第10話 訃報

退院してから博人は同じ行動を繰り返していた。仕事終わりや休憩に【あみりんご】にいきアップルパイを買う。倒れる前にループした気分に陥るが変わったこともいくつかあった。

 まず呼び名が変わった。常連さんから博人さんと呼ばれるようになり、僕は店員さんを洋子さんと呼ぶように。たったそれだけであるが距離が縮まったように感じ変化と言えるくらいに嬉しく思っている。

 次に一人ではなくなったことだ。亮太とともに行くのは勿論、後輩や上司なんかとも一緒に【あみりんご】へ行くように。洋子さんからは「お客さんを連れてきてくれてありがとう」と言われたが僕としては複雑な感想だ。みんなに【あみりんご】の美味しさを広められたこと、洋子さんに喜んでもらえたことは嬉しいのだが、自分だけが知ってる名店を他の人にも知られてしまいほんの少しだけ悔しい。

 最後に最も大きな変化、おすすめを聞かなくなったことであろう。何せ2週目だ、自分の気分に合わせて今は購入している。


 そんな“いつも”を過ごしているある日、博人のもとに訃報が届いた。


――


「もしもし博人?」

「うん?どうした?」


 仕事終わり、いつものようにアップルパイを購入し自宅で食べ終えた瞬間プライベート用の携帯電話が音を上げた。まれにしか掛かってこない携帯に一抹の不安を覚えつつ電話に出ると、相手は母親であった。


「実はね、親戚の近藤さんが亡くなったらしいのよ」

「近藤さん?」


 話の内容は親戚が亡くなったという訃報だったのだが、如何せん近藤さんが遠い親戚で殆ど覚えていなかった。


「昔一度だけ会ったことがあるのよ、覚えてないかしら?あんたも高校生だったし無理ないか。あ!ほら赤ちゃん抱いたでしょう!あんたが初めて抱っこした赤ちゃん!あれ近藤さんの赤ちゃんよ」

「あー、微かに思い出したかも」


 確かに赤ちゃんを初めて腕に抱いたことがあったのを思い出した。と言っても十数年前のことだ、何の集まりで近藤さんとあったのか、近藤さんの顔も思い出すことが出来ない。ただおっかなびっくりと赤ちゃんを抱いた経験を思い出した。


「それでどうかしたの?親戚と言っても殆ど覚えてないし、僕の住んでるところから結構遠いよね?仕事もあるし日程に寄るけど葬式に参列できるかわからないよ?」

「んーちょっと長くなるんだけど時間は大丈夫かしら?」

「あぁ」


 少しばかり眠気と疲れはあるが幸いなことに明日から2週間という長期休暇を頂いていた。つまり多少我慢するが明日に支障はないため長くても問題ない、その旨を母に伝えた。まぁ、その休みはお察しの通り休みを押し付けられたのだが有給はそこまで使われていない、取らないといけない休暇を出されただけなのだ。何ともホワイト。ほんとは残った仕事を片したいのだが―閑話休題―


「近藤さんの親族はほとんどいないから葬式は簡単にするらしいの。あなたは忙しいだろうし参加しなくても大丈夫よ、私は行くけどね。」

「2週間以内ならいけるけど?」

「ほんとに簡単なもんだからいいわよ、今度墓参りだけは行きなさいね」

「あぁ、わかった。」

「問題は近藤さんの親族が殆どいないことなのよ」


 どういう事?と聞き返す前に母親から聞きたいことが返ってくる。


「実は交通事故で亡くなったらしいのだけど、子供の日菜子ちゃんは助かったみたいなの。車の正面衝突で後部座席にいたのが幸いしたみたい」

「不幸中の幸いだね、日菜子ちゃんは前抱いた赤ちゃんだよね?今は大丈夫なの?」

「えぇ、怪我も殆ど無いしとても落ち込んでいたけどご飯は食べれてるみたいよ」


 よかった――いや何もよくはないのだが、目の前で親を亡くしたショックは相当の物だろう。僕も病気で父親を亡くしたときは酷く落ち込んだものだ。それも美味しそうな食べ物が目の前に置かれているのに食べることが出来ないほど落ち込んだ。食べなきゃいけない、食べたいという気持ちがあっても脳がそれを拒むのだ。

