第33話 師匠からは名字呼び捨てと相場は決まっているのだ【前編】
おっちゃん、ぶっちゃけ『炎の剣亭』ってあんまり流行ってないんじゃないか?
そう問い掛けたい気持ちを何度も押し殺して、わたしは皿洗いと皿磨きに精を出す。
ついでに、お皿などの食器を取り出したあとの棚もきれいに掃除しておいた。
次はコップか。『炎の剣亭』って陶器のマグカップが多いんだな。やっぱりガラスはお高いんだろうか。
「昔は、もっとたくさんあったんだが、客にみんな割られちまってな」
はあ、左様ですか。なんだ、その荒くれた想い出は? ああ、そうか。お客さん荒くれ者の冒険者さんも多いって言ってましたもんね。
あ、また微妙な表情で笑った。やっぱり何か隠してるだろう。正直に言え、言うのだ。
「カクシゴトナンテ、トンデモナイデス、聖女様」
なんだ、その棒読み。そして取って付けたような敬語。そもそも、わたしは聖女様じゃないっての。
「そうなのか、では何と呼べばいい? 名前は?」
なんだよ。もうとっくに名乗っただろう。聞いてなかったのか。
わたしの名前はミヅキ。ホ・ズ・ミ・ミ・ヅ・キだ。憶えておくが良い。
「ホズミ……、何かの神様の名前と一緒だな。ではホズミ、薪と炭を用意しよう」
おおっ、この世界に来て以来、久し振りの名字呼び。師匠らしくっていいぞ。
でも、わたしの名字が、この世界の神様の名前というのは驚きだ。なんの神様なんだろう。
はあ、憶えてないですか。いいです。あとで自分で調べます。
それより、薪と炭か。やっと料理屋らしくなってきた。
置いてあるのは、いつぞや見た、厨房の奥の怪しい部屋だな。
おー、薪も炭も大量に! あとこれはなんだ? 剣や防具? その他見慣れないものがいっぱいある。
「こら、そっちは無闇にさわるな。魔道具が暴発したらどうする」
おわっ、そんな危険物と可燃物を同じところに置いといていいのか。
でも、この部屋はきちんと片付いてる。掃除もしてあるようだし。
「ぼんやりしてないで、運ぶのを手伝え、ホズミ」
へいへい、ガッテンでい、師匠。
ふむ。さっきの部屋もそうだけど、厨房の掃除や、道具の手入れはきちんとしてるんだな。感心、感心。
と、何故上目線なのだ、わたしときたら。いやでも、料理は美味しいんだけど、おっちゃんときたらぐーたら親父感が否めない。
で、その窯に鍋を置いて、お湯を沸かすのか。そして、そんなにいっぺんに薪を入れるのか。火を点けるのが難しいんじゃないのか。
キャンプが趣味の友達も言っていたぞ。たき火の最初の火起こしには、ちょっとしたコツがいると。細く削った枝からとか、どうとか。
おっちゃん、わたしの心配顔を見て、にやりと不敵に笑う。
むむっ、なにをするつもりだ。
ややっ、おっちゃんの掌に小さな火の玉が!?
その小さな火の玉は、おっちゃんの手を離れ、ゆっくりと竃の中へ向かう。入れた薪の真ん中あたりで止まった火の玉は少しずつ大きくなって、やがて薪ごとメラメラと燃え始めた。
おおっ! 火の魔法、初めて見た! すげー、魔法すげー! さすがはおっちゃん、初代炎の騎士、ミハ…、ミヘェ……、ミヒャエル。相変わらず言いにくいな。
けど、ちょっと見直したぜ。でも、せっかくなら、魔法で直にお湯を沸かしたら、どうなの?
「戦場じゃあるまいし、魔法で沸かした湯なんて味気ないばかりだ」
ああ、そうだったね。おっちゃんの料理の想い出は、必ずしも楽しいことばかりではなかった。なんか、ごめんなさい。安易なこと言っちゃって。
沸かしたお湯をポットに取って、おっちゃんはお茶を入れてくれた。やっぱりというかなんというか、計量とかはしないんですね。
でも、不思議と美味しい。これもまた長年の料理人生活の成せる技か。
次におっちゃんは、ジャガイモを取り出した。
「ホズミ、お前は何個食べる?」
あー、それはわたし用でしたか。思えば、日も高くなって、お昼の時間じゃあないですか。
「わたしは一つ……、いえ、二つくださいな」
「なんだ、小食なんだな」
そう言って、おっちゃんは自分の分だろうか。芽を取ったジャガイモを、四つ五つと鍋の中に放り込む。
おっちゃんとはいえ、さすがは男の人。たくさん食べますな。あー、それでも食べなくなった方なんですか?
わたしは先ほどまで感じていた疑念も忘れて、お鍋の中で美味しそうに茹だってゆくジャガイモを、少し幸せな気持ちで見つめるのでした。
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