武器と日本人

 現在の日本人にとって、武器とは馴染みの無い物だ。

 では、ずっと武器を手に取ってこなかったかと言えば、そうではない。

 日本で、一番長く使われたのが、日本刀である。

 平安時代末期に、それ迄に無い反りを持った刀が生まれた。

 当時は馬上で振るう事を考えて、反らせたものらしいのだが、地上戦でもこの反りの特徴が反映され、発達していった。

 こうして、800年ほどの長きに渡り主武器とされてきたのだ。

 俗に、この反りを持った刀を、日本刀と呼ぶのである。


 さて、銃については述べたが、日本人は長らく刀を重視する文化体系をしていた。

 江戸時代には、武士は刀を帯刀しなければならない決まりまであった。

 「鞘当て」という言葉も、刀の鞘から生まれた言葉なのだ。

 今では、小競り合いという意味で使われているが、当時は挑発・喧嘩を吹っ掛ける行為であった。

 時代劇等では簡単に武士が刀を抜くが、武士が刀を抜くのはご法度である。

 刀を抜くだけで、お咎めを受けるのだ。

 なので、江戸時代の武士は生涯一度も刀を抜かなかった者も居るらしい。

 よく貧乏侍が竹光を差している描写があるのも、使う事が無かった象徴である。

 まあ、実際に武士は貧乏だったこともあるのだが……。


 会社で例えると、ずっと収入は同じ金額なのに、時代を経れば、どんどん社員が増えていく状況といえる。

 そうなれば、社員一人当たりの給料が同じ金額払えるはずもない。

 頭割りになるので、社員が増えれば増える程、給料が下がるのである。

 なので、後進に道を譲る為に40歳で隠居(停年、今で言う定年)するのだ。

 とはいえ、能力のある者(役職持ち)は、その限りではない。

 今で言う所の、お笑い芸人の構造に近いのだろうか。

 トップ陣は何時までも冠番組を持っていて、下の者はある程度は這い上がるものの、下から来る者に立場を奪われ消えていく。

 なんとも世知辛い話である。


 話を戻すと、武士にとって刀はある種の権力の象徴である。

 刀の扱いには重々注意が必要なのだ。

 腰に刀を大小差せるのは武士だけであり、武士で無くなった、例えば浪人等は、腰に刀を差すにしても、大の1振りのみしか許されないのであった。


 誰もが、争いごとは避けたいので、鞘当てなど言語道断。

 仮に鞘に当てようものなら、面子が有るので、引くことは出来ないのだ。

 「武士は食わねど高楊枝」という言葉もあるぐらいに、武士は体面を気にするのである。

 そうならない為に、武士が道を通る時には、左側通行をするのだ。

 多くの物が右利きであった(左利きでも右利きに直された)ので、刀の差す側も左腰である。

 つまりは、道の外側に刀が来るように道を歩いていたのであった。

 今の車が左側通行なのも、その名残なのである。


 時代が変わり明治になると、帯刀が禁止になった。

 だが刀を廃棄する事無く、家にしまい込まれたのだ。

 日本人にとっての刀は、武器という単純な役割だけではなく、精神的な拠り所のようなきらいがあった。




 金属は朽ち難く、昔の人はそこに神秘性をみたのであろう。

 とりわけ刀は美しい出来栄えである。

 その静謐な様相から魔(邪気)を払うとされてきた。

 御神刀として、神社に奉納される事も珍しくはなかったのである。


 また、この辺りは宗教的な観念もあるのであろう。

 明治以降の宗教分離では、天皇崇拝の傾向があったが、戦後の天皇は象徴であった。

 つまりは、戦前は天皇が現人神であり、戦後では畏敬・尊敬を向けられることはあれども、只人であったのだ。

 今日の日本も脈々と宗教が続いているが、戦前の様な信心深さは影を潜め、宗教の意味は文化的な行事であり、風習・慣例なのである。


 閑話休題




 それからまた時が過ぎ、GHQにより厳しい銃刀法が施行され、日本から武器が回収されるに至った。

 押収されたのは500万本の刀であったらしい。

 当時の日本は、1500万世帯であったとされるため、単純計算だけであれば、全世帯の3件に1件が刀を所持していた事になる。

 それだけ刀が身近で、しかし特別な物であった証左であろう。

 (戦時中は金属は軍事物資で、徴収されていたのだが、刀はその対象外)

 こうして日本人は、武器とは縁遠くなるのである。

 

 今日の日本の平和は、武器を遠ざけられたから訪れた物であろうか?

 一概にそれは否定できないが、私は違うと考えている。

 (外国からの脅威は考えないものとして)


 包丁でも、金属バットでも、自動車でも使いようによっては、何でも武器になるからである。

 ならなぜ、上記で否定しきれなかったかというと、仮に刀の扱いに慣れていたのだとすれば、刀が凶行の道具に間違いなく使われるからだ。

 慣れていない道具、それも使用目的外の行為であれば、目的を達成できるか不安にならない筈が無いからである。

 それが凶行を思い留まらせる一助になっていると考えているのだ。


 しかし、私が違うと考えているのは、戦後の学生運動にある。

 武器を取り上げられても、自身の思い描く大義の為に、立ち上がったのだから。

 しかして、それは鎮圧された。


 過激派の中には、自らの快楽の為に犯罪に走り、隠れ蓑にする者すら出たのだ。

 掲げた大義の旗を、汚す者がいれば、その大義を掲げ続ける事は難しいであろう。

 要は、白けたのだ。

 幾ら訴えに一考の余地があったとしても、それを訴えるの者が犯罪者なら、それに耳を貸すであろうか? 

 純粋な者ほど、利己主義に走る者と一線を引きたいと思うのではないか。

 

 さて、私が思うに、今日の日本を形作ったのは、この学生運動が一つの転換点であると考えている。

 人というのは、保守的な者で、何かを変えようとするには、それ相応の熱量が必要なのだ。

 何も成すことが出来なかったが、戦後最大の熱量で動いたのが学生運動であった。


 平和をもたらしたのが、社会が成熟したからなのか、どれだけ訴えても変わらないと諦観したからなのか、愛国心を失って国の為というよりは自分の為にしか行動をしなくなったのか、その全てであるようにも思えるし、全く違うかもしれない。


 一つ言えるのは、今の日本人は個人主義に変わった事だ。

 何時から変わってきたのかは難しいが、かつての一族という大きなコミュニティの幸福よりも、自己の幸福だけを考えるのなら、敵を作らず立ち回る事は、そう難しい事ではないのである。

 



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