第8話 退院
【あみりんご】の店員さんからの手紙であった。
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常連さんへ
お体に気を付けて、また元気になったら【あみりんご】のアップルパイを食べに来てください!常連さんが来ていない間に試作のアップルパイが何個か出来ました、常連さんにはぜひ食べていただきたいと思っているので体調を万全に整えてくださいね(笑)
パイ生地も改良してあれからどんどん美味しくなってますから、他のアップルパイに浮気しちゃ嫌ですよ!では、いつでもお待ちしていますので、お体を大事になさってください!
追記
小さいですが試作のアップルパイを同封しています(勿論味には自信がありますよ!)【あみりんご】に来た時感想お待ちしていますね
――
ここまでの心配をかけたこと、気遣いをさせてしまったことに対する申し訳なさと、新作ではなく店頭にすら並んでいない試作段階のアップルパイを食べることができる喜びがせめぎ合ったが、店員さんや周りの人がいないという環境もありギリギリ試作のアップルパイが勝った。
紙袋の中を再度覗くと、見慣れたシンプルなアップルパイのほかに半透明な袋を発見、これが試作のアップルパイであろうと思いおもむろに手を伸ばす。手に取って袋を開けると丸っこく小さなパイ生地がいくつか入っていた。一粒つまみ袋から取り出すと、その小ささに驚いてしまう。お菓子作りの大変さなど露程知らないが、繊細な技術が必要なんだなと素人目に見ても感じ取れた。
小さいサイズのため一口で口の中へと放り込む。奥の方でそれをかみ砕くと『じゅわっ』とした触感を感じた。正体はリンゴだ、それもシャキシャキとした硬いリンゴでもふにゃふにゃした柔らかいリンゴでもない、丁度中間の硬さであった。ぐぐぐとプレスするように噛むとリンゴから濃厚な蜜が溢れ出る。
「美味しい」
これが試作?冗談じゃない、店頭に並んでいたら即購入の美味しさだった。食べやすさも相まって手が止まらない。最後の一粒は下の中で転がしじっくりと味わうように食べた、試作の感想を欲しいと紙に書かれてあったが「美味しかった」の他に何を言えようか。味の面ではいう事なんてこれっぽっちもない、強いて言えばシンプルなアップルパイの中に入っている濃厚ソースが入ったバージョンも食べてみたいなといったところか。
そんな感想を考えながら満足感に浸る。時折食べ残したものはないかと紙袋をはしたなく除くものの、新作のアップルパイは綺麗に完食されており肩を落としたのだった。
――
退院してから数日後
博人の体調は完全に回復し、今は亮太や店員さんへのお礼の品を買いにちょっとおしゃれな都会の方まで足を運んでいる。幸い会社から押し付けられるように頂いた休暇内であるため、時間を気にせずお目当ての物を買いに来たという訳だ。
そのお目当ての品というのは紅茶である。アップルパイには紅茶だろう!という浅慮から、茶葉を取り扱う有名な紅茶屋に訪れていた。
「お、多いな」
いざ入ってみたはいいものの、茶葉の種類の多さに足が竦んでしまう。お礼の品なんだからいいものを選ばないと!と意気込んでじっくり茶葉の効能や良さを見て回るが素人の博人に、茶葉の良し悪しが判るはずもなく
「お客様=何かお探しですか?」
まさに救世主。色んな茶葉を見すぎて、値段でしか判断することの出来なくなった博人に救いの女神様(店員さん)が手を差し伸べてくれた。洋服屋や自分の趣味の店ならいざ知らず、このような場所での救いは大変ありがたい。一言女神にお礼を述べ、甘いお菓子に合う紅茶を聞いた。
「甘いお菓子ですか、それでしたらこちらなんていかがでしょう!こちらの茶葉は後味がすっきりとしていて、甘ったるさを口の中にとどめないんですよ。勿論これ自体も美味しく頂けます。後はこちらなんかもいいと思いますよ!とにかく洋菓子に合うんです、落ち着いた香りですのでホッと一息入れたいお茶の時間なんかにピッタリです。それから右隣の――それです、それそれ――」
怒涛の勢いに飲まれてしまったが、博人も甘いお菓子にあう茶葉というものに興味があったため、とても楽しい時間だった。店員さんにお勧めされた茶葉を何点か購入し、プレゼント仕様の包装に包んでいただく。ちゃっかり自分のも購入しアップルパイと共にお茶の時間にするのが楽しみでつい頬が緩む。
「お待たせしましたー岸田様―」
「あ、はーい。」
店員さんから商品を受け取ると何とも高級感溢れる紙袋に、茶葉を包んである包装はシンプルに見えるがシンプル故の美しさを持っており、月並みの言葉だが「すげー」と思わず声を漏らしてしまうほどであった。若干懐は痛んだが、遊んだり大層な趣味もない博人にとってこの程度の出費はどうってことない。お礼の品に値段が関係ないこと位わかっているが、送る側として一定ラインの基準があるのだ。
想像以上にいい物を買い、気分は上昇。このノリのまま【あみりんご】へと行けたらよかったのだが、多大な迷惑を掛けた手前そんな気分が持続するはずもなく【あみりんご】へ近づくにつれ、顔が青くなり胃が痛くなる。
いざ【あみりんご】の前に立つと異様なまでに緊張している。顔は強張り、手は震え、息は荒くなっていた。長期休みを終えた一番初めの学校登校のような気持ちであろうか、緊張故の胸の高鳴りが抑えきれない。
しかし、いつまでも店の前に突っ立って更なる迷惑を掛けるわけにもいかず、意を決してドアに手をかけた。
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