第6話 湯友

そんな日々が続いて時は11月中旬、博人はクリスマスシーズン準備で大忙しに。丁度帰ることが出来る時間帯が【あみりんご】の営業時間とずれてしまっているため、12月中盤に差し掛かっても買いに行くことが出来ていなかった。

 不幸中の幸い、【あみりんご】のアップルパイを広めていたおかげで、部下が買いに行ってくれたり、博人さんへといった形でプレゼントしてくれたりして週に1度はアップルパイを補給できていた。

 店員さんが「常連さんが来てくれないと寂しい」と呟いていたという情報が気がかりだが、仕事を放棄してまで会いに行くことは出来ない。「この仕事が終わったら、絶対アップルパイを食べに行くんだ!」とどこぞの死亡フラグかよという茶番を脳内で繰り広げ、机にしがみついた。


「おつかれ、一息入れたらどうだ?はい紅茶」

「亮太か、うん、ありがとう。ふぅ、落ち着くね」

「それとじゃーん」

「もしかして!?」

「博人の大好きなアップルパイ。これ食って頑張ろうぜ」

「いいの!?」

「勿論、俺も一緒に休憩~」

「ありがとう!これで仕事頑張れるよ」

「あー、ほんとは休めと言いたいのだが、まぁ頑張れ。それ終わったら店員さんに顔見世に行ってやれよー?結構悲しそうに「今日も常連さんいらっしゃらないのですね」だとよ。あんな美人さんに言われるなんて妬けちゃうね」

「茶化さないでくれよ」

「あはは、でも今言ったことはほんとだぜ?あと1週間くらいで終わるだろ?俺もちょい手伝ってやるから」

「悪いね、助かるよ」

「いいって、後輩の育成は博人に任せっきりになっちゃってるし」


 亮太の気遣いに甘えて、資料を亮太のパソコンへと転送した。仕事もできるだけでなく人への気遣いが出来る。そのうえ気さくで顔もいいときた、そんな彼がクリスマスの近いこの時期に暇なわけがない。若干の申し訳なさを抱えたが有難いことには変わりないので、心の中で感謝を述べ仕事に戻った。アップルパイは勿論すでに食べ終えている。食べ慣れたせいか机の上に零すような真似はしていない。


「よし」


 頭に糖を得て、心にアップルパイを得た。完全に回復した博人は仕事に手を付け始めた朝と同じくらい集中して取り組めていた。


――


「うぅー大魔王クリスマスシーズン討伐お疲れー」

「あぁー亮太もお疲れー助かったよ。銭湯でもおごらせてくれ」

「お、いいねー。行きますか」


 あれから全力で仕事に取り組み何とか20日に仕事を終わらせることが出来た。正直差し入れのアップルパイが無ければどこかで気持ちか身体が持たなかったであろう。それくらい強敵だった。

 重い身体を無理やり起こして亮太と共に行きつけの銭湯に向かった。銭湯への道のりはまるで自分の身体ではないかのように重かった。肩に重りでも乗っているのではと錯覚、亮太も同じ気持ちだったのか顔を見合わせると苦笑いを浮かべた。


「あれ?岸田君と佐藤君」

「斎藤さん!お疲れ様です」

「斎藤さん、お久しぶりですね」


 脱衣所で服を脱いでいる最中、中年にしては引き締まった体を持つおじさんが声を掛けてくる。彼の名は斎藤司さん。僕らの会社がお世話になっている取引先の方で、湯友だ。


「斎藤さんだいぶ疲れてますね」

「そういう岸田君も」

「あはは、クリスマスシーズンは忙しいですもんね。」

「互いに大変だね」

「「ですね」」


「「「ふぅー生き返るー」」」


 湯友、と言っても学生の頃のようにわちゃわちゃしたり、銭湯を回ったりするわけではない、ただただ一緒に銭湯に入るのだ。そこに言葉は不要。この時間を共に共有できる、それで良いのだ。


「はぁー気持ちよかったね」

「えぇ、久しぶりにこんなに長く入りましたよ」

「疲れがだいぶたまってたんでしょうね」

「2人は仕事一段落ついたのかい?」

「はい、僕らは1月までほぼ休みですね」

「詰めすぎちゃって上司に休めと無理やり休暇を取らされまして」

「はは、それはお疲れ様だね」

「斎藤さんはまだ?」

「もう少しだね。後は調整だけで大変な物は終わらせたから銭湯で一息ついてたんだよ」

「それはそれは」

「お疲れ様です」

「こちらコーヒー牛乳です。亮太もどうぞ」

「悪いね、頂くよ」

「お、ありがと」


 コーヒー牛乳を飲む作法、腰に手を当て飲むときに顔を上に上げて一気に胃の中に流し込む。


「「「ぷはぁ」」」


 銭湯でとろけた精神が、スッと戻ってくるような感覚。サウナでいう『整った』という感覚に近いと思う、わからない方は是非とも試していただきたい。


「それじゃあまた」

「また、銭湯で」

「はい、また」


 瓶を返した後、雑談することもなく斎藤さんと別れる。大体こんな感じの仲だが深い関係でも浅い関係でもない何とも付き合いやすい関係に有難く思う。向こうはどのように思っているかは知らないが、邪険にしない感じ少なくともマイナスな感情はないだろう。面白い関係性だが今後とも仲良くしていただきたいものだ。


「じゃあここで」

「お疲れ様」

「おうーお疲れー」


 亮太ともすぐ近くで解散した。別れ際にサムズアップしているのはきっと【あみりんご】へ行けという示唆なのだろうか、言われなくても行くから揶揄ないでくれ、と声に出していうのも億劫なのでひらひらと手で合図し【あみりんご】へと向かった。


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