第106話 わたし、怒りのミートボールなのだ その四
うにゃー。湯船に浸かったまんま、寝てしまった。
こんな広いお風呂を貸し切りだなんて、なんという贅沢。とばかりに、この
なんだか懐かしいような、少しだけ寂しいような夢を、見ていたような気がしたり、しなかったり。
元の世界で仲良しだった友達の夢。わたしなんかより、ずっと美少女で、
どんな夢だったのかまでは、実は良く憶えてはいないけど、この大浴場に入ったところまでは良く憶えているよ。
わたしは、このお屋敷自慢の大浴場の前で、首尾良く黒服二号を言いくるめ、彼の同席をお断りしたのだ。
もっとも、いかに姫様のお目付役とはいっても、入浴に同席しようなどという不届き者なんてめったにいないだろう。
大浴場の脱衣所に控えていた侍女の方々にも、なんとかご遠慮いただいた。
この国では、高級貴族、そして王族の方と言えども、その場に立ったまま手や足を上げ下げさえすればお召し替えが済んでしまう。などというシステムは導入されていない。
どこぞの昔のお殿様のような生活スタイルではないのだ。お風呂の中でも同じコト。映画の中でしか見たことのないような、座っているだけで身体を洗ってくれる召使いなどの存在もない。
着替えだけは、庶民のようにクローゼットの中から自分で選んだりはしないで、側仕えの方が用意してくれるらしい。
それだって、手ぶらで浴室に向かえば、必要なものをきちんと揃えてもらえるという、わたしから見れば贅沢なものなのであるけれど。
だから、この国出身のマチルダ姫が、お風呂では一人でのんびりとしたい旨を伝えれば、余計な詮索もされず、怪しまれることもなく、皆さん退出されてゆく。
それでも、なんとかマチルダ姫のご機嫌を取りたいらしい、ジェイムズ氏から受けた指示のせいで、なかなか侍女の皆様を説得するのには苦労したのだ。
きっと、「マチルダ姫様には、最大限のサービスを以て、おもてなしをせよ」とかなんとか言われているであろう侍女の方々には感謝の意を表したい。
わたしからもジェイムズ氏には、「あなた方には良くしていただいたとお伝えしましょう」とかなんとか伝えて、ようやく引き下がっていただいたのだ。
さてさて、ここからが、わたしのターン。
無駄に広い脱衣所の中を駆け巡り、どこからか外へ出られるところはないか探しまわる。
幸いにも、出入り口付近にもう一つの扉を見つけたので、中を探ってみたら、大きな竃のある部屋に辿りついた。
わたしのいた世界で言えば、ボイラー室に当たるのかな。ここで薪を炊いて、お風呂のお湯を沸かしているみたいだね。
竃の傍らには、薪を運び入れるためであろう扉が付いており、開けてみれば、案の定、そこは裏庭らしき屋外へと繋がっていたのだ。
外へ抜け出るためのルートを確保したわたしは、安堵のため息をもらす。
そこで、すぐにでもスタコラと逃げ出しておけば良いものを、ついつい持ち前の好奇心が頭をもたげ始めてしまったのだね。
つまり、なんでこの緊急事態に、こうしてのんびりとうたた寝なんぞしながら湯船につかっているかと言えば、まさしくその好奇心が原因なのだ。
黒服2号から聞いた話しによれば、このお屋敷のお風呂は、近隣の貴族様たちでさえ備えていないゴージャスなものなのだそうで。
なんとなく温泉旅館の大浴場を想像してしまったわたしは、ついついどんなものだか確かめてみたくなってしまったのだよ。
豪華なお風呂ったって、わたしのいた世界の高級旅館ほどではないだろう。
これで総檜造りの湯船だったり、まさかのオーシャンビューだったりしたら驚くけどもさ。
なんて思いながら、浴室を覗いたら、びっくりだよ。
わたしの想像の遥か斜め上をいく光景が、そこにはあったのだ。
いや、良い意味ではないよ。
一言で言えば、とっても成金趣味っぽい感じ。
無駄にゴージャスな、光り輝く装飾品に彩られた大浴場。
どことなくジェイムズ氏の好みって、やっぱりこんなのかなと感じさせるような。
でも映画の中でしか見たことがないような、古代ローマの公衆浴場にも似た広い浴室は見事だった。
きっと建設には、かなりのお金が掛かったに違いない。いろいろと方向性が間違っているのが残念だけど。
ローマの公衆浴場は、床下暖房が備えてあったらしいけど、もちろん、そんなものはない。
あっちには高温の浴室とか、冷浴室なんかもあったみたいだけど、こっちには当然それもなかった。
でも獅子の彫刻みたいなものから、お湯が供給されているアレはあった。
大きく開けられた口の部分から、お湯がダバーッと流れて出てくるアレだ。
しかも金ピカな素材で作られているところが、らしくもあり、全てを台なしにしている一因でもあった。
でも良く見ると、浴室の足下はきれいなタイルが敷き詰められているし、浴槽はピカピカでツルッとした大理石っぽいもので造られている。
その浴槽からはホカホカと湯気が立ち上っていて、いかにも成金っぽい趣味とはいえ、手足を伸ばしてつかったら気持ちいいんだろうな。なーんて思ってしまったのだ。
それでまあ、ちょっとくらいなら大丈夫だろうと、即座に衣服を脱ぎ捨てて浴室に直行。
掛け湯もそこそこに、湯船に飛び込んでしまったわたしなのであった。
想像以上に気持ちが良くって、ついついのんびりうとうとしてしまったけれど、そろそろ上がらねばなるまい。
ジェイムズ氏のお屋敷からの脱出ミッションは、まだスタートしたばかりなのだ。
——久し振りの大きなお風呂は、ちょっと名残惜しいけれど、そろそろお暇せねば。
そう決意を新たにしたわたしの目に、いつ間にか脱衣所で揺れている人影が映る。
——うわーん。やっちゃった。長湯し過ぎたかな。もう誰か来ちゃったよ。どうしよう。
帰還作戦の第一歩、お屋敷からの脱出ミッションが、早くも失敗の様相を呈してきた今、いやが上にも緊張感が高まるわたしなのでした。
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