第17話「蹴り飛ばされた石ころは」


「あんた、こんなところに入ってきちゃダメじゃない」


 11歳になったばかりの、雨の降る朝だった。

 神殿の庭でうずくまる女の子を見つけたの。

 汚れた服に包まれた体はガリガリで、ずっとまともに食べていないことは一目瞭然だった。

 髪も伸びっぱなしで、まるで野生のけものみたいだったわ。


「……」


「ここは聖域せいいきよ。聖職者せいしょくしゃ以外は入っちゃいけないのよ」


「……」


 返事はなかった。


 そのまま、放っておいてもよかったのよ?

 だって、私には関係ないもの。

 その子が捕まって叱られたって、そのまま死んだって。


 でも、せ細った小さな手で私のスカートを掴んだから。


「……助けて」


 彼女がしぼり出した声が、震えていたから。


「いいわ。その代わり、あんたの命は私のものよ。いいわね」


「はい」


 契約成立。

 私は女の子を部屋に連れ帰って清潔な服に着替えさせて、温かい食事を食べさせた。

 その段になって気づいたの。

 彼女の、真っ赤な瞳に。


「キレイな瞳ね」


「そう、ですか?」


「ええ。宝石みたい」


 神殿を飾り立てる豪華な宝飾品。

 その中に、真っ赤な宝石があったことを思い出したわ。

 あれに、よく似ていた。

 ううん。

 あんな欲にまみれた石なんかよりも、もっともっとキレイだと思ったわ。


「ありがとうございます」


 められて照れた顔が、可愛かった。


「聖女様も……」


「ラフィーよ」


「でも、聖女様のお名前を呼ぶだなんて……」


 恐れ多いと続けた女の子。


「私は、聖女様って呼ばれるのが好きじゃない。わかった?」


「はい。ラフィー様」


「様もイヤ」


「えっと、……ラフィーさん?」


「まあ、いいわ。あんたの名前は?」


「……リアンです」


「リアンね」


「あの、その……」


 リアンが、もじもじとしてた。

 頬が真っ赤で、やぱり可愛いと思ったわ。


「ラフィーさんの瞳も、とってもとっても綺麗です」


「そうかしら?」


「はい。僕の大好きな、夏の空の色とおなじです」


「……そう」


 母親とお揃いだと聞かされていた、青い瞳。

 私の、たった一つの宝物。

 それを綺麗だと言ってくれた。

 その表情を見れば、お世辞せじなんかじゃないって、ちゃんとわかったわ。

 彼女はね、『大聖女様』なんかじゃない本当の『私』を見つけてくれたのよ。

 私の瞳の中に。


 嬉しかった。


 その後は二人で毛布にくるまって、ただただ温め合った。

 私も彼女もわかっていたから。


 この幸せな時間は、長くは続かないってこと。



 ──コンコンコン。



 無粋ぶすいなノック音。



 私の返事を待たずに、ドアが開いた。

 厳しいおじさんたちがズカズカと部屋の中に入って来て、乱暴な手つきで毛布をぎ取られたの。


「なに?」


「どうしてコレがここにいる?」


「私のものです。触らないでください」


「お前のもの?」


(私が、命をもらったんだもの。だから、私のものだわ)


「コレが何なのか、分かって言っているのか?」


 リアンを睨みつけるおじさんの瞳が、憎しみに歪んでいた。


「……分からないとでも?」


 リアンの持つ禍々しい気配には、ずっと気づいていた。

 その『魂』は、普通のヒトじゃないって。

 そんなこと、最初から気づいていたわ。


「では、やるべきことはわかっているだろう?」


 おじさんが、リアンの腕を引く。


(そんなに乱暴にしたら、折れてしまう!)


 私は、リアンの身体にすがり付いたわ。

 無駄かもしれないって、わかっていたけど。

 それでも、そうせずにはいられなかった。


「この、馬鹿者が!」


 ──パチンッ!


 おじさんの平手が私の頬を打った。

 それでも、私はリアンにすがり付く手を離さなかった。


 ──パチンッ! バチンッ!


「ラフィーさん!」


 何度も頬を打たれる私の名を、リアンが呼んだ。


「手を離してください!」


 リアンの赤い瞳から、涙が溢れていた。


「いやよ!」


 無駄だと分かっているのに、手を離すことができなかった。どうしても。


「やめろ……!」


 リアンの声色が変わった。


「リアン、ダメ!」


 赤い瞳が、じわりと光った。


「やめろぉー!」


 ──パンッ!



