第34話 師匠からは名字呼び捨てと相場は決まっているのだ【後編】

 幸せな気持ちも束の間、お鍋のジャガイモをぼんやりと見つめていたら、早速おっちゃんから次の指令だ。


「そこの皿に、さっきのキャベツの塩漬けを盛ってくれ」


 へーい。お皿とトングを持って、食料庫にいく。わたしは……、こんなものかな。おっちゃんは……、どのくらい食べるんだろう。少し多めに盛っておくとしよう。

 戻ると、おっちゃんは茹で上がったジャガイモを、竹ざるに開けているところだった。あれだけ燃え盛っていた竃の火は既に消えている。


 さっきのちっこい火の玉の時もそうだったけど、無詠唱で火を操れるのか。そんな能力を、こんなコトに使うなんて。スゴいんだか、スゴくないんだか。


 良い具合に茹だったジャガイモを、なんか薄い布に包んで器用に皮を剥いてゆく。あっと言う間に茹でジャガイモの完成だ。

 おっちゃんは、ごろごろとしたそれを自分の皿へ。二つばかりは、ボウルの様な器に入れる。おや、その道具はマッシャーかな。


 わたしの分は、荒めのマッシュポテトにしてくれたのか。ありがとう。塩胡椒の加減も、いい塩梅だ。こんな簡単な料理なのに美味しい。

 自分の分は、丸ごと塩を振って食べてるよ。うーん、ワイルド。途中でキャベツもおかわりしてるよ。やっぱり、あの量じゃ足りなかったのか。


 こうして、わたしたちはのんびりとお昼ごはんを堪能している訳だが、いいのかな。

 そろそろ、お昼ごはんを求めてやって来るお客さんがいるんじゃないのかな。


「この時間に来なかったら、もう昼の客は来ないな」


 件の爽やかな微笑みで、あっさりと白状するおっちゃん。

 いいのか、こんなんで。やっていけるのか、こんなんで。


 本番は夕方からの営業らしいので、そこに期待を懸けて、あれやこれやと言いたい気持ちをぐっと抑える。


 仕込みは、もうしばらく経ってから始めるとのことで、おっちゃんは昼寝を始めてしまった。

 いや、客席にあるイスを並べて寝るなよ。テーブルの上で寝ちゃうよりはマシだけどさー。


 おっちゃんみたいに、固いイスの上でなんか眠れないよ。こっちは、これでも乙女ってやつなんだぞ。

 手持ち無沙汰になったわたしは、遠くからそおっとおっちゃんをようすを伺う。


 なんだか寝てるおっちゃんの顔って可愛いな。しかも起きてる時より表情が凛々しいぞ。


「あんまり、人の寝顔を見るもんじゃあない」


 おわっ、びっくりした。おっちゃん、目を閉じたままでわたしの挙動が分かるんかいっ。

 さすがは元名うての騎士団長様だ。というか見てません、そんなには。ちらっとです、ちらっと。


 あー、焦ったぜ。しかし、そのあとは特に何事も起らず、夕方近くまで店の中や表を、ぷらぷらとして過ごす。

 たまに目についた汚れを掃除したりして。その汚れが、なんとなーく血の跡のように見えたのは内緒だ。


 そして、ようやく仕込みの開始。

 仕込みといっても、お昼と同じようにジャガイモを茹でて皮を剥いておく。であるとか、タマネギを刻んでおく。とか、キャベツの塩漬けを出しておく。とかその他、いろいろ。

 とにかく、そういったおっちゃんと二人でやってしまえば、割と簡単に済んでしまうものばかりだった。道理で、この時間になるまで仕込みを始めない訳だ。


「一番、大事なものを取って来る。お前はここで待ってろ」


 そう言って、おっちゃんは地下室へと消えてゆく。

 おー、遂に地下室の秘密が白日の元に晒されるのか。


 おっちゃんが持って来たのは、一抱えもある大きな樽。なんだろう? 蛇口のような栓まで付いている。

 それを、厨房の片隅に設けられた台の上に、でんっと置いたおっちゃんは、大きめのマグカップを取り出した。


「こいつは、昔、国中を渡り歩いたオレが見つけた、この国一番のエールだ」


 エール? 知ってるぞ。昔のイギリス人が飲んでた、ビールみたいなヤツだろ。

 わたしは、お酒を嗜まないので、違いは良く分からないけど。


 おっちゃんは、さっそく手にしたマグカップに並々とエールとやらを注ぎ、それを一気に煽る。

 よっ、いい飲みっぷりだね。じゃなくて、客が来る前に自分が飲むのか? いいのか、そんなんで?!


 こうして地下室の秘密どころか、おっちゃんの酒好きまでもが白日の元に晒されたのであったのだ。

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