第110話 わたし、怒りのミートボールなのだ その八

 うわー、お天気いいねー。


 扉をそっと開いて、外に出てみれば、昨日までしとしと降り続いていた雨はやみ、ウソのように晴れ上がっている空。


 こんな時じゃなかったら、このお屋敷の庭を、ゆっくりと散策したいものね。


 ジェイムズ氏所有と思われるこのお屋敷は、裏庭とは言え、壁に沿って高い樹木が規則正しく並び、裏門へと続いているであろう舗道沿いには、可愛らしい季節の草花が植えられていた。

 屋敷に沿った舗道をゆけば、おそらくそこは厨房かなにかの裏手なのであろう、開けた広場になっているようだ。日頃は、そこで出入りの商人たちが、荷物の積み降ろしなどをしたりしているに違いない。

 庭の中央に植えられている庭木は、きれいに形の整えられたものばかりであり、視界の邪魔にならずに遠くまで見渡せる。向こう側には屋敷をぐるりと巡るように造られた舗道の他に、馬車が通れるほどの広い道も備えていた。


 裏庭に配された道も、植えられている樹木も、景観を保ちながら機能的になるよう計算されて配されているように見える。

 いかにもやり手で、成金趣味丸出しのジェイムズ氏の裏庭とは思えない、散策マニアの興味をくすぐる見事な造りであった。


 なんか金ピカの等身大の像とか造っちゃいそうなタイプなのに、お庭の趣味が良いっていうのは意外ね。

 これで表の方へ回ってみたら、大きな噴水の真ん中に、そんなものが鎮座ましましていたらがっかりだけどもさ。


 油断なく辺りを警戒しながら、ネーナさんの言っていた、鬱蒼と枝を伸ばす壁際に植えられた樹木の列を目指す。

 手入れがされている庭というのは、それと同時に見晴らしが良いということでもある。こちらばかりでなく、相手からもね。


 それを考えれば、匍匐前進の一つでもしたいところだけれど、きれいに掃除をされているとはいいえども雨上がりの庭の上。

 そんなことをすれば、この少々動きにくいのに目を瞑れば、とても可愛いメイド服が泥まみれになってしまう。


 少しだけ身を屈めて、舗道脇のきれいに刈り込まれた灌木の影に隠れるように慎重に歩みを進める。

 もう少し灌木に寄って、身を隠せることができれば良いのだけど、手前には草花が植えられており、ちょっとした花壇のようになっているのだ。


 せっかく咲いたお花を踏み荒らすのは、気がとがめる。

 お花にも、それを育てている方にも、たいへん申し訳ない。


 植えられた草花の種類は、エリアによって変えられているようだ。

 この辺りは、扉を開けて歩き始めた頃とは違った色のお花が咲いていた。


 時間があったら、ひとつひとつ見て回りたい。

 お金持ちの、おエラ方らしい大きなお屋敷に広い庭。

 裏庭でさえ、これなのだ。表の方は、どんなに素敵な景色なんだろう。


 しかしながら、脳裏に思い浮かぶのは、期待とは裏腹な珍妙な景色。なんて言ったっけ? そうそうタイガーなんとかいう軟膏みたいな名前の庭園のような。


 まさか、そんなことは……。

 ……うんにゃ、ありえる。


 あんな珍妙な配色の衣服を好む連中だ。

 趣味が良いなんて、とっても思えない。


 裏庭だからこれなのであって、お客様を迎える表の庭がジェイムズ氏の趣味全開のものであってもおかしくはない。


 まだ見ぬ人んちの庭を勝手に想像しながら、壁際に辿り着いたわたしは両腕を広げ、大きく伸びをしちゃったり。


 この動きづらいメイド服で、姿勢を低くしながら、ここまで進んできたのだ。

 しかも、辺りを警戒しながらだよ。スポーツのあととは、また違った疲労感を覚えても不思議はない。


 ここまで来れば、太くて高い樹木の影に隠れながら歩くこともできる。

 わたしは、木の幹の影から少しだけ顔を覗かせて辺りを伺い、良しと見るや、次の樹木まで一目散にダッシュする。


 まるで忍者のように移動するわたしだけれど、もしも端から眺めている人がいたならば、その人の目には、やっぱりただの不審者かも。

 あー、いやいや、その見られていないかを確認しながら進んでいるのでした。見ている人がいたんなら、それは本末転倒というものね。


 とかなんとか言っているうちに、お屋敷の方から、わらわらと大勢出て来たぞ。

 きっと、わたしがいなくなっていることに気がついてしまったに違いないのだ。


 幸い、囮となって残ってくれたネーナさんの姿は見えない。

 とすると、あれはわたし捜索隊の別動部隊かな。なんにしろ、厄介ね。


 黒服2号同様に、遠目にも分かる派手な衣装の人影が、わちゃわちゃと忙しなく動き回っていた。


 わたしは、まだ見つけられてはいないみたいだけれど、あの人数に追い掛けられたんじゃたまったものじゃないよね。


 なーんて思ってると……、ああっ、何人かは、こっちへ来ちゃうじゃないかっ。

 あっち行ってよ。こっちに来ないでよ。


 どうしよう。いっそ、この樹々を上って、枝だから枝へ、ムササビのように飛び移って逃げるとか。


 木登りは、得意なんだ。

 細い腕だけど、剣道なんかをやっていたお陰で腕の力もある。

 女子にしては、懸垂できる回数も多い方なんだと思うんだけど。


 いや、却下だ。

 樹と樹の距離は、意外とある。たぶん、真ん中らへんに落っこっちゃう。


「下手の考え休むに似たり」


 ちょっと違うかな。


「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」


 少し下手から離れようか。


「案ずるより生むが易し」


 うん、これがいいかも。


 迷うより、走り出すのだ。


 この距離があれば、高速移動しているつもりなのだ。わたしの姿だって、そうは見つけられまい。


 とりあえず、壁に沿って、彼ら捜索隊から離れるように、すってけと走り出す。

 走り出したわたしの目に、折よく映ったのは……、あれってなんだろう? 物置小屋? にしては立派だけど。


 とこかく、あそこに行こう。あそこまで逃げ込んで、それから善後策を練ろう。


 可愛い、けれども走りにくい、このお屋敷謹製のメイド服に負けないようにと、駆ける足に力を込めるわたしなのでした。

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