第72話 カフェ『炎の剣亭』、ただ今準備中なのだ その六

 こっきゅ、こっきゅ、こっきゅ……。


 わたしは、おっちゃんのお土産を飲み干す。


 うまーい。もう一杯。


 おっちゃんのお土産。それは、ブドウのジュース。しかも原液。

 これって果実酒を作る時の副産物であるそうな。


 おっちゃんに唆されて、原液を一口。

 そしたら渋い、酸っぱい、でも甘ーい。


 笑いながら、氷を入れた天然の炭酸水で割ったものを用意するおっちゃん。


 最初から、そっちを出してよ。


「お前、酒は飲めないんだろう。だが、オレが美味いと思ってるものを少しでも味わって欲しかったんだ」


 ははーん? おっちゃん、わたしをジュースで懐柔しようとしてるな。

 でも美味しかった。わたしが大人になった暁には、ぜひ、そっちの本物をいただくよ。


 わたしが飲んだのは、ジュースであって、お酒ではない。

 なのに頬が火照るのは、暖かくなってきた陽気のせいだと思いたい。





「では、儂らも行くか」


 ウル翁、もうお帰りですか?


 本日は、わたしの話を聞いてくださってありがとうございました。

 しかもおっちゃんに説教まで。これでぐーたらなおっちゃんも心を入れ替えることでしょう。


 さあ、おっちゃんもお礼を言って、ウル翁をお見送りするのだ。


 あれ? なんで、おっちゃんはウル翁と一緒に、わたしにお見送りされているのだ?

 でも良く見ると、心なしかおっちゃんの目が「助けてくれ」と訴えているような気もする。


「こやつを、ちょいと借りてゆくぞ」


 ウル翁は、にっこりとわたしに笑顔を向けると、おっちゃんを連行していってしまった。





 ぽつーん。


 一人取り残されるわたし。

 とりあえず皿でも洗っとくか。


 ランチの後片付けをしていると、誰かがお店に入ってきた気配がする。


 申し訳ございません。ただ今店主マスターが留守にしておりまして。


 こういう時は、『ただ今、準備中』の看板が欲しいな。

 黒板かなんかで、喫茶店によくある『本日のおススメ』とかもやってみたい。


 厨房の洗い場から店先を覗くと、やって来たのはルドルフさんとネーナさん。


 おやおや、いらっしゃいませ。

 少々お待ちくださいませ。


 手早く洗い物を済ませると、台拭きを持って彼らの元へ馳せ参じる。

 台拭きといえば、最初は台拭きどころか洗った食器を拭くためのお布巾もなかった。


 開店前と閉店後のお掃除に使う、雑巾はあったのだけど。

 おっちゃん、床や壁を拭くやつと、テーブルやイスを拭くやつとは分けていた。

 でもそこらへんは、もっともっと細かく用途別に分けようよ。


 食器に至っては、全て自然乾燥に任せているし。

 乾き切ってなくても、またすぐに使いはじめるしで、これだから男所帯は。

 道理で、棚の手前の食器だけがきれいだと思ってたよ。


 わたしは内緒で、新しいクロスを求めて倉庫をがさごそと漁ったのだ。

 ちゃんとあるじゃん。見るからに、お布巾っぽいやつ。


 これはテーブル用。あれはシンク用。そっちはお手拭き用。その他いろいろ。

 わたしの暗躍の成果が功を奏して、今手にしているのは、ちゃんと台拭き専用にしたクロスなのだ。


 ささ、こちらへどうぞ。

 おっちゃんが出掛けているので、お出しできるのはコーヒーだけとなりますけど。


「いやなに、今日から昼営業が始まると聞いてな。ようすを見に来たんだ」


 ルドルフさん、今日は鎧じゃないんですね。執務用の服も素敵です。

 おっちゃんの、いつものだらけた格好とは大違いだ。


「ルドルフ様は、朝から執務中も落ち着かななくて困りましたわ」


 おお、ネーナさんは、いつもの侍女服ですね。

 わたしも、あの服が似合うように、早くなりたいです。


 では、コーヒーでもおひとつ。

 ルドルフさんは冷たいのを。ネーナさんは温かいのを。


 それは何ですか、ネーナさん。


 受け取った紙袋を開いてみれば、中にはスコーンが。

 しかも、ネーナさんのお手製。それに、こんなにたくさん。

 ありがとうございます。


 みなさんで、いただきましょう。


 ほんとはオーブンで、ほんの少し温めると美味しいんだけど。

 今日は、オーブンに火を入れていないのが残念だ。


 というか、近頃オーブンは使われている形跡がない。

 後々、それも稼働させることを考えないといけないかな。


 さらに問題なのは、スコーンには甘酸っぱいジャムと、クリームチーズなんかを乗せて食べると美味しいと思うんだけど、どちらも『炎の剣亭』には置いていない。


 おっちゃん、甘いものは食べなさそうだし、ジャムは仕方ないとしても、クリームチーズとはいかないまでも、何か乳製品はないのか探してみたんだけど、それらしいのは見当たらなかったのだ。


 思い返せば、宿舎の共同厨房の食料庫にもなかった。もしかしたら、こちらでは乳製品ってお高いのかしら。


 そんなことを考えながら、お湯を沸かし、食器を探す。

 イギリスのティータイムに登場する、お皿が三段重ねになってるやつとかは、当然ない。


 せめてスコーンくらいは、ナプキンを敷いたバスケットなんかに入れたいと思うんだけど、当たり前のように『炎の剣亭』に、そんな気の利いたものなんかもない。


 スコーンって、ナイフとフォークで頂くのかしら。

 この前ご馳走になった時は、どうしたんだったっけ。


 少々焦り気味なわたしに、いつの間にか厨房に入ってきたネーナさんは、優しく教えてくれた。


「スコーンは、パンと同様に手でちぎっていただきますので、ナイフとフォークは必要ないのです」


 おっと、そうか。まだこの世界のマナーには疎いな。


「お湯が沸いたようですので、ミヅキ様はコーヒーのご準備を。スコーンは、私がご用意いたしましょう」


 ありがとうございます。

 ネーナさんって、わたしにとっては、やっぱり聖女様なんだな。


 お二人のためにコーヒーを淹れながら、美味しくなーれと祈るわたしなのでした。

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