第2話 アップルパイ
ガチャ
「ただいまー」
アラサーに突入した博人だが未だ独身である。帰りを伝える挨拶をするがその声空しく家の中で木霊した。
施錠はせず、靴も脱ぎ捨てる。勿論脱ぎ捨てた靴を整えるようなことはしない。ワクワクが抑えきれないのはいつぶりであろうか、思い返してもゲーム機を買ってもらった子供時代まで遡らなければないかもしれない。
お腹の減り具合も相まってか博人のアップルパイへの期待はグングン上昇していた。
「いただきます」
紙袋の中から包装されたパイを取り出す。手が汚れないように3分の1ほど破いてゴミ箱へと捨てた。手に持ったアップルパイは未だに温かさを保っていた。ずっと眺めていたいという気持ちに駆られるが空腹には勝てずパクリとアップルパイへとかぶりつく。
「うっまぁ!」
あまりの美味しさに博人は思わず声を上げた。次を食べたいという気持ちが競り咀嚼が早くなり、鼻息が荒くなる。自然と口角も上がり博人は幸せな気分に包まれる。
外側のサクサクのパイ生地は、生地にも軽く砂糖を塗しているのか仄かな甘みを感じた。もしかしたら生地自体が甘いのではないか?と考えてしまうほど仄かな甘みであったがそれが良かった。理由は中にあるリンゴがとても濃厚な甘みだったからだ。ドロリとした濃厚なリンゴソースに小さく刻まれたリンゴが入っている。砂糖とリンゴ本来の甘みを纏ったソースは控えめな甘さを持った生地と最高に噛みあっていた。なんかくどそう――食べ始めはそんな感情もよぎったが侮ることなかれ、小さく切られたリンゴは甘みのほかに酸味を持ち合わせており、濃厚ソースと合わせるとスッと後引く甘さへと変貌するのだ。更に小さなリンゴはシャキシャキとした触感で楽しみを持たせている。
美味しい、美味しいと食べ進めていくと終盤のほうに今までとは異なった感触を感じた。
「!?!?」
なんと、こんなサプライズがあっていいのだろうか、アップルパイの底の方に薄く切られたリンゴが何層かに重ねられているではないか。薄く切られたリンゴの層は小さく切られたリンゴよりも強い酸味を有していた。楽しめると言ってもとても濃厚なソース、まだまだ若いと言えおじさんに差し掛かった博人には少しくどいと感じていた時にこの酸味である。
やられた
薄いリンゴの層を口に入れた瞬間目を覆った、口に残った甘ったるさが無くなっていくではないか。
「はぁ」
全てのアップルパイを食べ終えた博人は自然とため息を漏らしていた。一つの食べ物にここまで幸福感を覚えたのは人生で初めての経験である。サクサクのパイ生地はどうしても机にこぼれて落ち汚れてしまう。そんなゴミでさえも意地汚く指につけ食べてしまおうかと頭をよぎってしまう。グッと気持ちを堪えゴミ箱に捨てたがそれほどまでに博人はアップルパイに魅了されていた。
「【あみりんご】か」
疲れ果て、道を間違えたまたま見つけることが出来たアップルパイ専門店。今日購入した紙袋を見て次は何を買おうか、今しがた食べたばかりにも拘らずそんな妄想を膨らませてしまう。そして徐々に訪れる後悔。なんで僕は――と余韻が薄まるにつれ激しい後悔に囚われた。
「なんで僕は1つしか買わなかったのだろうか――1つじゃあ全く物足りないよ」
先ほどアップルパイを食べ終えた時とは異なった種類のため息が何度も漏れてしまうが仕方ないだろう。何度でも思うがそれ程までに美味しかったのだから、お菓子という括り――いや食べ物という括りでも1位といって過言ではない。それも2位と大きく差を離した堂々の1位である。2位は塩辛、3位はキュウリの浅漬けである。何ともおじさん臭の強いランナップだがそもそも塩辛く渋いと傍から言われるような食べ物が好きであった。ちなみに余談だが4位はハラスの天ぷらである。つまり何が言いたいか、博人は甘いものが特別好きではなかったのである。嫌いではないしちょいちょい食べるがその程度だ、それがアップルパイを食べ堂々の1位に、自分でも驚きだ。
「また行こう」
幸福感と睡魔に包まれて、壁際に置かれたベッドに寝転がりながらぽつりと呟いた。いい夢が見られそうだ、久方ぶりに夢を楽しみにしている自分をニッコリと微笑みながら意識を手放した――。
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