第75話 カフェ『炎の剣亭』、ただ今絶賛営業中! なのだ その一
「いらっしゃいませ」
「ありがとうございました」
お昼の営業を、カフェとして始めた『炎の剣亭』は、なかなかの盛況です。
今まで『炎の剣亭』を遠巻きに眺めていただけであろう方々が、おそるおそるご来店されている気配がする。
ちらほらとだけど、女性の方の姿も見えたり、見えなかったり。
こぎれいな格好した『おっちゃん』が厨房に立ってるってだけで、こんなに違うなんて。
さすがは元騎士団長『炎のミヒャエル』様。おっちゃん効果、恐るべし。といったところだろうか。
なんにしても、この前までの夜の居酒屋の部とは、客層がもうぜんっぜん違うのだ。
主にルドルフさんやマティアスくんの同僚や後輩など、お上品で礼儀正しい方々が増えたのですよ。
あー、いえ、おっちゃんのお馴染みさんだって、見た目に反して礼儀正しいナイスガイたちだったのだけれど。
おっちゃんのお馴染みさんと言えば、ツケの問題。
なんと、彼らは月末になると、きちんとお支払いに来てくださっていたのだ。
今までだって、いつもお給金が出たら真っ先にお尋ねいただいて、ツケは清算していただいていたらしい。
要するにおっちゃんが無精して、ツケ台帳のチェックを怠っていただけだったのだ。
夜の部常連の皆様、ごめんなさい。
悪いのは、全部おっちゃんでした。
平に、平にー。
何故この件が発覚したのかというと、かのお馴染みさんたちが、非番の日に、お昼の営業時にいらっしゃったからなのだ。
どこかで見たことある顔だなー、なんて思いながらコーヒーをお出しして、お会計してみたら、いただいた額がだいぶ多いじゃあないですか。
慌てて、おっちゃんに相談したところ、
「ああ、先月の分は、その辺に置いといてくれ」
などと、それが当たり前であるかのような返事が戻ってきたのだ。
先月の分って何ぞや?
え? ツケてある分?
今のお客様、やっぱり夜の部の常連さんだったんだ?
いつもの荒くれた格好してなかったから、ちょっと自信なかったけど間違ってなかった。
ふっふっふ、自慢じゃないが、人の顔を覚えるのは得意なのだよ。
わたしは、大急ぎでツケ台帳をチェック。
お名前を伺って、いついつの分お支払い済みと書き込んだのだ。
その方だけでなくて、毎日何人も同じような方がいらっしゃったので、おっちゃんにそれとなく聞いてみたのだ。
「ああ、あいつら、ツケの払いはしっかりしてるぞ」
何故かトクイ毛を、今はなくなったお髭のようにフサフサとさせるおっちゃん。
「だから、ツケを認めているんだ」
だから、じゃあないよ。
おっちゃん、その辺どうなってるの?
ちゃんとやってる?
怒らないから、他の帳簿も見せてごらん。
「いやー、面倒でな」
なんですと?!
「まったく付けてないんだ」
やっぱりー!!
今まで、どうやって経営してきたんでしょうね。
なになに、右の引き出しが当面の操業資金。左が売り上げ。
仕入れなんかに必要なお金は、右から出して支払う。
お客さんからのお支払いやら、お釣りやらは左から。
右側が減ってきたなーと思ったら、左側にちょいちょいと移す。
どちらも空にならず、同じくらいのお金が入っていれば、それで良し。
なんじゃそりゃーっ!
文字通りのドンブリ勘定じゃないですかっ!
それで良く、これまでやってこれましたね。
「ああ、どちらかが空になって困ったことなど、一度たりともない」
またもやトクイ毛をフサフサとさせるおっちゃん。
でも怪しい業者さんに引っ掛からずに良かったよ。
「おお、商談の時は、愛剣を携えてゆくからな。何故だか、みんな良くしてくれるのさ」
今度はジマン毛をボウボウに生やかすおっちゃん。
なるほど、『炎のミヒャエル』の名は、国中に響いてるってことですか。
これも、おっちゃんが持つ、ある種の
「いざとなったら、上の部屋の中に転がってる財宝袋から、幾らか引っ張り出せば何とかなる」
ああ、これだから
でもおっちゃん、ホントは苦労してお金持ちになったんだもんね。
いいよ、いいよ。『炎の剣亭』は食べたい人が来て、食べさせたいおっちゃんのやってる道楽のお店で。
でーもー、帳簿はちゃんと付けましょうね。
でないと、納入業者さんに払い忘れていたりしたら大変じゃない。
「仕入れに関しては、うちはいつでもニコニコ現金払いだ。掛け売りはしない」
むむ。ということは、いつでも多額の現金を持ち歩いてるってこと?
この前の仕入れの旅なんか、危なかったんじゃないの? 盗賊に狙われたりしなかったの?
「このオレに、ケンカふっかけてくるヤツなんか一人もいない。いたとしても、全てを返り討ちにする自信がある」
はあ、そうですか。
そうですよね。
では、これからは、わたしが帳簿を付けます。
いえ、他意はございません。
わたしにも、コーヒーだけでなく、いろいろと食べていただきたいメニューであるとかなんとか、要するに事情があるのです。
それに『炎の剣亭』の懐具合を知っておかなければいけないと思います。曲がりなりにもおっちゃんの一番弟子なのですから。
おっちゃんは、しばらく考えているようだったけど、
「良し、わかった。その辺は任せる」
と言ってくれたのだった。
——しめしめ、これで『炎の剣亭』のお財布の紐は握ったも同然だ。
うんにゃ、そうじゃない。そうじゃないんだ。
ほんのちょっとだけで良いから、おっちゃんの力になりたかっただけなのだ。
お店のお財布を任せてもらったのは、その第一歩ってとこかな。
「ではとりあえず、最近の納品書とか請求書なんかは残っていたりしますか」
閉店後にでも、伝票の整理から始めたいと思うのだ。
「ああ、その類いのものなら、一番下の引き出しに放り込んである」
見れば、お金を入れる引き出しの下には、一際大きな引き出しが幾つかある。
その大きさを見て、なんかイヤーな予感がするのは、わたしだけでしょうか。
「最近のものだけじゃないぞ。開店当初からのものが全て入っているはずだ」
ああ、やっぱり。
その恐ろしいほどの伝票や書類の山に、目眩すら覚えるわたしなのでした。
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