第107話 わたし、怒りのミートボールなのだ その五
はわわわっ?! どうすんだ、どうすんだ?!
こんなところで逃げ出すところを誰かに見られたら、すぐに捕まっちゃうよ。
こうなったら、ムチャを承知で、今すぐにでも、そこの窓から抜け出してしまおうか。
いやいやいや、それはない。
ムリムリムリ、ムリだよー。
今は、無防備な入浴中。このまま逃げ出したりなんかしたら、お屋敷から抜け出たは良いけれど、昼間っから全裸でうろつく不審者になっちゃうじゃない。
余計目立っちゃうよ。逃げ切れなくなっちゃうこと確実だよ。
って、そういう問題じゃないや。この場合、問題は全裸の方だった。さすがに朝の陽光が眩しい中、すっぽんぽんはマズいでしょ。
でも、窓から見える広いお庭のど真ん中。柔らかな草の上で大の字になったら、開放感溢れて気持ちいいんだろうな。
今日は、久し振りに朝から晴れ上がった良い天気だし……。
ああ、いえ、それも違いますね。まずは恥ずかしがろうよ。乙女でしょ、わたしだって。
それにしても、いったいどちら様?
もうもうと立ちこめる湯気の中、脱衣場の方へ向かって目を凝らす。
あっ、ヤバい。こっちへ来る。どこか隠れる場所はないかな。
湯船から立ち上がりかけたまま、あっちこっちと辺りをきょろきょろ見渡すけれど、日本の露天風呂じゃあるまいし、当然のように岩陰のような身を隠せる場所は見当たらなかった。
ああっ、ついに浴室まで入ってきたよ。
ようし、こうなったら……。
湯船の中を潜水で進んで、湯船の端っこまで辿り着き、相手の動きを良く見て、入れ替わりに脱衣所へ戻るのだ。
胸一杯に大きく息を吸い込んだ途端、わたしに近付いてきた人影が声をかける。
「そこにいらっしゃるのは、マチルダ様ですか」
「いえ、違います。わたしはミヅキと申します。決して怪しい者では……」
しまったーーーっ!
つい、ホントのことを言っちゃったー。
ばかばか、わたしのばかーーーっ!
「あ、いえ、今のはただの間違いなのです。ワタクシ、本当はマチルダなのでございます」
間違い?! 間違いってなんだーっ?!
そんな見え透いた言い訳が通るはずないじゃん。
「そうでしたか。ではマチルダ様は、何故こんなところにいらっしゃるのですか」
女性らしき人影の声からは、明らかに訝しんでいるようすが伝わってくる。
あああっ、怪しんでる。めっちゃ怪しんでる。
でも、わたしにだって、なんでこんなところにいるのかなんて分からないよ。
あれ、もしかして、このままマチルダ姫を騙ったニセモノとして捕まっちゃうのか?!
そりゃないよー。誤解だよー。わたしだって、間違えられて、ここへ連れてこられただけなんです。
よおしっ、こうなったら今度こそ……。
再び意を決して、大きく息を吸い込もうとしたわたしの横に、音もなく、すっと近付いてきた彼女は腰掛ける。
「しばらくお会いしない間に、ずいぶんと可愛らしくおなりですね」
湯船の中、わたしの隣に並んだ彼女の顔を見て、心臓が飛び出るかと思うくらい驚いた。
ネーナさんだ、ネーナさんだ、ネーナさんだっ!
なんで? どうして? ここにネーナさんが?
びっくりした。けれども、安心もした。
わたしの緊張が、一気に解けてゆく。
こう見えて、『炎の剣亭』への
端から見たら、全然そうは見えなかったかもしれないけれど。
さっき、ついうとうとしちゃったのは……、まあ置いといてだね。
ホントに、それはさておき、ネーナさんって、いったいおいくつなんだろう。
この肌の張り。この髪の艶。スタイルだって、出るとこは出ていて、引っ込むべきところは、きゅっと締まっている。
確か、おっちゃんがまだ駆け出し騎士の頃から、もう第一線の侍女として騎士団組織の中で働いていたんだよね。
わたしも、いつかネーナさんのような
はあー。ため息が出ちゃうよ。
湯船の中で、俯いて、自分で自分を見下ろすわたし。
「ところで、これからどうなさるおつもりですか、偽マチルダ様」
うおー、そうだった、そうだった。
こんなことで、へこたれている場合じゃなかった。
にっこりと笑うネーナさん。
笑っていながらも、その目には、そこはかとない怒りが感じられる。
「昨夜は、随分と心配したのですよ。私だけでもなく、ミヒャエル様も、皆様方も」
うひゃあ、やっぱり怒ってる。
でも、わたしだって、無断外泊したくてしたんじゃないんです。
これには、とってもとっても深ーい訳があってですね。
「私なりにご事情は承知しております。私が腹を立てておりますのは、ハルマン氏やジェイムズ氏に対してですわ」
おや? もうこの一件の首謀者たちのお名前は割れているのですか?
「どういう訳か私には騎士団関連のことだけでなく、様々な情報が集まってくのです」
それはもう、お城の内外のことから、宰相たちの動きまで、エトセトラ、エトセトラ。
例えば、今朝ソフィア姫様が召し上がった好物のタマゴの数から、今王様がお召しになっているは肌着の色まで。
——うふふふふっ。
お上品な笑顔の中に、不敵な表情を滲ませるネーナさんなのでありました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます