第9話 常連と店員

「こ、こんにちはー」


 自分の意思に相反して上ずってしまう声、恥ずかしさから顔に熱を帯びていくのを感じる。静かな店内、客は自分一人だけのようだ。家にただいまの挨拶をしたときのように博人の声が響き渡り余計に恥ずかしさを覚える。


「あっ!お客さん!良かったー」

「こ、こんにちは。その、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。」


 奥から出てきた店員さん。いつもと変わりなく笑顔で接してくれる姿に涙が出そうになる。しかし、ここで涙を流しては伝えたいことが遅れてしまうと思った博人は気合で涙を堪え謝った。

 目を真ん丸にして驚く様子を隠せない店員さん。博人は深々と頭を下げているため店員さんの滑稽な顔は見ることは叶わなかったが、数秒の間が代わりに驚きを伝えていた。


「それと、こちらご迷惑をお掛けしてしまったことと、いろいろ気にかけてくださったことのお礼の品です。」

「えっ、あっ!ありがとうございます!」

「ほんとにありがとうございました」

「わわわ、お客さん顔を上げてください!あっ、これ開けてもいいですかね?」

「はい、勿論です。」


 再び深々と頭を下げると、今度は慌てた様子で博人を止めた。このままではまたしてもお礼や謝罪をしてくるのではと悟った店員さんは博人からのお礼の品を開け始めた。


「わぁ~、何ですかこれ?とても綺麗、それにいい匂い?」

「ははは、どうぞ開けてみてください」


 綺麗な包装のまま開けたいのか、破らないように恐る恐るテープを剝がしている様子はとても可愛らしかった。無意識なのか途中「いい子だからやぶれないでー」「ととと」といった小声は不覚にも笑みを零してしまった。そんな僕に気が付かず一生懸命包装と戦っている店員さんを微笑ましく思う。


「これは――缶?こ、高級感が凄い。甘い匂い、お菓子ですかね?あ、あれ?どう開けるんだ」

「上の蓋を回さずに引っ張ってみてください」

「引っ張るんですね、よっ。茶葉だ!うわっ!すごくいい香り!」

「店員さんのアップルパイに合うかなと思ってすっきりとした味わいの紅茶にしてみたんです。お口に合えばいいのですが」

「わー、ありがとうございます。紅茶は大好きなんです」

「それは良かった」

「あれ、2つ入ってますよ?」

「あぁ、それは店員さんのお母さまにお渡ししてください。ご迷惑をお掛けしてしまったので」

「ふふふ、気にしなくてもよかったのに。ありがたく頂きますね、母も喜ぶと思います」

「ぜひ!」


 一度話してしまえば舌は饒舌に回った。心残りが解消されたという事もあるだろう。


「そうそう、お客さんの名前まだ聞いてませんでしたね、母にも伝えておきたいのでぜひ教えていただけませんか?」

「岸田博人と申します。僕のことは博人と呼んでください」

「博人さんですね!私は田中洋子って言います!洋子って呼んでください」

「洋子さんですね、わかりました」

「なんか不思議ですね、会ってずいぶん経つのにお名前を聞いたのが今日だなんて」

「確かに」

「「ははは」」


 店員と常連。どんな店にもあるごく普通の関係、でも少しだけ友達に似た関係として仲良くなれたのかなと思うと胸の奥がじんわりと温かくなった。

 そして話は当然のごとく、僕らをつないでいるアップルパイの話題について移り変わった。


「洋子さん、入院中頂いた新作のアップルパイとても美味しかったです。」

「食べて頂けたんですね!どうでしたか?」

「とても美味しかったです!ど素人なのでいい感想が言えないのが申し訳ないですが」

「いえいえ、どんなことでも!」

「では一つだけ、シンプルなアップルパイに入っているあのソースバージョンはないのかなと」

「ソースバージョン――なるほど、確かに盲点でした!やっぱり常連の博人さんに聞いて正解でした!早速母に相談してみます」

「おぉ!それは楽しみにしています!」

 他愛もない話がとても心地よかった。永遠と続けていたい衝動に駆られるが、一応ここは店内である。客は博人しかいないと言えど、これ以上は流石に迷惑だろうと判断し、アップルパイのおすすめを聞いた。

 おすすめを聞く、購入、また今度

 という店員、常連のルーティンがあるので誰も損せずに切り上げられるといった寸法だ。


「そうですねー、こっちのアップルパイはリンゴの品種を変えて酸味が増して食べやすくなりました。こっちは生地の層を厚くしたので食べ応え抜群かと!ソース自体も濃く仕上げたので美味しいですよ。このアップルパイはって――これはおすすめしたことがありましたね」

「となるとその2つで?」

「はい!完全制覇ですね」

「あはは、とうとう制覇してしまいましたか。ではその2つをお願いします」

「はーい!博人さんシンプルなのは?」


 洋子さんは当然わかっているだろうに、若干揶揄いの目を向けてるのはすぐにわかる。それくらいの付き合いはあるのだ。


「勿論お願いします」

「ありがとうございます!」


 洋子さんがトングでアップルパイを掴み袋へと入れる。見慣れた光景だ。そんな日常へと戻ってこれたことに嬉しさを覚える


「お待たせしました、身体に気を付けてまたいらしてくださいね」

「はい、肝に銘じます!2週目制覇もしたいですし新作も楽しみですから」

「お待ちしてます!」


 ではまた、と洋子さんと挨拶を交わし【あみりんご】をでた。足取りがいつも以上に軽いのはきっと気のせいではないのだろう、洋服や髪が乱れるが気にせず走った。全てはアップルパイを食べる為に。


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