第2話




 静かな屋内に、青紅葉の君と菊の君、それに私だけが存在する。しかし、私がそこまで手を入れているわけでもないのにいつも綺麗に整っていた。

 私は、ふたりに買われた形でここに部屋を賜ったのだ。

 本当ならばあの次の日、私はサンカの母のために売られるはずだった。

 私を拾い育ててくれたサンカの父母。その母が病にかかった。それは、山にある草や木の根などでは到底治るものではなく。枝神殿の神官たちでも手に負えるものではなく。高価な薬を購うために人買いが来る予定だったのだ。

 けれど。

 本名は知らない青紅葉の君に問われるがままに語った身の上に酷く心を痛め、薬と少なからぬ金子を与えてくださったのである。

 あの日捕まえた魚籠いっぱいのウナギとそれらを持った私は、同じく名を知らないままの菊の君に塒(ねぐら)に連れていかれ、使用人として買われたのだった。




 庭を掃きながら、私は考えた。


 使用人としての仕事はあまりない。

 室内や庭の掃除はいつも完璧だった。私が作った料理は多分だけれど、おふたりの口には合わないだろうと思う。それに、食べ物は私の分も含めていつの間にか出来立てが用意されていたし、お風呂もいつの間にか沸いている。翌日のお召し物も綺麗に襲を考えて乱れ箱に準備されている。当然のように私が着る小袖と褶(しびら)と腰布もだ。もちろん私が襲なんていうものを理解しているわけもないのでとても助かることだったけれど。多分、遠い都の貴人に仕えるひとたちはそういうことが自然にできるように頭に入っているのだろう。

 することがなく、居心地が悪かった私に、見えない誰かは仕事さえ与えてくれた。

 それが、ちょっとした庭の掃除と、動物たちへの餌やりだった。

 ここに使用人は必要ではない。

 目に見えない誰か、もしくはなにかが全てを整えてくれるのだから。

 なら、なぜ私は買われたのだろう。

 おふたりの同情なのだろうか。

 だとしても、まぁ、それでも構わない。同情を拒否できるほど私は恵まれてはいないだろうから。もともとが捨て子にすぎず、サンカの一族に拾われ、歌と踊りとを教えられた。山から山へと移り住みながら、里に下りて芸を見せては小金を稼ぐ。必要とあればからだを売ることもある。幸まだ私はそれができるほどの年齢ではなかったから売ることはなかったけれど。それでも、きっと、人買いに買われれば私が売られる先は傾城(けいせい)屋であったろう。

 里にいる間は河原者と呼ばれていた。小屋掛けもできずに芸を見せるのが税のかからない河原だったからだ。そこで暮らすのは辛く、流行病が出れば私たちのせいになった。一旦そうなれば、それまで拍手を送ってくれていた里人たちの顔が鬼のように変わった。彼らは私たちを罵り石を投げつけ、私たちを追い払うのだった。

 そんな生活に比べれは、ここは極楽だった。

 彼らと一緒にいることはとても素晴らしいことなのだ。これこそが、この”迷い家”が私に与えてくれた奇跡に違いないのだ。


 夜は訪れた。

 安らかな芳しい夜だった。

 素敵に柔らかな寝具に埋もれて私は眠った。

 やがて訪れた朝まだき頃、しっとりとした薄い霧が上等の香を焚き染めた紗のように庭を覆っている。

 若紅葉の君はまだ眠っているだろう。

 菊の君は身繕いをしているかもしれない。

 若紅葉の君の身繕いは、彼の役目である。

 馬や牛に飼い葉を与え、家禽には穀物を。犬や猫にそれに池の魚には私たちの食事が終わってから残り物を与えるのだ。

 庭を掃く。

 黄土色の乾いた土に箒の穂先の形にならされてゆく。

 土が乾くくらい、庭の掃除をしていたのだ。

 ふと見れば、庭に面した御簾が上げられている。

 おふたかたともお目覚めになられたのだと、私は慌てて箒を片付け手水鉢で手を洗った。勝手口の土間の上がり口に腰をかけて味を洗い拭う。衣桁(いこう)にかけておいた着物に着替えて膳を三前取り上げた。

 恐れ多いことではあったけれど、私はおふたかたと同じ部屋で食事を食べることが許されていた。だからせめて配膳をしようとしているので遅れるわけにはゆかなかった。

 走らずにすり足で磨き抜かれた廊下を急ぐ。

 薄暗い廊下でも手を抜かない掃除の技能が驚くほどだった。

「おはようございます」

 一声かけて、食事に使っている部屋へと進んだ。

 まずは青紅葉の君の前に膳を置き、次いで菊の君に。最後に部屋の隅に移動して落ち着いた。

 青紅葉の君が箸をつけてから菊の君が。最後に私が箸を持った。




 穏やかな日々がこれから先も続くのだと私は信じてしまっていた。




 青紅葉の君と菊の君とは乳兄弟なのだと。

 おふたりの距離がとても近いのはそのせいなのか、それとも貴人たちの間ではそれが普通なのか。私にはわからない。

 けれど、いつも青紅葉の君に張り付くようにして共にいる菊の君に、ほんの少しどうなのだろうと思わないでもないのだ。

 菊の君が青紅葉の君から離れるのは、白銀と呼ばれる白龍の世話をする時だけだった。

 風呂の世話から就寝の世話まで、まるで甲斐甲斐しく夫に仕える妻ででもあるかのようだったのだ。

 それに、彼が青紅葉の君に向ける眼差しに込められている熱にそう思ってしまうのだろうか。

 とても切なく、とても悲しい。

 とても激しくて、火傷しそうなほどの熱の時がある。

 けれども。

 そんな菊の君に対して、青紅葉の君はなんの熱もたたえてはいないように見える。

 そう私は思っていた。

 それは、多分、私がまだ恋というものを知らないための誤解だったのだろう。

 後になって、青紅葉の君の痛いほどの恋情を、私は知るのだった。




*****


蛇足的説明


 傾城屋=遊女屋 平安時代はまだ河原とかで自由商いだったらしいが時代が降るにつれて組織化される。

 河原者とサンカですが、実際には関わりはないと思います。記憶を頼りなので違っていたら申し訳ありません。

 小袖 シビラ 腰巻き(腰布) で平安時代庶民の着物一揃い。貴族はこの上に十二単とかなるらしいので、貴族にとっては下着にあたる。

 乱箱、和室の寝具の枕元とかに置かれる漆塗りとかの平たい箱。着替えや小物を入れておく。

 衣桁着物や帯などをかけておくもの。

 三前 「前」が、御膳の序数詞です。何種類もあるのですが、おそらくこの漢字が一番穏当なのではと選んでます。

 食前の「いただきます」食後の「ごちそうさまでした」は、どうやら第二次大戦後にできた習慣っぽいので、一応ここでは省いています。

 

 似非和風ファンタジーなのでそこまで厳密になる必要はないと思ってますが。必要? ってな言葉とかは調べてます。が、誤解もあるかもしれません。念のため。

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