第19話 リンゴとケーキ

「と、じゃあ日菜子ちゃんの携帯はこれでいいですかね?」

「もうちょっと他の見てみましょう!私も知らない機種とかもありますし、子供用――と言ってもお子様携帯じゃなくて、中高生向けの携帯があるかもしれないですから!」

「ええと、有難いのですがお時間は大丈夫ですか?」

「勿論です!今日は丸々予定を空けてきたので、どれだけ時間がかかっても問題ないですよ!」

「ありがとうございます。態々予定を空けてまで来てもらってしまって」

「あっ、いえっ、そのーたまたま空いてたんです!」

「はははお気遣いありがとうございます、あっ、これなんてどうですか小さくて持ちやすそう!ん?洋子さん?」

「…はーい」


 店内はそこまで広くないが、携帯電話の種類は思った以上にあり30分近くかけ一通り回った。結局のところ一番初めに見た洋子さんと同じ種の携帯が良いのではないかという事になりそれを契約した。


「ふふふ、日菜子ちゃん喜ぶといいですね」

「ですね。洋子さん今日はほんとに有難うございました」

「いえいえ、お役に立ててよかったです」

「この後お時間ありますか?」

「へ?ありますけど」

「そこに美味しい紅茶を出してくれるカフェがあるんですがお礼にご馳走させてください」

「ははは、気にしなくてもいいのに、でもお言葉に甘えちゃいますね!博人さんから頂いたあのお茶美味しかったのでここの紅茶も気になっちゃいました」


 自然な流れでデートのようになった気もしなくはないが、これはただのお礼だからと自分に言い聞かせ店内へと足を運んだ。


 冬の時期で日が落ちるのは早いとはいえ時刻は3時前である、当然外は明るいのだがその店内の照明は暗く、落ち着いた雰囲気を醸し出している。客層もご年配の方が多くいらしておりカフェというよりも喫茶店に近いイメージがあるのだが、ニュアンスの話で特に差異はない。


「洋子さん決まりましたか?」


 メニューをじっくりと睨みつけながら唸っている洋子さんがパッと顔を上げ、恐らく選んだのであろうタイミングで声を掛ける。


「いえ、実は紅茶の良し悪しが判らなくて。そうだ!博人さん!おすすめはありますか?」

「おすすめですか?」


 妙に嬉しそうな声音でおすすめは何かと聞いてくる洋子に博人は首を傾げた。


「はい!いつも【あみりんご】では私がおすすめしているじゃないですか、だから今回は逆です!」


 なるほど、と頭の中で手を打つ。つまり店員と客の構図が逆転しているのが面白いのだろう、確かに店員がおすすめを聞くなんてことはないから新鮮なのはわかる気がする。だがあまりにも興奮した様子に思わず笑いが零れそうになる。

笑いをグッと我慢し前回会社の同僚である亮太と来た時に飲んだアップルティーとミルフィーユを勧めた。まぁこれは亮太の受けよりなのだが美味しかったのは事実なので問題はないだろう。


「じゃあそれでお願いします!」

「わかりました。すみませんー!」

「はい、お待たせいたしました。ご注文をお伺いいたします」

「アップルティーとミルフィーユを2つずつお願いします」

「かしこまりました、少々おまちください」


 店員さんも素朴で落ち着いた制服に、纏まった髪型、ゆとりのある対応をしてくれるこの落ち着いた店内にピッタリのプロしかいない。その為、心置きなくゆったりできる。


「ふふふ」

「どうかしました?」

「いえ、ここでもリンゴを選んでくださるなんて、よほどリンゴがお好きなんですね。私も大好きなので親近感湧いちゃいます」

「あっ、言われてみればそうですね」


 アップルパイ専門店の店員さんに食べ飽きてるだろうリンゴ味を勧めてしまったが言葉の端や楽しみにしている表情から失敗ではなさそうで安堵した。


「ところで話は変わるのですが、博人さんこんなに雰囲気のいいカフェなんてどうやったら見つけられるんですか!?」

「え?」

「お友達とたまにお茶するんですけど、挑戦する勇気が無くて…外観は良くても入っていいのか気になったり、足踏みしちゃって結局大通りの有名なカフェで落ち着いちゃうんですよ。」

