第20話 釈迦堂パーキングエリア
「二宮は、これからどうするの」
「私?」
「ユーチューバー続けられそう?」
「軌道には乗ってきた気がするけど、正直この先のことは分からない。事務所次第だな」
「脱げって言われたら脱げる?」
バスローブから覗く足先の皮膚の感触を確かめながら、川本は問いかけた。麻友は思案した。
「他に選択肢があるなら、脱がない」
愚問だったわ、あなたには母がいるものね。川本は心の中で目の前の女性を羨んだ。令和の時代の、健康で文化的で最低限の生活ができる選択肢が用意されていれば、特殊な性癖がある場合を除いて、人は脱がないだろう。
ただ川本の目に色白で肉付きがよく、美脚の麻友は、下着姿はおろか、水着姿も、いや、一般女性の普段着であっても、セックスシンボル足りえる素質を持っているように映っていた。自身の外見に対する謙虚さが鼻に突く。それがなければ仕事が回ってこなかっただろうし、山崎だって動画にいる彼女そのものや、経営者の前でさらけ出す胸の谷間で、自慰行為をしているかもしれないのだと思った。川本は女を困らせてやりたくなった。
「二宮さ、正直に言って。あたしの身体どうだった。見たでしょう?」
麻友は目を見開いた。川本は、やめておいたほうがよかったなという思いを押し切るように続けた。
「あれで稼いだおカネでアナウンススクール行ったから、こんな目にあって、仕事が長続きしなかったのかな。あの時、アスパがおかしくなったから、この子はダメだと思って」
麻友は、アスパはもともと変だったのが、もっと変になっただけと言いたかったが、口が動かない。
「キャバやるしかないでしょ」
室内には空調と冷蔵庫のモーター音が響いていた。川本はベッドに入り横になった。
麻友もしばらくして後追いをするように、もう1つのベッドに身体を沈めさせた。机にはコロッケやサラダが食べかけのままだ。
横のベッドにいる女は、寝息を立てることもなく、夏が過ぎた後の蝉(せみ)の亡骸のようにずっと動かない。消灯すべきか躊躇(ためら)っていた麻友は、やはりもう少し話がしたいと思い、声を絞り出した。
「かわもっちゃんの身体だけど……。正直に言う。綺麗ですごくエロくて、もちもちしているのが画面越しに伝わってきて、腰つきはものすごくいやらしかった。私が男なら、えっと…」
川本は、まさかわたしの身体でしていないよね、あたしは二宮では無理、と思った。
「そもそもね、私、実は男の人から、あんなのが出てくるのを見たことがないの。かわもっちゃんの中に出されるのを見て、なんかこう、男の人に抱かれたくなったというか、うん、そうなんだと思う」
布団のなかで黙っていた川本の肉体が、やがて震えだした。笑いがこらえきれなくなった。そして隣の部屋から壁を蹴られそうなぐらいの大きな声で笑い出した。二宮はきょとんとする。
「ごめん、一瞬、二宮ってそちらの趣味があるのかと思った」
「あったほうがよかった?」
「そんなにエロかったの? あたしの身体。まだいけるかな?」
「やめなよ」
2人は笑った。
「じゃあお礼にこちらも正直に言うね」
笑いながら川本は目元を擦った。
「この前紹介してくれた山崎さんと、2人で飲んで酔っ払って、気が付いたらホテルにいたの」
麻友は、枝にとまった梟(ふくろう)のような目をして、川本を見た。
「話しているうちにあの人、まっすぐすぎてどうかなってしまうんじゃないかと心配になってね。昔取材で親しくなった人を紹介していたら、本当に真面目で、コンタクトを取っていくの。あたしは本当に人の役に立っているのだと見てて嬉しくなってね、気を悪くしないでね。2人だけで飲んだの」
「そんな役回りのような気がしていたよ。付き合っていたの?」
「微妙なところ。すみちゃん、ホテルに着くや否やぐったりと寝ちゃったし」
「疲れていたんだろうね」
「またすみちゃんと会えるかな。……ねえ、あたしのこと、軽蔑するような人じゃないと思うんだけど、二宮もそう感じる?」
職を失い、寄る辺もない状態で、湖沼に生える葦をつかむように、大学時代の仲間の1人である麻友を頼りにしながら、それでも男との関係を維持していたいという川本の欲深さが滲み出た。
「優しい人だとは思うけど、どうなんだろう」
「そうよね」
川本にとって男は依存性のある薬物なのかもしれない。
「新しい人できるんじゃない?」
川本は首を斜めにかしげる。
