第58話 イクロース ~ANTISの目的~

 歌舞人がダンジョンと呼ぶ内部。

 そこはナノマシンで満たされている。


 そしてこのナノマシンが入り込んだ人間は筋肉が膨張し、理性を失い、もはや人とは呼べぬ獣へと変貌する。


「この現象を我が友人イクロースはセルメモリーへの干渉によるものと判断した」

「セルメモリーですか……世間ではそれ自体が存在の不確かな物という認識ですが」

「ふむ。だが君はその存在を知っているはずだ」


 セルメモリー。生物の細胞には記憶を蓄積する機能があると言われる。

 臓器移植をされた患者がドナーの記憶を取得する。クローンがコピー元の記憶を有する。その存在は証明こそされてはいないが、それでも存在すると言わざるを得ない事例は多々ある。


 細胞は当然親から子へと受け継がれる。

 人間は原始的な生物から進化し、今の形態に至る。つまり人間の細胞には当然、進化前の生物の記憶。野生で本能のままに生きる生物の記憶が眠っている。

 その記憶を覚醒させ、人間を獣に変えてしまう。

 それが内部に充満するナノマシーンの効果であると、アークレスが友人と呼ぶNASAの研究員、イクロースは推定した。


「まさかこんな形でリンクするとは」

「仮にイクロースの言うとおりならば、我々の人格移行試行用の素体が役に立つ。実験に使うつもりだったが、まさか彼らそのものが答えだったとはね」

「偶然……なのでしょうか?」

「さて。それこそ神のみぞ知る、さ」


 かつてNE-WSで施工された実験、人格移行実験。

 人間の人格そのものを書き換えるという非人道的な実験は失敗という結果に終わった。


 実験の被験体となった者達はその途中で大半が救出されたが、一部の者達はNE-WSの地下で肉体が一応生きているだけという廃人状態となっていた。

 彼等の意識が戻ることはもうない。ただ寿命が尽きるまで、NE-WSの地下で放置されることが彼等の運命となった。


 これはアークレスにとって、そしてアークレス率いるANTIS統合技連にとって不本意な結果であった。

 

 当然彼等はこの結果となった原因の追求を試みた。

 そして失敗理由をANTIS統合技連に協力する学者達は、セルメモリーによるものと結論づけたのだ。


 人格とは先天的な性格と呼ばれる遺伝子と、後天的な経験と呼ばれる記憶によって構成される。当然生きた人間の遺伝子を書き換える等というのは不可能だ。即ち人格移行とは人間の記憶の書き換えを意味する。


 ANTIS統合技研は当初の実験において脳の記憶の書き換えのみを実行しようとした。コンピューターのメモリを消去し、新しいデータを書き込むのと同様の処置を人間に対して行ったわけだ。

 そしてその書き込まれた記憶は、肉体の細胞に蓄積されたセルメモリーとの矛盾を発生させることになった。その結果、人格移行は失敗。被験体は機械で言うならエラーで動作できない状態となり、その為廃人状態となったというのである。


 証明実験のため彼等は新たな被験体を用意した。

 その素体は簡単に言えばセルメモリーを消去した素体だ。


 人間の細胞を抽出し、細胞段階で微弱な電磁波を定期的に流す。セルメモリーの蓄積機関は解らずとも、記憶、即ちデータであるならば消去は可能なはずだ。

 セルメモリーを消去した細胞で造り上げたクローン。

 そのクローンは当然セルメモリーを持たない。厳密には持たないはずのクローン。


 セルメモリーを持たない人間ならば、歌舞人がダンジョンと呼ぶ内部にその人間を入れても獣化を起こさないということになる。


「仮にイクロースの言う通りだとして、サー・アークレス。だとすれば我々が、いえ、アナタが内部に入ることは出来ないのでは?」


 アークレスの目的は、アークレスの考える新たな秩序の基に世界を、人間社会を再構築することだ。


 人格移行実験もその為に行われた。

 アークレスの構築した理念を書き込まれ、無条件に従う。言わば人造の狂信者達。それを造り上げ、世界に広めるために人格移行実験の継続は必須だった。

 その為にNE-WSの解放は必須だった。

 NE-WS解放を政府に脅迫するため、国民全てが人質だと、時に重要人物を、時に一般陣を、無差別に青き炎で焼き殺した。


 だがこのANTIS総合技連の行動指針はダンジョンの発見と共に変わった。

 元々はまだ知らぬ異邦人の技術を手に入れる為に調査を始めたダンジョン。

 そこには新たな世界が広がっていた。


 今ある世界を破壊し、再構築するより、何もない世界に社会を造り上げるだけの方が簡単だ。しかもそこは現存する人間を拒否し、自分達が造り上げた狂信者達のみが生きることを許されるというのだから、アークレスの目的にはうってつけの場所だった。


 その為に内部を独占する。

 小金井教授が殺されたのは、小金井教授の研究が、独占すべき新たな世界をもう一つ創造し得るに足るとアークレスに判断されたからであった。


 新たな世界で新たな社会を構築する。

 偶然も手伝って必要な物は手元に揃い、実行すべきことはやり遂げている。

 だが、肝心の問題が残っている。

 内部にはやはり既存の人間たるアークレスも入ることはできない。


「大切なのは私が内部に入ることではない。内部の世界で生きる者達が私の理念を受継ぐことだ。その為に準備もした」

「準備……ですか?」

「ああ。それに今でこそセルメモリーの消去実験はクローン製造前の細胞にしか実行できないが、技術は進む。いずれは既存の人間からもセルメモリーを消去できる様になるだろう。焦る必要はない。まずは内部を手にする。それからさ」


 アークレスの手にする一枚のカード。

 マグリアにはそれが何かは分からなかったが、アークレスが準備したのだから問題はないのだろうと判断し、気を取り直した。


 ダンジョンを手に入れる。

 今ANTIS総合技連にとってそれが最優先の命題だ。




 その後アークレスの下に歌舞人の逃亡が報告される。


 既に血液検査を実行し、歌舞人の存在価値はアークレスにとってそれほど高いものではなくなっていた。

 内部に入っても獣化しない人間の情報が、そして人を獣化させるナノマシンは既にANTIS総合技連の手の中にある。


 弊害は少ない方がいい。内部独占のため、念の為に殺害できればそれでよし。

 内部に侵入できる技術はANTIS総合技連がどこよりも先んじている。


 だからアークレスの判断は早かった。

 所詮ANTIS総合技連は一組織。正面切って国家とやり合える程の力はない。

 歌舞人からANTIS総合技連は既に日本政府へと存在を明るみにされただろう。

 歌舞人が保護されたという情報を掴んだ後、政府の手から逃れる為にANTIS総合技連の組織員は皆アメリカへと飛んだ。


 内部へのゲートは今、日本だけにあるわけではない。

 既にNASAは日本で見つかったゲートを取得し、保管している。

 そしてそのゲートは今、アークレスと理念を共有するイクロースの手の中にあるのだ。







<あとがき>


 お休みを頂きます。

 次回更新8/12予定。

 よろしくお願いします。

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