第105話 100話突破記念企画 突然の外伝 楽しかった日々。なのさ【後編の後半】

 あいつは、あんな悲しい出来事があっても、表面上はなにも変わらないように見えた。

 一人暮らしだからって特別に許可を貰って、放課後にアルバイトを始めたりなんかしちゃってさ。


 以前と変わってしまったのは、ワタシの方だったのかもしれない。

 放課後どころか、授業中からなにから、いつでも一緒だったからね。

 アルバイトがあるからと、先に帰ってしまう、あいつの後ろ姿を寂しい気持ちで見送ったりして。


 でも、その後ろ姿を見送っているうちに、やっぱりあいつにはワタシが、というかワタシたちが必要なんじゃないかって思えた。

 急に両親を亡くして、それでも変わらないはずがないじゃないか。ワタシには、あいつの背中がどことなく空っぽに見えたんだ。


 それからは、タカナシとモリナガを誘って、アルバイトのない週末には、あいつの家へ三人で押し掛けることにした。

 タカナシも、モリナガも、わたしと同じ気持ちだったみたいで、一も二もなくワタシの意見に賛同してくれたんだ。


 最近は、あいつのことばっかりだったんだけど、ああ、こいつらとも友達だったんだなとか急に思ったりしてさ。

 もちろん、あいつの友達ってのもワタシだけじゃない。友達は、わたしたち三人なんだって感じたよ。


 あいつの誕生日には、三人で本人には内緒で、小さくて可愛いデザインの十徳ナイフをアウトドア用品店へ買いにいったりしたんだ。

 乙女の誕生日プレゼントに十徳ナイフはいかがなものか、とも思ったんだけど、何故だか他の二人も、これが「あいつっぽい」と賛成してくれた。


 誕生日の次の日、あいつは贈られた十徳ナイフを通学用のバッグの中に忍ばせてきた。しかも嬉し気に。

 贈っておいて言うのもなんだが、普通、女の子はそんなところには十徳ナイフなんかを常備したりはしないだろう。


 今は法律が厳しいんだ。キャンプなんかにいく時以外は、むやみに持ち歩いちゃいけないんだぜ。場合によっちゃ捕まっちゃうよ。

 そもそも、女の子ってやつは、たいていは何かのキャラクターもののアクセサリーでも愛好するものなんじゃないのか。


 なんて思いながらも、あいつの好みのプレゼントができてワタシたちも嬉しかった。


 その頃あいつがアルバイトしてる先っていうのが、個人でやってる居酒屋だか定食屋だかでさ。

 でも、そこん家の奥さんは喫茶店がやりたかったらしくて、美味しいお茶やコーヒーの淹れ方や、焼き菓子の作り方を教えてもらってるらしくてね。


 おまけに、その奥さんはコスプレが趣味らしくって、あいつと二人でメイドのコスプレした写真を撮ってたりしたんだぜ。

 あいつがメイド服? ぷぷっ、なにそれ? と思ってたんだけど、写真を見せてもらったら、ことのほか、どころか、ものすごく似合ってたんで驚いたよ。


 本人は、これはあの店の制服であって、決してコスプレなんかではないと言い張っていたけれど。

 ついには、わたしたちが、あいつん家のチャイムを鳴らすと、まるで、お店で接客する時みたいに、にっこりと笑って「いらっしゃいませ」なんて言うようになったんだぜ。


 もっとも、部屋に上がって、あいつの淹れてくれた美味しいコーヒーを飲みながら、いつもの女子会トークを繰り広げている時は、以前と変わらない少しだけぼーっとした表情で、うっすら微笑んでワタシたちの話しを聞いていたけどさ。