「『二宮案件』が、あたしのような人間を毛嫌いしているとはっきり分かれば諦めはつくけどね」
「じゃあ自分で聞いたらいいじゃない」
「それができないのは分かるでしょう」
「でも山崎さんに私が、川本さんのことどうですか、って聞くのっておかしくない? 共同企画の話だって、向こうから言っておいてちっとも始まらないのに」
「それだ。共同企画。あったあった、その話よ」
女の目が光った。川本は卓上にあったスマートフォンを手にすると、黙々と画面に向き合いながら文章を思案し、推敲を重ねたのを麻友に宛ててショートメッセージで送った。麻友のスマートフォンの着信音が鳴る。
《いつも拝見させていただいています。にょほりんこと二宮です。お疲れのところすみません。ご無沙汰しています。涼しくなってきましたね》
《ずいぶん前の『お約束』、覚えていらっしゃいますか? 共同企画の話ですw すみちゃんねるで取り上げた企業ばかり行く私で申し訳ないのですが、この世界の『横綱』のお横で、何とか勉強させていただきたいのですww》
《つきましては一度、お時間があるときに打ち合わせさせていただけないでしょうか。ご連絡をお待ちしております❤》
「これをさ、コピペして、今からいう電話番号に、ショートメッセージで送ってくれる?」
川本は屈託がない。
「こんな文章送るキャラクターじゃないよ。過去のメッセージとのギャップに向こうは面食らうと思う」
「大丈夫、大丈夫。何よ、じゃあ貸して。私が送信するから」
ちょっと、という麻友の言葉に耳を貸すことはなく、川本のスマートフォンをひったくるように奪うと、勝手に操作をはじめ、メッセージを送信した。
「え、返事が来たらどうするの?」
「あとは場所と日時決めて、2人で会うだけ。その時に私のこと聞いておいてね。あくまでもさりげなくね」
川本は、おやすみ、といって背中を向け、布団に身体をうずめた。
「まだ寝るのは早いよ。返事が来たら少しは協力してよ」
「はいはい、仕方がない人だね」
川本は振り向いて布団のなかから顔を出した。2人は2本目のワインボトルを開けた。
大学時代の思い出を懐かしむうち、川本にとって黒歴史とも言うべき、アスパとの過去に話は及んだ。
「なんでお笑いをやろうと思ったの? 演劇とかでもよかったのに」
「甘いのよ二宮。演劇はおカネにならないじゃない。関西はお笑い芸人にまだ理解がある土地だし、ステップアップするイメージがしやすかったもん」
「お笑いが好きなイメージが全くなかったから、あれって思った」
「楽器の演奏とか歌に自信があって、世界中からミュージシャンが集まる街にいたら、バンドやっていたと思う」
「お笑いをどうしてもやりたいってわけじゃないかったのね。どちらにしても長続きはしなかっただろうね」
「今振り返るとねえ」
「それにさ、不思議なのはね、なんで私じゃなくてアスパに声を掛けたの? そりゃアスパのルックスはお笑いにマッチするとは思うんだけど、一言声を掛けてくれたってよかったじゃない」
「二宮がお笑い? 誘う方がおかしいよ。あなたはけばけばしい世界の方が似合うし。ソープ嬢とかストリッパーとか。それとね。あなた映研で、主演やっていたでしょう。きっとあたし、どこか嫉妬してたところがあったんだと思う。表現の世界では、一緒にやりたくないなって」
川本の本音を聞き出せたことに、麻友は少しだけ嬉しい気分になった。
テレビはドキュメンタリーに変わった。富士に近い街で誕生したロック・バンドのボーカルがこの世を去り、間もなく10年になるという。生きていたら39歳になる細身の男の、画面の中での瞳は醒めながらも、世の中のすべてを見てやろうというような力強さをたたえている。
彼より1学年上の山崎が返信をよこしたのは、翌日の夕方になってからだった。
2人は朝早くにホテルを出て、東京に戻った。途中でトイレに行きたいと川本が騒ぎ出したので、釈迦堂のパーキングエリアに立ち寄る。すると用を済ませた川本が、車代と記念を兼ねて、と照れくさそうに言って、小さな紙包みを渡した。車内のバックミラーに掛ける飾り物で、水晶玉やオニキスが連なった先に、馬の尻尾のような毛束があしらわれている。麻友は気に入り、早速愛車に飾り付けることにした。
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