 赤い光が弾けた。



「ぐぅぅうぅぅ!!」



 私の頬を叩いていたおじさんの腕が、赤い光と共に弾け飛んだ。


「ラフィーさんに触るな!」


 リアンが私の腕を掴んで、おじさんと私の間に立ちはだかって。

 その肩から、赤い光がじわじわと立ち上っていたわ。

 禍々まがまがしい、真っ赤な光が。


「この悪魔の子が!」

禍々まがまがしい!」

けがらわしい!」

きたならしい!」


 おじさんたちが、口々にリアンをののしった。


「大聖女だからと調子に乗りおって!」

「『悪魔の子』など囲って何を企んでいる!」

「大人しく仕事だけをしておればよいものを!」

「この売女ばいため!」


 ──パンッ!


 再び光が弾けた。

 ……もう誰も、何も言わなくなった。


 静まり返った部屋の中、私とリアンだけが立っていたわ。


「リアン……」


「ラフィーさん」


 振り返ったリアンが、悲しそうに微笑むから。


 私は、めいいっぱいの力で抱き締めたわ。

 リアンの小さな体を。


「汚れてしまいます」


 リアンの服は、真っ赤に染まっていたから。


「僕は、汚い」


「大丈夫よ、リアン。あなたは汚くなんかない」


「僕は『悪魔の子』です」


「だから何?」


「ヒトじゃありません」


「私も違うわ」


「ラフィーさんは!」


「私は『大聖女』だもの。ヒトじゃない。同じよ」


「僕、僕……」


「大丈夫。大丈夫」


 私は、ただひたすらに『大丈夫』と繰り返した。

 それしか、言えることがなかったの。





 * * *





「これが、『大聖女』と『悪魔の子』の出会いってわけ」


 隣を歩くラフィーが、懐かしそうに目を眇めた。

 大切な思い出なんだろうな。

 ちょっと凄惨せいさんだけど。


「それから、どうなったんだ?」


「その直後に、神殿に『啓示』があったのよ」


「あの?」


「『大聖女・ラフィーは、悪魔の子・リアンと共に魔王を討ち滅ぼすべく旅立つべし』」


 目を伏せたラフィーの顔は、よく見えなかった。


「私たちは、追い立てられるように旅立ったわ」


 ラフィーは今年17歳になるって言ってた。

 それから約6年間、ずっと二人きりで旅をしてきたんだ。


「……リアンは、どうして神殿に?」


「逃げて来たって言ってたわ」


「なんで? だって子宝に恵まれなかった母親が、悪魔と契約してまで産んだ子供なんだろう?」


「貴族だからね。子供を産めない女は追い出される。だから、追い詰められてそうしたらしいわね」


「じゃあ、なおさら。母親には大事にしてもらえそうなもんだけど」


「母親は、リアンを産んだ時に死んだのよ」


 ラフィーが、石ころを蹴り飛ばした。


「父親はすぐに後妻ごさいを迎えた。後妻ごさいに子供が産まれたからリアンは用済みになったってわけ」


 石ころがコロンコロンと転がって、やがて止まる。


「なんで、そんな扱い……」


「私もリアンもヒトじゃない何か。だから、しょうがないのよ」


 ラフィーがもう一度、石ころを蹴り飛ばした。

 蹴飛ばされた石ころは、今度は闇に消えて見えなくなった。




「……やめちゃえよ」




「え?」


 思わず、口をついて出た言葉。

 でも、本心だ。


「魔王退治なんか、やめちゃえばいいんだよ」


「なに馬鹿なこと言ってんのよ。そんなこと、できるわけないじゃない」


「なんで?」


「なんで、って」


「だって、お前らに何の義務があるって言うんだよ」


「あるでしょ、義務。私は『大聖女』だし、リアンだって、『神』の『啓示』が……」


「そんなの関係ないよ。お前らがやりたくないなら、やらなきゃいいじゃないか」


「でも」


「でも?」


 ラフィーの青い瞳が、不安げに揺れた。

 考えたこともなかったんだろうな。

 『大聖女』として『魔王』を倒す。それが自分の運命で、それ以外のことはできないって。

 そう思い込んでいるんだ。


「何度でも言ってやるよ」




 俺、腹が立っている。




 なんでだよ。

 なんで、そんなクソみたいな運命を受け入れちゃってるんだよ。


「やりたくなきゃ、やらなくていい。そんなクソみたいな運命、否定したっていいじゃないか」


 いつもみたいに、ニヤリと笑ってさ。

 『そんなクソみたいなことやってらんないわよ』って。


「できないよ、そんなこと」


 あ。


 気づいた時には遅かった。

 ラフィーの青い瞳から、ポロリと落ちる涙。


 


 その瞬間、俺の背後に迫った殺気。

 

 ヤバいと考えるより前に、体が動いた。


 ──ヒュン!!!!


 横に転がったと同時に、俺の耳元を風切り音が走った。




「ラフィーさんを泣かせたな」




 振り返るまでもない。

 『悪魔の子リアン』が文字通りの悪魔の顔で、俺を睨みつけている。

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