 そのうちに誰が言い出したのか、あるいは、あいつが言い出したのか、夜はお泊まりになることが多くなった。

 お泊まりの時は、夕飯は材料を買ってきて、自分たちで食べたいものを、みんなで作るんだけれど、あいつの料理の手際の良さには、いつぞやのゲームの時以上に驚いたね。


 タカナシも、モリナガも、もちろんワタシだって、料理にはちょっとした自信があった。

 普通に、この年頃の高校生だったら、誰でも持っている特技スキルの一つとしてね。


 でも、あいつの料理に腕前には、まったく敵わなかったんだ。


 冷蔵庫にあるものを眺めて、食べたいものを決めて、足りない材料を買い出しにみんなでいってくる。

 それで、みんなでわいわい作るんだけど、その隙に端っこでなにかやってるなー、なんて思ってると一品増えていたりするんだ。


 ちょちょいと作った割には、気の利いた一皿でさ。味もまた絶品だったりして。


 そんな風に、メインの料理は、わたしたちに任せたりしていた時は、あいつの切った野菜なんかに比べたら、わたしの切ったものなんて不格好なものなんだけど、それでもあいつはうれしそうに食べてくれたな。


「美味しいね、美味しいね、美味しいね。みんなで食べると、美味しいいね」


 夜も更けてきたら、あいつの狭い部屋で、枕を並べ寝るんだ。

 さすがに、もう大人だから、枕投げまではやらなかったけど。

 電気を消しても、女子会トークは続くんだ。


 今話す必要はあるのかっていう話題ばっかりなんだけど、それがまた楽しいのさ。


「楽しいね、楽しいね、楽しいね。みんなと一緒だと楽しいね」


 寝言とも、一人言ともつかない、あいつの呟き。


 ああ、本当にその通りだったよ。


 今、ワタシは、主のいなくなってしまった部屋で、あの日と同じようにごろりと横になっている。

 あいつも見上げたであろう天井を見上げて、いなくなってしまったあいつに思いを馳せていたところだ。


 今度こそ、いつまでも続くような気がしていた平穏で楽しかった日々は、半年ほど経った今年の春に、突如終わりを告げた。


 本当に突然の出来事。あいつが、いなくなってしまったんだ。


 家出とか、失踪とかなんかじゃない。


 朝、いつものようにあいつを迎えにいったワタシの目の前で、文字通り光の中へ消えていったんだ。


 少し遠くから、あいつが家から出て来るのが見えた。

 折から近づく、おかしなカタチの軽トラック。

 危ないっ! と声を掛ける間もなく、あいつが跳ね飛ばされたと思った瞬間、目映い光に辺りは包まれて、一瞬視界が真っ白になった。


 そのあとのことは、良く憶えていない。あいつの姿も、怪しい軽トラックも、まるでそこには始めから誰もいなかったように消え失せていたんだ。


 幸い、というか、生憎というか、周囲には通りかかった通勤や通学途中の人々がたくさんいたんで、わたしの証言も虚言ざれごと扱いされずに済んだ。


 あいつのいなくなったあと、例えば戸籍上はどうなったのかも分からない。

 でも、たぶん死亡扱いだけはされていないような気はする。

 学校からは、自主退学だか休学だかをしたと発表されていたし。

 やっぱり今回も、ワタシの両親が頑張って、少なくても、この家の管理権は手に入れたようだから。


 そんな訳で、ワタシは週に一度は、この家を訪れて掃除したりしながら、あいつの帰りを待つことにした。

 あいつが消えてから、少し肌寒さの残る季節は過ぎ、ちょっと動くと汗ばむような陽気の季節になった。


 それでも、ワタシは信じている。

 あいつは、必ず帰ってくるって。


 例えば来年の春あたり、あいつが消えた日から一年後くらい、ワタシがこの家の掃除をしようと訪れると、中からは人がいる気配が、ほんのりと感じられる。

 訝しみながらワタシが、ピンポンとチャイムを鳴らすと、本当に、ほんっとうに、なにごともなかったように玄関のドアは開かれるんだ。


 そして、あいつ……、美月ミヅキは満面の笑みで、ワタシにこう言うのさ。


「いらっしゃいませ」

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