第48話 日菜子にとって


「よし!終わったー!」


 休みの調整や、仕事も終わりやっと一息。これでも全盛期の繁盛記に比べれば屁でもない――は言い過ぎである。年を重ねるにつれ効率は上がるが無理は出来なくなっており、身体が痛んでいることを直に感じる。それでもまだまだ大丈夫な事は確かである。


「あ、お帰り日菜子ちゃん」

「た、ただいま!おじさん大丈夫なんですか?」


 いつもより必死な形相に驚いて話を聞くと、博人が原因を作っていたようで即座にごめんなさいと謝罪した。


「ごめん!休みの調節をしていて」

「休み?」


 無理もない、日菜子ちゃんには全くと言っていいほど説明をしていなかったのだから。一度その辺も詳しく話そうと、机の上に置きっぱなしにされていた授業参観の手紙を取り出した。


「これのことなんだけどね」

「授業参観ですか?あっ、これ提出日がもうそろそろなので印鑑欲しいです!伝え忘れていてごめんなさい」


 やはりというべきか、日菜子ちゃんは最初から参加するとは思っていなかったのか、形式的に印鑑を催促してくる。

 博人の休み調節がまさか自分の授業参観日のためだとは思ってもいない口ぶりだ。


「日菜子ちゃんが良ければなんだけれど。授業参観に参加しようと思っていて」

「え?」

「勿論日菜子ちゃんが嫌なら無理にとは言わないよ!それでも保護者として行事にはなるべく参加しておきたくて」

「え、待って…だっておじさん忙しい…くて…だって…え?」

「どうかな?」

「う、嬉しいですけど、その――お仕事とか忙しいですよね」

「ははは、そのために頑張ってお休みを取ったからね」

「う、嬉しいです…私一度も親が来たことなくて…もう諦めていたんですけどやっぱりお友達の両親が見に来ているのっていいなーって。友達は親が来るのなんて恥ずかしいだけってよく励ますように言ってくれていたのですが、それでも羨ましくって。」


 手紙に目を落としながら一生懸命博人に過去の心情を伝える。


「でも、お母さんにこれ以上迷惑はかけたくなくて…中学3年生なので今日が多分最後の最後の授業参観なんです。おじさんが良ければお願いできますか?」


 俯き震える手で言葉を発した日菜子ちゃん。唇をギュッと結び、博人の言葉を待った。


「勿論、じゃあ参加にチェックしていいかな?」


 日菜子はガバっと顔を上げ博人に目を向ける。優しい笑みを浮かべるおじさんに涙が出そうになるがグッと堪え唾を飲み込んだ。


「はい!」


 忙しい中時間を作ってくれたおじさん、あくまでも私の意思を尊重してくれたこと、思いをぶつけているとき何も言わずに聞きに徹してくれたこと。今までだってお世話になっていた、それでも今日は特別に嬉しかった。

 授業参観なんて、親が来てくれる人にとってはもしかしたら嫌いな行事に入るかもしれない、実際に悪態をついている男の子だっていた。それでも仲良く帰りはどうするか話す姿に羨んだ。


どうして?どうして私は…


 わかっている、片親でお母さんが仕事で忙しい事なんて、これ以上臨めば迷惑が掛かる事なんて。

 だから諦めた。と言い聞かせた。


 いつしか授業参観は自分とは関係のない行事だと思い込み、見ることすら嫌な紙に不参加にチェックを付けた後、必ず裏に、そして一番下に手紙を置いた。

 自分が見ることは無いように、正直当たり前のように押されている印鑑が怖かった。仕方ない、仕方ない、仕方ない、仕方ない――と思い込ませ、憂鬱な気持ちを抱いて先生に提出。これが当たり前だった。


またしても手紙を見やる


 そこには初めて参加にチェックと、印鑑の入った手紙が握られており見るたびに涙が溢れそうになった。


部屋に戻って写真を一枚。


 誰に見せても共感はされにくいだろう、それでも日菜子にとってはかけがえのない一枚としてアルバムへと保存されたのだった。


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