呪いの子 003
十八になると、レグは命を落とす。
そんな悪い夢のような言葉が、部屋の中に漂い続ける。
『……十五歳の現時点で、既に規格外の魔素を有しているの。紋章に溜まった魔素はレグの身体を蝕み続け……このまま増えれば、後三年で肉体の許容量を超えるわ』
それは即ち、体が魔素に耐え切れず――死ぬということ。
後三年、十八歳を迎えると、レグ・ラスターは死ぬ。
そう、イリーナは言っているのだ。
「……」
背後から聞こえてくる彼女の声に、レグは反応しない。いや、反応できない。
神内功がどのようにして死んだかを覚えている彼にとって――死という出来事は、あまりに身近過ぎて。
どうしようもない程――心に沁みついている。
心臓の周りに、ねっとりと纏わりつく粘液のように。
生命を嬲られる不快感が、レグの内面を襲っていた。
『そこで、お願いよ』
彼女にしては珍しく、とても弱々しい瞳で――イリーナはテネセスを見る。大抵のことは自分一人で解決できる彼女にとって、下手に出てお願いをするという行為は、非常に苦手な部類なのだ。
『この子が呪いで死なないために、あなたの力を貸してほしいの、テネセス』
彼女の要求は、至極単純なものだった。
このままでは、三年後にレグは死ぬ――その未来を回避するために、テネセスを頼ったのである。
『学園ソロモン現学長にして、この国の賢者だったあなたなら……何とかできるはず』
「むぅ……」
テネセスは目頭を押さえて悩む。イリーナの情報が正しいなら、目の前にいる少年が逸材であることは間違いない。
数年前まで魔族との最前線で戦ってきた彼にとって、新しい才能は喉から手が出る程ほしいものである。
「悩むことなどありません、学長。ルールで決まっているのですから、今すぐこいつを処刑すべきです」
煮え切らない学長の様子に、トルテンは苛立ちながら声を荒げる。
それを見たイリーナはキッと彼を睨みつけた。
『あなた、話を聞いていたの? この子は将来、世界を変える程の力を手にするわ。くだらないルールなんかで、その貴重な芽を潰す気?』
「ふん、まずもって、お前の言うことなど信用できないわ。仮に事実だとしても……この国と学園の秩序を守るためにも、呪いの子をソロモンに入学させるなどあり得ない」
実力だけで言えばこの学園ナンバーツーであるトルテンには、ソロモンを守るという責務がある。それを横に置いても、転生者を入学させるなど、彼にとっては考えられない選択肢なのだ。
まして――人間を。
『テネセス。この子は必ずこの国の、世界の役に立つ。魔族との戦争を終わらせる力を、レグは持っているの』
「人間如きにそんな力があるものか。たまたま呪いの魔素を持っているというだけで、しかもその力で自分が死ぬだと? 笑い話にも程がある」
『人の生き死には笑い話じゃないわ』
ビシッと、イリーナは言い切る。
彼女が騎士団時代に行ってきた所業を思えば、そのセリフは滑稽に見えるだろう――それをわかった上で、イリーナは断言した。
その彼女の覚悟が伝わったのかは、定かではないが。
黙ったまま話を聞いていたテネセスが、ゆっくりと口を開く。
「……わかった。その者の入学を許可しよう」
「なっ⁉ 正気ですか、学長!」
「呪いの魔素を制御するための魔具も作成しよう。情報が少ない中、どこまで有用なものが作れるかはわからぬがな」
焦りを隠せないトルテンを余所に、テネセスはそう確約した。レグの学園ソロモン入学を認め、彼が死なないように手を打ってくれると。
イリーナの提案を、丸々飲んだ形になる。こうもスムーズに事が運ぶと思っていなかった彼女は、要求が通ったにも関わらず驚いた表情を浮かべてしまった。
『それは……是非、お願いするわ。ありがとう、テネセス』
「いや、いいんじゃ。早速、君が作ったという腕輪の構造について教えてくれんかね」
