第101話 わたし、怒りのミートボールなのだ その三
——もし、よろしければ、このあとお風呂をいただきたいのです。
わたしは作った笑みを顔に張り付かせたまま、そう希望を告げてみる。
大丈夫だよね、お風呂? さっきは、すぐに用意できるって言ってたし。
おお、といった表情となったジェイムズ氏、すかさず指パッチン。
すると、どこからか湧き出る、侍従や侍女の皆様。
その中には、どことなく見覚えのある佇まいがあったり、なかったり。
「姫様のために風呂の準備を」
ジェイムズ氏が一声掛ければ、統率の取れた動きで持ち場であろうところへ散っていった。
その姿に見とれていると、背後から声が掛かる。
いまや、派手な格好となった黒服2号だった。
おや、キミは持ち場へ向かわなくても良いのかな?
「私、
はあ、そんなに気を使ってくださらくてもよろしいのに。
怪し気な魔法の使い手、黒服2号が相手じゃ、隙を見つけるのは難しいじゃないか。
でも、それも考慮に入れた上でのお風呂大作戦である。
さすがに浴場の中までは、ついては来れまいて。
ふっふっふ。
脱衣所か、湯船のあるところか、どこかで一人きりになるチャンスは必ずあるはずだ。
そこを逃さず、窓かどこかから、このお屋敷を脱出。
あとは野となれ山となれ。な大作戦を決行するのだ。
あれ? でも待てよ。客室に小さな風呂が付いていたらどうする?
お城の客間は、離れのコテージのような造りで、それぞれに小さな浴室が設けてあったのだ。
母屋というか、お城にゆけば王族専用のものとは別に、そこで働く方のための大きな浴場が備えてあると聞いていた。
けれど、お風呂タイムの度に出掛けるのが面倒だったわたしは、お城で世話になっている間、一度もその大浴場を尋ねずに、部屋の小さな浴室を愛用していたのだ。
先ほどまで寝ていた、客間と思わしき部屋にお風呂まで完備されていたら、あそこは二階だよ。窓から逃げられないじゃないか。
そうなったら、根底から、この作戦はおじゃんだ。もう一度、逃走ルートを見直すことになる。
映画なんかで良くやっているように、ベッドのシーツを繋げて、ロープ代わりに使ってみるとか?
いやいや、あれは確か、端をベッドの足に結びつけて固定する様式だった。地上に降りるには、シーツが何枚も必要なのだ。
あの部屋にベッドは一台限り。そう多くのシーツがあるとは思えない。
では、天蓋に張ってある布も使ってみるっていうのはどうだろう。
あれだけ大きな布だ。地面に届かずとも、飛び降りても平気な高さまでいける気がする。
おー、この作戦だったら大丈夫。
もしも、さっきの部屋にゆくことになったら作戦を変更しよう。そうしよう。
ちらりと、天蓋から布を引き剥がすのは器物損壊に抵触するではないか、との懸念が頭をよぎったけど、この際深くは考えまい。全てはここから脱出するため。背に腹は代えられないのだ。ごめんなさい。
だがしかし、寝室とは別に、お風呂場があったりしたら?
ベッドシーツも、天蓋もなかったとしたら?
おおー、どうする?! どうする?! そしたら、どうする?!
待て、わたし。落ち着くんだ、わたし。
たいていの場合、浴場付近には、リネン室というものがあってだな。
うおー、それは、現代日本のホテルなんかの話じゃないか。
ここは、異世界。元いた世界の常識なんて通用しないのだ。
ああー、そうだとしたら、この作戦は本当に終わった。
一から逃走ルートを見直して、確保しなければならない。
ああ、もう、がっかりだ。
でもでも、あきらめないよ。
なんとしてでも、この世界で出来た大切な人たちの待つ『炎の剣亭』へと帰り着くんだ。
頭の中で必死に作戦を練っていると、どこかで誰かが話し掛けてくる。
うるさいな。ちょっと黙っていてくれないか。今重要なところなんだから。
——マチルダ様。
ハッ! わたしは、今マチルダ姫だった!
我に返って、呼んでいた黒服2号に視線を投げる。
さっきから呼ばれていた気がするのだけれど、自分のことだとは思わなくて、ついついこのお屋敷からの脱出計画を練るのに夢中になってしまったよ。
ごめんなさい。なんでしょう?
「先ほどの朝食では、気を使わせてしまいましたね。主に代わってお詫び申し上げます」
先ほどの朝食? ああ、アレのこと?
大丈夫ですよ。不味いものではなかったし、むしろ空腹にはありがたかったのです。
あの謎肉のミートボール……、それだけを除いてはね。
「お残しになったアレは、主の故郷の郷土料理だそうで、お招きした方々には必ず饗されるのですが」
ふと黒服2号を伺えば、いつもの怪しい笑顔のままなんだけど、若干顔を
「私もアレは苦手でして、最初は残してしまって、主に怪訝そうな表情をされたものです」
あー、やっぱりアレって、美味しくないんだ。
良かった。そう思ったのが、わたしだけじゃあなくって。
「今では、訓練によって表情も変えずに完食できるようになりましたが」
心なしか、遠い目をする黒服2号。
キミも苦労しているんだね。
すこーしだけ、ほんの
「私、実は隣国の出身でしてね。この国で一山当てようと移住してきたのです」
どうやら近隣諸国の間では、この国は魔法大国だと思われているらしい。
他の国に比べると、魔法に関する法律も整っているし、魔法業界に対する扱いなんかは段違いに良いというのだ。
ははーん、それってみんな、過去の聖人様か、あるいはウル翁の業績だな。
自分は聖女落第な身分だというのに、なんでだか鼻が高いわたし。
許されるなら、ジマン毛やトクイ毛を生やかしたい。しかも撫で切れないほどモフモフと。
そのあと、浴場に向かう廊下で、少しだけ黒服2号とお話しをした。
彼の故郷では小麦を使った麺類が美味しいとか、海辺の町ではお魚が美味しいとか。
わたしは今、その隣国に嫁いだマチルダ姫なのだ。
そんなことは知っていても当たり前だという態度で、鷹揚な笑顔を保つ。
実際には、麺類だとか、お魚のお話しだとかに、ものすごーく食いつきたかったんだけど。
そんな会話をしてるうちに、無事に着いたよ、大浴場。
黒服2号曰く、このお屋敷の自慢でもあるらしい大浴場。
食堂からは、同じ屋内にあるにも関わらず、意外と距離があった大浴場。
このお屋敷は、どんだけ広いんだよ、大浴場。
でも、脱出するには丁度良いのだよ、大浴場。
よし、これは貰ったね。
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