第111話 燃えよ、ファイヤーボール! なのだ その一

 それにしても走りにくいなー、この服ってば。

 大きなプリーツが幾つも入った丸く膨らんでいるスカートの裾が、膝の下できゅっと袋状に絞ってあるせいか、ちょこちょことしか走れない。


 はっ、もしやそれが狙いなのか、この服ときたら?

 侍女の方々に、わざわざ動きにくいこのメイド服を着せて、そのぎこちない動きを楽しむための、このデザインなのか?


 くっそー、ジェイムズ氏めー。

 妙ちくりんな趣味、持ちやがってー。


 でもでもー、この服は可愛いから許ーす。


 わたしは、周りをきょろきょろと見回して、人目がないことを再び確認すると、スカートの裾を少しだけ上へ持ち上げる。

 はしたないけれど、そうして膝の上まで持ち上げれば、今までよりは随分と足が動かせるようになった。


 すってけ、すってけ。

 走れ、走れ、走れ。


 あの物置小屋、というには立派すぎる建物を目指して。




 ふひーっ、やっと着いたよ。


 歩きやすいとはいえ、履き慣れない靴。

 そして可愛いけれど、動きにくいメイド服。


 それでも、捜索する者たちの目をかいくぐっての会心のひと走り。

 ゴールした喜びも、ひとしおだ。


 いや待て、ここがゴールじゃないんだ。


 次の任務ミッションは、一時的にここへ潜んで敵をやり過ごし、見事に裏門を突破。

 屋敷の外へ逃れたら、懐かしの『炎の剣亭』を目指すのだ。

 作戦は、“無事にお家に帰り着くこと”。そこまでが作戦なのだ。


 建物の近付くと、そっとその壁に寄り添って、こちらに向かってくる者たちの動向を伺う。

 幸いにも、わたしがここにいることまでは発覚していないようだけど、建物の周りを調べられたら、すぐに見つかってしまうだろう。


 うー、この建物の中に入って、隠れてしまうしかないのかなー。


 でも、ここは建物の裏側にあたる場所らしい。

 出入り口のようなものが、いっさい見当たらないのだ。


 意外に大きな建物を見上げて、しばしの間、頭をひねる。

 敵は、着々と近付いてくる。ゆっくりと、次の一手を考えている隙はない。


 わたしは、ふと目に入った雨樋らしきものを伝って、屋根の上まで登ってみることにした。


 屋根のから張り出す軒の下には、細長い明かり取りを兼ねた、空気の取り入れ口のようなものも見える。

 上手くいけば、そこからこの建物の内部に侵入できるかもしれない。


 もしも入ることができなくたって、これだけ大きな建物なのだ。

 屋根の真ん中にでも、平たくなって潜んでいれば、見つかることもないだろう。


 そう踏んだわたしは、傍らに備えてあった雨樋らしきものを足がかりに、壁をよいしょよいしょと登り始めた。


 途中、どこかでバキッという、何かが折れたような不吉な音を耳にしたけれど、気にしない。

 雨樋が折れて壊れて、わたしが地面に落ちてしまう前に、なんとか屋根の上にまで辿り着くのだ。


 屋根まで、もうあと少しというところで、いよいよ足場が危うくなる。

 下を見てみれば、建物に固定されているはずの雨樋が、根元の方から外れて始めているみたいなのだ。


 あと、もうちょっとで、屋根まで上がれそうなのにツイてない。

 わたしは、屋根から出っ張っている庇に向かって、必死になって手を伸ばした。


 あんまり雨樋に身を任せ過ぎると、上の方も外れてしまいそうだ。

 あそこまで手が届けば、あとはなんとかなる。


 あと、もうちょっと……。


 必死に手を伸ばす。


 良し、届いたっ!


 自称、木登りが得意なわたしは、雨樋に掛ける加重を最小限に抑えて、懸垂の要領で、屋根の上まで這い上がった。


 少し傾斜の付いたその屋根の上は、ビルの屋上のように真っ平らではなかったけれど、良く見かける洋式のとんがった三角の屋根でもなかった。


 辿り着いた屋根の上、わたしはそのまま、ずるずると匍匐前進で真ん中あたりまで進んでいく。

 昨日までの雨水は、すっかり残ってはいなかったけど、屋根の上というのは毎日掃除をする訳でもなし、かなり埃にまみれているものだ。


 できるだけ汚さないようにと気を使っていた、このお屋敷のメイド服も真っ黒だ。

 ごめんなさい。帰ったら、きっと洗って返します。アイロン掛けまでは、ちょっとできないかもだけど。


 服を交換してくれたネーナさん。そして短い間だったけど、わたしを接待してくれた、このお屋敷の侍女の方々の顔を思い浮かべる。

 このお屋敷に仕えている侍女の方々は、この可愛いけれど動きにくいメイド服で、とっても優雅に働いていた。


 歩きずらくて、ぎこちない動きであったのは、わたしだけかもしれない。

 ネーナさんどころか、この世界の侍女の皆様に比べても、まだまだ淑女レディの座は遠い。


 無事に『炎の剣亭』に帰ることができたら、女子力のアップを心掛けよう。


 心の中で新たに誓いを立てると、無事な帰還作戦の次なる難関、裏門の突破に思いを馳せる。


 ところで、裏門ってどっちだ?

 あっちにお屋敷から走ってきたんだから、向こうの方かな?


 腹這いになったまま、裏庭の方に向けていた顔を、お屋敷とは反対の方に向ける。


 おや? 案外近いところにあるんだな。

 ここからだと、裏門のようすも丸わかりだ。


 しかし、ここは、この国の要人、ジェイムズ氏のお屋敷。

 警備も万端。ちゃんと門番らしき方々も詰めているようだ。


 でも、だよ。そこで、ふと気づいてしまったのだ。

 ネーナさんが、何故、このメイド服を貸してくれたのかを。


 このメイドの格好だったら、あの門から、「お疲れさまでーす。お先でーす」とかなんとか言って、堂々と抜けられたんじゃないのかな。


 あの裏門は、このお屋敷の出入りの業者用の通用門だという。

 ということは、使用人の方々もお屋敷の出入りには、あそこを使っているに違いない。


 バカバカ、わたしのバカ。

 こんなに服を汚しちゃったら、怪しまれるに決まっている。


 追われていると思った途端、冷静さを欠いて、こんな屋根の上まで登っちゃって……。


 ——ホントにバカみたい。


 手足をジタバタとさせて、転げまわりたい衝動を必死に抑えるわたしなのでした。

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