第108話 わたし、怒りのミートボールなのだ その六

 ——ふははははっ。


 ネーナさんという、心強い味方が登場した今、恐れるものはなにもない。

 不敵な笑みを浮かべるネーナさんと共に、ついうっかりと、お嬢様にはあるまじき笑みをこぼしてしまう。


 これでは、まるで“ヒツジの皮を被ったオオカミ”。

 あー、それはネーナさんの方かな。


 それじゃじゃないな、わたしの場合。

 まさに、“トラの威を借りるキツネ”。


 ふむ。こっちだった。


 はっと我に返って、慌てて自分の口を押さえたけれど、ネーナさんにはしっかり見られてしまったようだ。

 さっきまでの不敵な笑みとは違った、なんだか優しそうな、慈愛に満ちあふれた笑みをわたしに向ける。


「こちらの世界にいらしたばかりの頃に比べて、ずいぶんとお元気になられたようで、私もうれしいですわ」


 あはは、その話しでしたか。

 おかげさまで、すっかりこちらの世界にも馴染んで参りましたよ。


「ミヅキ様の無事の確認しましたので、ここから無事に脱出する算段を立てなければなりませんね」


 ——でも。


 ネーナさんは、いつもの大人びた、実際に大人なんだけど、笑顔とは違う、少し悪戯っ子のような笑顔を見せる。


「せっかくなので、もう少し、ここのお風呂を楽しみましょう」


 あれ? 大丈夫なのかな?

 あんまり、ここで長居していると、逃げるチャンスを失ってしまいそうで心配なんですけれど。


「ご心配にはおよびませんわ。この屋敷の侍女の皆様のお心は、既に掌握しております。当分の間は、どなたもここへは近付かないはずですわ」


 おー、スゴいぞ、ネーナさん。仕事が早い。


「ただ、時間がなかったので、侍従の皆様にまでは手を回せなかったのが残念ではありますが」


 あー、男性陣の方までは、さすがにね。


「特に、あの侍従頭の者は要注意でしたのに」


 侍従頭? そんな強者が、このお屋敷に?


「あの派手な風体の、怪しい男のことです」


 派手な風体? それはもしや黒服二号のことでは?


「諜報活動の時は、黒尽くめの格好だったようですが、あの派手な格好が本来の姿のようですね」


 ほえー、黒服二号って侍従長だったのか。

 わたしは、てっきり私設特殊部隊の一員かと思っていたよ。

 あんなをしていても、案外まともな立場の人だったんだな。


「まあ、特殊部隊や諜報機関と似たような者たちですわ、ここの侍従の方々は」


 少々呆れたような表情で、ネーナさんは話し出した。

 広い湯船で肩を並べ、彼女のお話しに興味深く耳を傾ける。


 どうやら、このお屋敷内の、いわゆる侍従的な仕事は、侍女の皆様が取り仕切っているらしい。

 黒服二号率いる侍従の方々は、一般で言う特殊部隊のような、諜報機関のような、情報戦と共に、ある種の荒事にまで従事しているらしい。


 特に妙な魔法の使い手である黒服二号は、関係者の間では凄腕のスパイでもあるようなのだ。


「ここを出てゆく時に、彼らとぶつかってしまうのは少々やっかいですが、なんとかなるでしょう」


 そんな凄腕とやりあって、ホントに大丈夫なのかな。

 ネーナさんがケガでもしたら、申し訳ないよ。


「こう見えて、私も少々荒事には自信がありますの。あのレベルの者たちならば問題はございません」


 そう言うとネーナさんは、先ほども見せた不敵な笑いを口許に浮かべた。


「曲がりなりにも、騎士の方々にお仕えしておりますもの。このくらいは当たり前ですわ」


 うひゃー、ネーナさんときたら、お美しく優しいばかりでなく、そんなにお強いなんて。

 シビレちゃいますっ! 憧れちゃいますっ! ズッキューーーンときちゃいますっ!


「そんなにミヅキ様に誉めていただけるなんて、恐悦至極にてございますわ」


 冗談めかして言われた、その言葉に、わたしも声を上げて笑ってしまった。


「ミヅキ様も笑顔となったところで、そろそろ参りましょう」


 先に立って歩くネーナさんの、背筋のピッと伸びた後ろ姿に、じっと見入るわたし。

 背の高さは、そう変わらないけれど、メリハリのあるボディには、女のわたしでも心惹かれるものがあった。


 わたしは、典型的な中肉中背なのだ。しかも、どちらかと言えば細っこい。

 剣道をやってたり、走るのは得意だったりと、体力には自信はあるけれど、それが体型とは一致していないのが、少しだけ悲しい。


 わたしも、いつかネーナさんのような大人の女になれるんだろうか。

 いえいえ、きっとなるよ。なりますともさ。

 だって、わたしはまだ成長期。そう信じたい。




 用意してあった大きな布で、お風呂上がりの濡れた身体を拭く。

 髪はまとめて上げていたからね。濡れていないよ。

 この季節なので、汗が引かないなんてことはなくて幸い。


 さて着替えようと、先ほど脱ぎ捨てたジャージを探すと、なんということだろう。

 もう既に身支度を終えたネーナさんが、わたしのジャージを着用しているではないか。


 同じような背の高さなので、サイズも同じようなもののはずなのに、ネーナさんのジャージ姿ってなんだかエロい。

 きっと、胸の辺りや、お尻の辺りがパツパツで、体型がくっきりと出ているからに違いない。


 じゃ、なくってー。


 な、なにをなさっているのですか? ネーナさん!


「ミヅキ様は、わたしの着ていた、こちらの服をお召しなってください。念のため、服を入れ替えておきましょう」


 はあ、逃げ出すにあたって、敵の目を眩ませるためだったのか。

 なにごとかと思っちゃったよ。


 言われるがままに、ネーナさんの着ていた、このお屋敷の侍女服に袖を通す。


 黒服二号の着ていた悪趣味な、特殊侍従のユニフォームと違って、このお屋敷の侍女の皆様が着用している服は、わたしの愛用しているクラシックなメイド服ともまた趣が変わっていて、これはこれで可愛い。

 ブラウスは七分袖タイプなんだけど、その袖はパフスリーブと呼ばれる、二の腕あたりにふわっとした膨らみを持つ可愛いかたちをしていた。

 別名ちょうちん袖と呼ばれるブラウス以上に、スカートなんかもふっくらと丸みを帯びたデザインなんだけど、膝下辺りがキュッと絞られていて、袖以上にちょうちんのようなシルエットとなっているのだ。


 可愛いんだけど、なんでだ?

 わたしが着ると、妙に胸の辺りがスースーするぞ。


 しかも、ちょっと歩くのにコツがいる。

 可愛いから、まあ良いのだけれど。


 すっかりと逃げ出す準備万端のネーナさんのジャージ姿を横目に、わたしは、そのへんのことは深くは考えまい、と心に決めたのでした。

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