第31話 七摘 ~知られた秘密~

<ホテル 遊子里家ゆすりか


「聖書には矛盾がある」


 オーシャンビューが売りのホテル遊子里家。

 内装も家具も一流のデザイナーに選び抜かれたそのホテルのスウィートルームは優雅の一言だ。

 その部屋のキングサイズのソファに腰をかけ、語りかける男もまた部屋に負けぬほど優美な雰囲気を纏っていた。


「何か解るかね?」

「いえ」


 同じくソファに座りながら男の問いかけにマグリアは首を振った。

 

「全知全能の神は人が知恵の身を食べる事を知っていた。

 善悪を知らぬ人は禁を破る罪もまた知らない。

 だが、神は知恵の身を人の手に届く場所に置いた……」

「……」


 男の言いたいことは解らない。解らなくて良い。

 こういうときのマグリアの仕事は、ただ男の話を促すように聞き役に徹することだ。


「つまり知恵の実は神が人に与えたといって良い。

 では神の目的は? 楽園から追放した人に神は何を求めた?」

「……」


 何かを言うべきか? 悩むマグリアの思考を、しかしドアのノックが中断した。


「入りなさい」


 優雅な空間をに似合わぬ慌ただしいノックだ。

 声に僅かばかりとはいえ不快の感情が混じるのも仕方在あるまい。


「はっ、失礼します」


 とはいえ、マグリアとこの部屋の今の主はここには遊びに来たわけではない。

 ついとはいえ自身の態度を反省しつつ、マグリアは部屋に入ってきた人物に表情を取り繕った。


「それで、要件は? ミスターナナツミ」

「宗主のいらっしゃる内にお耳に入れて起きたいお話が……」


 部屋に入ってきたナナツミと呼ばれた男にマグリアが問いかけると、ナナツミは自信のタブレットに写真を表示した。


「どなたですか?」

「はっ。名前は久留井歌舞人。こちらの調べでは何処にでもいる普通の学生です」

「……その彼がどうしたと?」

「彼は例の装置による見せしめの対象でした」

「……? 話が見えませんね」


 またも多少の苛つきを声に乗せてしまったことをマグリアは自戒した。

 アメリカからわざわざやってきて、ただの一般人の話を聞かされたのだ。

 無理はないと自身に言い訳しつつナナツミの返事をマグリアは待った。


「……この学生ですが……現在まだ生存しています」

「何ですって!? それは、あの装置の無効化手段が確立されたと……いえ、違いますね」


 常に冷静であると言うことは、常に自身の感情を抑えること。

 先ほどの自戒が活きたといって良いのだろうか。

 冷静にはなれたが答えが見えたわけではない。


 仮にそのようなものが開発されたとして、只の学生になぜ運用されたのか。


 思考を巡らせていると、部屋の主が声を発した。


「ミスターナナツミ」

「はっ」

「彼の素性は間違いなくただの学生。間違いないね?」

「はい、親類に政府関係者等はおらず、政府に優先される理由のない只の学生です」

「ふむ……」


 顎に指を添え首を傾げながら、男は愉快そうに笑みを浮かべた。


「魂を浄化する青き炎プルガトリオ

 神の裁き受けて尚、この地を歩む青年……か。面白いね。

 ……ミスターナナツミ」

「はっ」

「彼の動向を探ってくれるかい?」

「承知しました」


 男の言葉にすぐさま身を翻して部屋を出て行ったナナツミが締めた扉を見ながら、男は独白するように言葉を紡ぐ。


「楽園から追放した人に神は何を求めたのか?

 知恵の実も生命も実も得ることが出来たならば、人は神に等しい存在となる。

 さて……楽園が神の住まう場所だというならば、この地上に神が住めば地上も楽園と呼べるのかな?」




<野守神社>


 天津探偵事務調査部の部長、荷握に依頼された調査の為に、吉良はまず桑野美果多の尾行から始めた。


 陰陽師という得体の知れない職業の家系に生まれた桑野。

 あの動画で名前が売れたのか、ときどき占術の依頼を受けているようだ。

 桑野の占術が詐欺か本物かは知らないし、調査の必要もないだろう。


 荷握の要求は桑野の素性ではない。

 吉良が受け取った動画に映った化物だ。

 

 直接問いただしてもいいのかも知れないが、ひとまず吉良は様子を見ることにした。桑野がどのようにあの化物と関わっているか解らないからだ。

 しかし、桑野を幾ら調査しても手掛かりは出てこなかった。


 変化があったのは尾行を開始して数日後。

 ラーメン屋に桑野が行った数日後でもある日。桑野の家に男がやってきた。


 会話は聞き取れなかったが、どこかへ向かうらしい。

 毎日同じ車が家の外に止まっていたら怪しまれるだろうと、吉良は車を少し奥の駐車場に停めていた。


 車に乗って走る二人。

 追いかけたかったが、車を足で追うのは無理だ。

 その日は諦め、自分の住居へと戻った。


 桑野に問いただすべきか、それとも桑野を尾行するべきか。

 或いは尾行のターゲットをやってきた男に変えるかべきか。

 

 悩んだ数日後、動画でまたも桑野が化物を退治する動画が上がった。


 この動画は誰が撮った?

 決まっている。他にはいない。


 吉良は桑野に問いただす前にその男の尾行を試みた。


 男は普通の大学生だった。

 だが、尾行していると大学生にあるまじき行為が一つ。


 この神社で何かをしていた?

 遊び盛りの大学生が人気のないこの神社で一人何をしていたのか。


 怪しい。


 吉良は神社へと向かった。


 男が何をしていたのかを知るのは簡単だった。

 人気のないこの神社に何度も往復した足跡が男の行動を示していた。


 足跡を辿り、吉良は神社の下にある穴を見つけた。

 男はここに入っていたらしい。


 服が汚れることに顔をしかめながら吉良は歌舞人の秘密基地に潜り込んだ。

 そしてその穴でやたらと目立つ赤い水晶を触り、ダンジョンの入り口と歌舞人が呼ぶ黒い渦を見る。


「なんだ……これ……」


 吉良はここで誰かに連絡を入れるべきだった。

 だが何度かの逡巡をしつつも、吉良は歌舞人と同じように諸々を渦に試した後、意を決して黒い渦の中に入るという選択をとった。

 

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