 山崎のサングラスの奥にある影を麻友は嗅ぎ取った。会いに行かないのかと聞ける立場でもない。


 「きっと山崎さんと同じ、気配りできる方だったんでしょうね」

 「どうかな。神経質な性格ではなかったし。父が他界した時にもらえるはずの財産が少なかったのが、ショックだったんじゃない?」

 「大変でしたね」

 「この年齢になるといい加減、母の顔を見に奈良へ行こうかなとふと思う自分もいるんだよね。相手は話すことさえままならないのに、甘えたくなるのかな。でも結局、日々の忙しさにかまけたり、会っても話が続かないだろうと思ったりして、実行するのをやめてしまうんだ。静岡で救急車で運ばれた日もさ、母のところに行きたいと無意識のうちに思っていて、それで関西の方に足が向いた気もするんだ。そんな宙ぶらりんな気持ちでいたから、鹿に襲われたんじゃないかな」


 鹿は神の使いだと麻友はどこかで聞いたことがあった。神の使者は山崎をどう導こうとしているのだろうか、ふと考えた。


 「にょほりんのお母様は娘をどう思っているんだろうね。ねえ、二人では無理でも、一度、すみちゃんねるで、取材のお願いをしてみてもいいかね? にょほりんと面識があるというのを隠してさ。ダメなら仕方がないけど、取材先の確保に今は四苦八苦しているんだよな」


 四苦八苦している理由を麻友は知りたかった。川本の話を、向こうから切り出してもらいたかった。


 「そのキャリアを持ってしても、アポが入らないものなんですか?」

 「大したキャリアじゃないよ。力がある記者だから独立したという訳ではなく、僕の場合はこちらの問題があったしね」


 山崎はサングラスの右側のレンズに指を差した。


 「目を酷使しすぎた結果だと自分では思っているんだけどね。記者の仕事は難しいと会社は判断して、人事部に回されたんだ。でも給料が安い会社で、残業代を頼りにしていたのが、残業してはいけない部署に回されると、鬱屈した気分になっていくもんだよ。動画なら細かい字を見ないで済むからね」


 麻友の目論見は外れた。相手は、その話題をあえて話を避けているようであったし、全く認識していない可能性もあった。聞き出せなかったと川本に言えばいいのではないかと、心が傾きかけている。


 山崎は、麻友の母の病院を取材するにはどこに連絡したらいいのか尋ねてきた。自分との関係を隠すというのであれば、麻友には断る理由がなかった。 

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