日菜子ちゃんはとても強い子なんだろう。大人の博人でさえ食事が喉を通らなかったのだ、大したものであると素直に感心したし、最低限の栄養は取れ健康に支障を起こしにくいことに安堵した。それほどまでに食事とは人間の中において最重要と言っても過言ではない。


「ご飯食べれてるならよかったよ。ご両親とも亡くなって日菜子ちゃんは一人なの?」

「近藤さんはシングルマザーよ。子を宿したのを知って逃げられたらしいから日菜子ちゃんに父親はいないのよ。」


 思わず言葉が詰まってしまう。僕が高校の時に赤ちゃんだったという事は、日菜子ちゃんはまだ中学生くらいだろう。そんな子供が背負うにしては余りにも過酷な運命に博人の顔が強張った。


「両親もいなければ、近しい親戚もいない。というより、うちが一番関係のある親戚って位周りに大人が居なくてね、あんたのところで面倒見てあげられないかしら?」


 日菜子ちゃん周辺における事情は理解した。勿論深刻な内容のため母親の言葉を一音たりとも聞き逃していない、してないが反射的に聞き返してしまったのは仕方ないだろう。


「博人は今千葉県に住んでるでしょ?日菜子ちゃんの家は東京で、学校も東京なのよ。来年で中学3年生になるし学校は同じにしてあげた方がいいでしょう?ちょこっと遠くなるかもだけど30分の通学路か、新潟の家まできて学校を変えるのだったら前者を選んだ方がいいと思わない?」

「それはそうだけど、僕は仕事で家空けちゃうことが多いし、そもそも子供を育てるなんて責任と覚悟が」

「そうはいってもこの選択が日菜子ちゃんにとって最善なのよ。私だってできることなら引き取ってあげたいわ」

「僕だって何とかしたい気持ちはあるけど」


 言い訳なんて何個でも浮かんでくる。仕事で家を空けることが多いし、子供なんて育てたことなんてない、ましてや女の子なんてどうしていいかわからない。お金は十分にあるけれど、お金を上げるから好きなようにしていいよ。というのは違くないだろうか?でも日菜子ちゃんを家で預かることが最善な事もまた事実だ。

 一番近い親戚の家が新潟。他の親戚はもっと北の方にいる。頼れる存在を失い、親しい学校の友達からも引き離されたら日菜子ちゃんの心が持つかわからない。

 結局のところ自分に覚悟と受け止められるだけの器量が足りてないことなんてわかっている。


「母さん、日菜子ちゃんに学校以外の知り合いは?」

「いないでしょうね」

「僕に出来るかな」

「やってみなきゃわからないよ。と言っても試しにやって失敗が許されるような内容じゃないからね」

「日菜子ちゃん不安だよね」

「引き取られ先の連絡を待っている状態だからね、きっとあんたより不安だろうよ」


 あんたよりも不安。母の言葉で覚悟が決まった。

 日菜子ちゃんは頼れる存在がいない、将来もどうなるかわからず、もしかしたら見知らぬ土地の新しい学校へ行かされるかもしれないという大きな不安と戦っているのだ。それをなんだ、言い訳ばかり心の中で並べて逃げ道を探している。恥ずかしいったらありゃしない

だから、覚悟を決めた。日菜子ちゃんの親――は図々しいかもしれないが保護者として、日菜子ちゃんを幸せにすると


「母さん、ごめん。覚悟決まったよ。日菜子ちゃんを引き取って幸せにする。」

「謝る必要はないよ、軽い気持ちで引き取ろうとしていたらいくら日菜子ちゃんの環境のためとはいえこっちで引き取っていたからね」

「頑張ってみるけどわからないことの方が多い、相談はさせてくれよ」

「勿論、いつでも連絡しておいで、本当に大変だったらいつでも駆け付けるからね」

「ありがとう」


ガチャ


 電話を切った瞬間何とも形容しがたい恐怖が博人を襲う。しかし「俺でいいのか」「もっと最善の選択が」なんて気持ちは微塵も持っておらず「幸せにして見せる」と恐怖を押しのけて思いを募らせていた。


「まずは働き方を見直さなきゃか」


 家にいる時間を増やした方がいいだろうと、博人の根本的な部分から見直すのであった。


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