第16話 日菜子とアップルパイ
「ただいまー」
「おかえりなさいおじさん」
誰の声だ――家には誰もいないはず。それこそ日菜子ちゃんが学校から帰ってくるくらいしか、ってまさか!?
「あ、あれ!?日菜子ちゃん帰っていたの?」
「今さっき帰ってきたばかりです!」
悪い予感は当たっていた、まぁ予感というよりかは知っているがそうでないと思い込みたい気持ちがあっただけなのだが、耳がおかしくなったとかでもなくただただ現実としてそこに現れていた。
しかし早めに帰ろうと早足で帰路へ着いていたのだが、日菜子ちゃんの方が少し早かったようだ。それにしても、いつも家に「ただいま」の挨拶をしても返ってくる返事なんてなかった。ここ数年は実家にも帰っていないので猶更聞いていなかった久しぶりの言葉。
「おかえりなさい」子供の頃当たり前のように耳にして煩わしささえ感じていた7文字。たった7文字の言葉が今はとても暖かく感じた。嬉しい――とはちょっと違う、家族がいて安心する、声に出せば胸の奥がムズムズする感覚で照れくさい。だから嬉しいではなく暖かいだ
「お買い物行っていたんですか?」
「うん、僕の大好きなアップルパイ専門店があってね【あみりんご】ってところなんだけど、日菜子ちゃんもきっと気に入ると思って買ってきたんだ。僕が好きで食べたいって理由もあるんだけどね。」
「アップルパイですか?」
「嫌いだった?」
困惑した表情と、首を傾ける仕草にもしかしてやらかしてしまったのではないかと一抹の不安が横切る。
確かにパフェは美味しそうに食べていたからと言って、アップルパイが好きだとは限らないじゃないか、僕が【あみりんご】のアップルパイが大好きすぎてそこまで考えが至らなかった。
しかし、博人の悩みは杞憂に終わった。
「いえ!その、アップルパイを食べたことが無くて、甘い物もリンゴも好きなんですがわからなくて」
「あ、あぁそういう事か、じゃあ一緒に食べよう。ここのアップルパイは絶品でねきっと日菜子ちゃんも好きになると思うよ!勿論苦手だったら遠慮なく言ってね、無理に食べる必要はないからね」
「あ、ありがとうございます」
若干熱がこもりすぎていたのか、困惑の表情が強まった気がした。職場の人たちも最初はこんな感じだったし食べてもらえれば思いが伝わるだろうと、急いで準備を進めた。
「はいこれ、シンプルなアップルパイなんだけど、すごく美味しいんだよ」
「わぁ~綺麗ですね、それにとっても美味しそうな匂い」
「「いただきます」」
「「おいしいー!!」」
見事にシンクロした声に2人で笑いあった、それにアップルパイを食べる日菜子ちゃんは初めて【あみりんご】を食べた自分と重なってより可笑しく見えた。口角が上がり目は輝く、咀嚼している最中もずっとアップルパイを見つめ、早く次を口にいれたいと言わんばかりの表情を浮かべている。思わず笑ってしまうのは仕方ない事だろう。
それにしてもやはり【あみりんご】のアップルパイは凄い。何度食べても飽きないのは勿論なのだが、少しずつ変化しているのがわかる。初めて食べたときは、アップルパイの底の方に何層にも重なった少し酸味のあるリンゴがあったのだが食べ始めと終わりの2つに出来ていたり、濃厚ソースの味も日に日に変わっているように感じる。今日なんかは変化が顕著に表れていて、パイ生地にシナモンが塗されており食欲を刺激された。
シナモン自体博人はあまり得意ではなかったのだが、独特な匂いは強く発せずふんわり香る程度に抑えられており、味もよく味わえばシナモンとわかるかな?といった程度に存在を薄めている。シナモンが苦手な人でもこれは食べられるし、人によっては克服できるのではないかと考えさせられる使い方だった。
「「はぁー」」
ぺろりと平らげた2人は余韻に浸る。おやつとしてはこの量で充分、いや、多いくらいなのだがそれでも尚もっと食べたいと思わせてくれるところが憎たらしい。
「どう?美味しかった?」
「はい!とっても美味しかったです、アップルパイってこんなにも幸せになれるんですね!大きかったし、中のソースもすごい濃厚で食べきれるか心配だったんですがいつのまにかなくなってました。」
「ははは、今度は一緒に買いに行こうか」
「い、いいんですか?ありがとうございます」
余韻を楽しむ日菜子ちゃんのことを邪魔しないように、数分時間を空け話しかけたところ日菜子ちゃんの目は確実に【あみりんご】のアップルパイに嵌っていた。目論見通り甘いもの好きの日菜子ちゃんに刺さり、他にどんなアップルパイがあるのかなど、アップルパイから始まり色んな話をした。アップルパイからできた繋がりに感謝し、楽しい雑談を満喫するのだった。
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