決断を下した学長は、既に先のことを見据え始めていた。
誰も経験したことのない「呪いの子を育てる」という蛮行をはたらく以上、知りえる情報は全て手に入れなければならない。
「ま、待ってください! 本当にこいつを入学させる気ですか!」
しかし、トルテンだけは納得できていなかった。
もしこの場に他の学園関係者がいれば、みな彼と同様の反応を示していただろうことは、想像に難くない。
それだけ、呪いの子を匿うというのは重い罪なのだ。
「トルテン、これは儂の我儘じゃ。お前さんが王国軍に通報するというのなら、止めはせん」
「……何故、そこまでこいつに肩入れするのです」
自身の敬愛する相手が、国賊になる危険を冒してまで呪いの子を気にかけている……トルテンの頭の中には、疑問符しか浮かばない。
「お前さんも知っての通り、今現在魔族との戦争は休戦状態になっておる。じゃが、この状況はいつまで続くかわからぬ仮初の平和じゃ」
魔族と人類の戦争は、表面上は休戦扱いになっている。
とは言っても、魔王を中心とした魔王軍との戦いが沈静化しているだけで、知能を持たなかったり軍に属さなかったりする魔族とは、常に争っている状況なのだが。
「魔王軍が再び動き出せば、この国だけでなくエステリカ大陸全土が多大な被害を受けることになる。その来るべき日に備え、儂は後進を育てる道を選んだのじゃ」
魔王軍との休戦が実現したのが、今から三十年前。暦で言うと、王歴555年である。それから現在に至るまで、人類と魔王は直接的な戦争をしてこなかった。
「じゃが、実際のところ、オーデン王国の軍事力は年々低下してきておる。我が学園の卒業生を見ても……有望な者は数名おるが、心もとないのは確かじゃ。このままでは、魔王軍に蹂躙されるのは火を見るよりも明らかじゃよ」
テネセスの言葉を聞き、トルテンは閉口する。彼自身、有能であるが故に、この国の現状について思うところはあるのだ。
「……この期に及んで、呪いの子だ何だと言っていられないのは、お前さんもわかるじゃろう。実力があるなら、その芽を育てる。それが、儂ら人類が魔族に打ち勝つために必要なことじゃ」
レグはすでに、鉄壁の正門をこじ開けるという実力を示している。
その力を無為に殺してしまうことは、人類にとって大きな損失になる……テネセスは、心の中でそう結論付けた。
「もちろん、これは儂の独断で行うことじゃ。もし国に露見するようなことがあれば、儂一人が責任を取る。トルテンよ、老人の我儘を聞いてくれんか」
「……」
前賢者にして現ソロモン学長がそこまで言えば、トルテンに反論する余地など残っていない。納得など到底できないが、無言で頷くしかなかった。
「ただし、一つだけ条件がある」
テネセスはレグの目を見つめる。
事態を飲み込めずに若干放心状態だったレグは、その強い眼差しに背筋を正した。
「レグよ。お前さんを生かし、さらにソロモンに入学させるという意味……その意味が、理解できておるか」
「えっと……」
レグは答えに窮する。突然詰問するかのように問いかけてきた学長の雰囲気に飲まれ、上手く言葉が出てこない。
『力を示せということよ、レグ。あなたが真に使える人間だと、卒業する三年の間に証明しなければいけないわ……それも、この学園にいる全員にね。それができなければ、あなたは殺されてしまう。私は、あなたに生きてほしい』
イリーナはそう言って、後ろからレグの頭に手を乗せた。
触れられる感覚などないはずなのに――確かに、レグは感じたのだった。
彼女の――母親のような温もりを。
『大丈夫、あなたならきっとやれるわ。だって……』
私が育てたんだもの。
こうして。
呪いの子――転生者レグ・ラスターの、学園ソロモン入学が決定したのだった。
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