第32話 おっちゃんへの決まり手は、スネにしたいっ! のだ

 ——朝、目が覚めたら店に来い。


 という、おっちゃんの言葉に従って「目が覚めたらって具体的には何時だよ」って言葉を飲み込んだわたしは、宿舎の周りの部屋の方たちが起き出す頃『炎の剣亭』の扉を叩いた。

 すると、なかなか返事がない。例によって、扉の鍵はかかっていない。不用心だな。

 店内に入って、二階に通じていると思しき階段に向かって、日頃は出さないような大声を張り上げると、やっと眠そうなおっちゃんが降りてきた。


「おはよう。早いな」


 じゃないだろう。早く顔を洗えよ。


「よし、始めるか」


 今更きりっとした顔をしたって遅いんだよ。


 始めたのは、店内の掃除だ。うん、飲食店は清潔第一だからな。

 しかし、この前は気付かなかったけれど、テーブルやイスが傷だらけだな。せっかくの高級そうなものなのにもったいない。


 壁なんかも手触りも良くって、木の目も美しい、見るからにお高そうな木材を使ってるのに、やっぱり所々に傷がある。

 出入り口のある正面の壁には何やら妙な出っ張りがあって、掃除もしにくいなあ、もおっ。


 この世界にもホームセンターがあれば、補修剤とか買ってきてD.I.Yしたいところだよ。

 でも、おっちゃんと一緒に頑張りましたよ。おかげで、お店の中はピカピカだ。


 次は、厨房の奥にある食料庫の掃除と、置いてある食材の整理。

 おや、なんとなく涼しいな、ここ。ほうほう、それはマティアスくんの魔道具のお陰か。地下もあるのか。地下は立ち入り禁止? 何があるんだ、地下室に。


 だけど、置いてある食材は意外に少ないのね。整理も、すぐに終わっちゃったよ。いいのかな、この辺りの冒険者や騎士の皆さんの台所なんじゃないの『炎の剣亭』。

 なんだよ、その曖昧な微笑みは。おっちゃんらしくもない。


「ときに、あそこに並んでる樽は、なんでしょう?」


「あれは、キャベツを塩で漬けてある」


 キャベツの塩漬けか。日本の漬け物とは違うのかな。


 ——一口摘んでみろよ。いい出来だぞ。


 とのことなので、お言葉に甘えて樽の蓋を開けてみた。酸味の強い発酵臭がするけど、悪くはない。

 では失礼して一口。ザク切りになった、しんなりしたキャベツをぱくり。ふむふむ……。こ、これは、酸っぱーい。


 あ、でも酸っぱいばかりじゃないな。何か香辛料の香りと風味が効いてる。これは慣れると意外に美味しいかも。

 わたしは、改めて樽の中を覗き込む。黒いのは、胡椒かな。赤いのは……、唐辛子か!? この世界にも唐辛子はあるのか!?


 あまり長時間、樽の蓋を開けておいては良くないそうで、さっさと蓋を閉じる。

 これは、この国の郷土料理の一つだそうで、夏場に採れた野菜を冬でも食べられるようにしたものだそうだ。


「うちのは、さるところから仕入れた珍しい香辛料を使ってるからな。一味違うんだぜ」


 おっちゃんが、ドヤ顔で語る。


 うん。確かに美味しかった。けど、冬場用の漬け物が、この季節になるまで残ってるのはどうなんだ。去年、そんなに沢山漬けたのかな。

 またもや、らしくもないおっちゃんの微笑み。なんだ、何か隠してないか、おっちゃん。


 そして、そのあとは……。それで、もう仕事はおしまいだった。

 足りない食材を仕入れにいくとか、昼営業に向けての仕込みとか、なんかあるだろう。え、ホントにないのか。


「あとは……、そうだな、皿でも磨いといてくれ」


 御意。おっちゃんの態度に、どことなく腑に落ちないものを感じながらも、皿磨きに取り組んだ。

 取り組んだんだが、なんか手前の皿以外は、もう一度洗い直した方がいいんじゃないか。奥の方なんか、うっすらと埃が被ってるぞ。

 それになんだか、傷だらけなものばかりじゃないか。これまた、元は高級品らしいのにもったいない。食器はもっと丁寧に扱ったらどうだね。




 うーん、働き始めたばかりだというのに、何故だか悪い予感がする。

 先ほどから、手頃なすりこぎ棒でも片手に、おっちゃんと「お話し合い」をした方が良いような気がしてならないのだ。


 そして、わたしの悪い予感は、困ったことに、たいてい当たってしまうのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る