「あー基本的に会社の人からのお勧めで入ることが多いですね。ここはほんとにたまたま見つけましたね、フラッと立ち寄ったところの雰囲気がよく気に入ったって感じです。運がよかったのでしょうね」

「うーんやっぱり入らないとわからないですもんね」

「ははは、そうですね。もし気になるところがあれば僕で良ければ付き合いますよ」

「い、いいんですか!?」


 ポロっと口から出た後で気が付いたが、僕今とんでもないことを口走らなかっただろか。いや、きっとお世辞だろうあまり期待しないでおこう。


「じゃあ連絡しちゃいますね!」

「は、はい」


 十中八九お世辞だろうが頬は緩む。お誘いが来るかもしれないというワクワク感だけでもおじさんは嬉しいものなのだ。


「お待たせいたしました、アップルティーとミルフィーユです。ごゆっくりどうぞ」


 楽しい雑談はあっという間で紅茶とお菓子が机に出てくる。いれたての紅茶は湯気が立ち上っており、ふんわりと心地いい香りを運んでくる。カップに手を添えると、じんわりとした熱が手を温めた。計ったかのように同時にカップに口を付ける、冬の寒さで凍えていた身体は紅茶によって溶かされた。紅茶の熱が口から喉へそして胃の中へ入っていく感覚がわかる。


「「ほっ」」


 言葉は交わさずため息を一つ。顔を見合わせて静かに笑った。


「温まりますね」

「えぇ、芯まで温まってるのがよくわかります」


 一度カップから手を離し、代わりにフォークを手にする。ミルフィーユにフォークを突き刺し一口の大きさを掬いとる。そういえば洋菓子を食べるようになったのも【あみりんご】のアップルパイから挑戦しようという気持ちが芽生え、そこから好きになったんだよな。なんてことを思いながらミルフィーユを口に含む。


 3層に重なった生地の間にはイチゴと生クリームが入っている。生クリームの暴力的な甘さをイチゴの酸味と生地の苦みで絶妙なバランスをとっている。生地の苦み?と初めて食べたとき感じたのだがどうやら紅茶の風味が生地に練り込まれているようで、若干ビターな仕上がりになっている。しかし生クリームと共生を果たしているためそんな些細な苦みは気にならない、気にならないどころか苦みが無いと生クリームに味の印象が全て持ってかれてしまう、それくらい重要な役割を果たしている。

それに鼻を抜ける香りが何とも心地よい、その匂いに釣られてなのか再度紅茶を手に取り口に含む。


「「はぁー」」


 今2人は傍から見たらだらしのない表情を浮かべているのだろう。しかしそんなことはどうでもいい、ただこの感情を抑えたくないのだ、美味しいものを食べて美味しい表情を隠さないでいる、それだけなのだから


「うむむ、これは【あみりんご】負けてられません、博人さんが取られちゃう」

「ははは【あみりんご】のアップルパイは私の中で不動の一位ですよ」


 最後のほうは小さくて聞き取れなかったが【あみりんご】が負けていられない。という声ははっきりと届いた。【あみりんご】のアップルパイが美味しくて一位なのは事実だが、きっと思い出補正も入っているのだろう。仮に将来とんでもなく美味しいものを口にしたときでも一番と胸を張って言えるのは【あみりんご】で買ったアップルパイだ。


「き、聞こえてました!?」

「はい、【あみりんご】は断トツです」

「はぁ、良かったような悪いような」


 自分の中では断トツだという事を伝えたのだが、どうにも腑に落ちていない様子。それも仕方ない事か、ただの常連一人の好みなのだから。と、洋子の言葉が届かなかった博人はそう解釈していた。一方洋子は博人に自分の言葉が伝わってないことを悟り落胆していたのだが表には出していないが原因である事も洋子は知らない。


「ふぅー美味しかったですね」

「ほんとに!ご馳走様でした」

「いえいえ、こちらこそ付き合っていただきありがとうございます」


 紅茶とミルフィーユを食べ終わった後、少しの休憩を挟みつつ会計を行い店から出た。別れ際再度お礼を言った後、洋子さんが見えなくなったタイミングで早足に切り替え家へと向かった。今度こそ日菜子ちゃんよりも先に家で待ってようと決めたからに他ならないが周りの視線が少し痛い。しかし博人はそんな圧力に屈せず見事日菜子ちゃんが学校から帰ってくる前に帰宅できたのだった。

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