日本人は平和ボケしているのか?
@yatuura
銃社会と日本人
種子島に銃が伝来以降、権力者によって、銃は抱え込まれ、運用されていた。
江戸時代に入ると、銃は幕府により厳格に規制されるように変わった。
銃が使いたければ、藩が幕府に届け出て、許可が必要になったのだ。
江戸幕府は、一国家というよりは、藩(小国)の連合国や合衆国に近い体制である。
藩は頭を痛めたであろうが、多くの者にとっては、銃の扱いが変わっても気にする事は無かったのである。
もともと個人で運用するには、大層金のかかる武器なのだから、持っている者も限られていたのだ。
これ以前に、秀吉の刀狩もあるが、アレは百姓から武器の徴収であり、兵農分離を狙った物であろう。
刀狩とは呼ばれているが、実際には刀と鉄砲を徴収していたみたいである。
当時は百姓であっても、足軽として戦場に出る者も多く、身分が曖昧であった。
どうやら身分を明確にする意味合いと、刀の所持を免許制にする考えであったみたいなのだ。
調べを受けてから帯刀を許されるケースも有るらしい。
回収も取りたてるというよりは、村から自発的に差し出させていた様で、1人につき大小の刀を差しださせていたみたいなのだ。
更には、害獣駆除に必要であれば徴収は免除されてもいて、意識づけを主眼に置いたもので、全ての武器を取り上げる心算ではなかった様なのである。
閑話休題
しかし、明治時代の近代化で、狩猟免許の制度が生まれた。
こうして、庶民にも銃を持つ事が許されたのである。
とはいうものの、当初はハードルは高いものであった。
狩猟免許も職猟を1円(現在換算2万円~3万ぐらい)、遊猟を10円としていた。
銃についても、海外製の銃には高い関税がかかり、国内の大手メーカーも高い値を付けて、とても庶民に手が出せる品ではなかった。
そんな状況の風向きが変わったのが、官製品である。
政府が大量に溜め込んでいた型遅れの銃を、猟銃として比較的に安価に市場に流したのである。
また、国内に少しづつ猟銃を作るメーカーも増えた事で、手に入れやすい状況に推移したのであった。
緩やかな銃の浸透にまた、転換点が訪れた。
大きく風向きが変わったのは、戦後のGHQによるものだ。
非常に厳格な銃刀法が、施行される事になったのだ。
美術品以外の刀や猟銃などのあらゆる武器が回収され、銃の製造メーカーも軒並み廃業に追いやられたのである。
(現在国内で銃を製造しているのは、4メーカーだけである)
その後、狩猟免許と免許所有者による厳重な猟銃の管理の徹底が成され、今日の日本が作られたのである。
こうして、日本は世界的に見ても、銃の規制が厳しい国となったのである。
GHQの意図は、日本統治において、民衆が武器を手に反抗・暴動を起こさせないための措置だったと思われる。
他国の意思の元、日本は武器を取り上げられたのだ。
ここで、自国の意思によって、銃の規制を厳格化した、イギリスについて注目してみる。
現在、銃を規制している国は増えているが、イギリスほど珍しい国も無いだろう。
かつての銃社会であったイギリスは、日本以上に銃の規制が厳しい国となっているのだ。
また、日本の警官は拳銃を所持しているが、イギリスと意外なことに中国の警官は、基本的に銃の所持をしていないのも驚きである。
(銃を使う部隊は当然ある)
前述した通り、銃の規制が厳しい国は増えている。
お隣の韓国は銃の入手が可能な国ではあるが、銃を個人管理することは出来ない。
必ず、警察署に預ける決まりがあり、持ち出すのも狩猟期間に限られている。
痛ましい事件が起きたオーストラリアなども、銃規制が進んでいる国である。
こうした銃による事件が起きると、銃を持たない様にするか、身を護るために銃を持つかの2極化が起きるのである。
とはいえ、どんなに声を上げたところで、実際に力を持つ者の声が通ってしまう事は、避けられないのであった。
また技術の進歩も問題である。
3Dプリンターで簡単に銃が作れるようになったのだ。
これまでは樹脂がほとんどであったが、金属の加工すらできるようになった。
これで耐久性の問題も解決し、設計図さえあれば、実用に耐えられるものが作れてしまうのである。
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