第74話 カフェ『炎の剣亭』、ただ今準備中なのだ その八
「おう、オレにもひとつ、キンキンに冷えたやつを頼む」
えーと、どちら様?
見かけによらず、やけに慣れ慣れしいな、この兄ちゃん。
それにしても、なんだい、そのぶっきらぼうな話し方は。
でも、どこかしらで会ったことがあるような気がする。
特にその声。聞いたことあるぞ。しかも、すっごく良く知った声。
まさかとは思うけど。
「ああ、先輩。お疲れ様です。こちらへどうぞ」
「なんだ、お前。髭を剃ったのか。なんだか懐かしいな、そのなりは」
「やっと眼鏡を掛ける気になったのですね、ミヒャエル様」
やっぱり、おっちゃんだったー。
うわー、見違えちゃったよ、おっちゃん。
いいえ、おっちゃんと呼ぶのも憚られます。
思っていたよりも、ずっと若々しいのです。
若々しいんじゃなくて、ホントに若いのかな。
お髭がなくなった頬はツルッとしてるし、眼鏡のお陰か眼差しも柔らかい。
そう言えば、ルドルフさんとは、幾つか年は上なんだけど同期なんでしたっけ。
ルドルフさんは、騎士団長だけあって貫禄あるけど、確かまだお若いんでしたよね。
「うむ、俺もミヒャエルも、まだ三十路にはなってないぞ。俺はともかく、まあ、あいつは間近なんだけどな」
ああ、本当にお若かった。
つっても、わたしよりなんかよりは、ずうっと大人だけど。
でも、今までおっちゃん呼ばわりしてゴメンよ、おっちゃん。
わたしは、改めて『新生おっちゃん』を見つめる。
服装も、いつもは洗濯したてのはずなのに、何故かヨレッとしていたんだけれど、それが今は同じものだけどピシッとしている。
「先輩、久し振りに騎士らしい雰囲気に戻りましたね」
「おお、それでこそ我が盟友、元騎士団長、炎のミヒャエルだ」
「眼鏡、お似合いですよ。これで調理中、お怪我なさらずに済みますね」
ウル翁の元で「再教育」でもされたのであろうか。
おっちゃんの醸し出す雰囲気は、まるで別人のようである。
もう、おっちゃんって呼べないのかな。呼んじゃいけないのかな。
「なんだ? オレの顔になんかついてるのか」
いいえ、見慣れたお髭が付いていなくて、見慣れない眼鏡が付いているだけです。
わたしの中のおっちゃんとは、かけ離れてしまったのが寂しいやら、うれしいやら。
——なんか複雑。
「師匠の説教に付き合ってたら、なんか疲れちまったぜ」
でもやっぱり「再教育」なんか、されてないじゃん。
中身は、さほど変わっていないようすに、何故だか安心してしまうわたしでした。
「ミヒャエルのやつも、戻ってきたことだし、俺たちもそろそろお
「そうですね、先輩たちのおじゃまするのもいけませんし」
「ミヅキ様、コーヒーはお幾らだったかしら」
ええっ、わたしたちを心配していらっしゃった皆様から、お金を取るなんてできません。
「それはいけません、ミヅキ様。例えお相手がご友人であっても、代金を取り立てることができなければ商売は成り立ちません」
「そうさ、ミヅキ殿を応援するために『炎の剣亭』まできたのに、タダとあっては我々も心苦しいではないか」
「そうですよ、ミヅキさん。美味しいコーヒーの対価は、きちんと支払われなければ理に反します」
そそっ、そうでしたね。
危ない危ない、おっちゃんの二の轍を踏むところだったぜ。
わたしは、ルドルフさんたちに、コーヒーの値段を告げる。
事前に、おっちゃんやウル翁と相談して決めてあったのだ。
『炎の剣亭』で出しているエールよりは、ぐっとお手頃価格。
元いた世界と換算しても、コーヒー一杯としては妥当なお値段。
要するに、この世界でも庶民的なお飲物にしたいのだ、コーヒーを。
実を言うとウル翁からの仕入れ値は、ちょっとビックリするくらい安かった。
本当にそんな値段で良いのかと尋ねたら、
「儂が生産地で豆を手に入れた時はもっと安い値段じゃった。それでも規定の額に上乗せして払ったのじゃ」
とおっしゃるではないか。
ウル翁と、それから豆を育てている方々が損をしないのなら、それで良しとしたわたしである。
ネーナさんは、大きめのお金を取り出し、
「お釣りは、ご祝儀ということで」
などと、わたしに手渡そうする。
ルドルフさんもマティアスくんも、笑顔で頷いているけど、それこそ、これはわたしの主義に反する。
受け取る、受け取れないで、しばし揉めたけど、わたしの提案で事は収まった。
ご祝儀は受け取れないけれど、ご好意は受け取ることにしたのだ。
——その代わり、とわたしはお三方に、ごしょごしょと相談というか、お願いをする。
「承知した。心当たりを探してみよう」
ルドルフさんたちは笑顔で承諾してくれたよ。
よかった、よかった。
ところで、わたしたちが話し込んでいた間、おっちゃんは何してたんだ。
見れば、厨房でコーヒーを片手に首を捻っている。
「自分で淹れてみたんだが、どうにもお前が淹れたものより一段下がる」
ああ、お代わりをご自分で淹れてみたのですね。
ええ、手順は間違っていません。
お湯の温度でしょうか、問題は。
なんと、おっちゃんはマティアスくん謹製の湯沸かし用の炉を使わずに、愛用している煮炊き用の竃でお湯を沸かしていたのだ。
どうやら専用の魔導器を使わず、料理人としての勘を頼りにコーヒーを淹れるためのお湯を沸かしたいと思ったらしい。
見た目は、ちょっとばかりどころか、ずいぶんと変わってしまったけれど、職人気質なところはそのまんまなんだね。
真剣な眼差しで火力調節を試みるおっちゃんの横顔を見つめながら、今度こそ本当に安堵のため息を洩らすわたしでした。
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