透明な声色

@soh_mujou

読み切り

透明な声色


私は、色が見える。


と言っても、視覚的な色の話ではない。虫は人間よりも色を多く識別できると聞くが、そういう話ではない。

人の感情を色として認識できるのだ。

激昂した感情は赤く燃えるように伝わり、沈痛な感情は青く揺らぐように感じ、喜悦の感情は黄色く跳ねるように見える。

細かい感情の動きも、細かい色のグラデーションで認識できる。

私は色が見える。


初めて感情が色として分かることが、人とは違う特別なことだと知ったのは小学生の時だった。

幼少期から母や父に何度も「今、赤!おこってるの?」とか、「黄色だ!よろこんでる!」とか、色が見える度に伝えていたが、両親や周りの人の目にはただ感性が豊かなだけの子供に映っていたようで、特に気には留められなかった。そのせいで、私もこれが他人にはない特別な能力だとは気づかずに小学校に入学した。

小学生時代はこのことが特別なことと気づくと同時期にいじめに遭った。色で人の感情が分かるので、誰かが悪いことをしようとしていることも全てわかってしまう。当時、アニメの影響で正義にあこがれを抱いていた私はそれを咎めたりして、自らの力に自惚れていた。そのせいでいじめられたのだと思う。

たくさんの人の怒りや蔑みの感情にあてられた私は、いつしか人の感情を色として見るのが怖くなり、学校には行かず、部屋に引き籠るようになっていた。


高校生になった今は普通に学校に通っているが、色が見えなくなったわけではない。むしろ感情はより細分化された色で、より詳しくわかるようになっていた。

人の感情が分かる以上友達と呼べるような人はいない。

自分で言うのもなんだが、私は顔が平均以上に整っていると思う。そのせいか同性や異性に声をかけられることが多かったが、下心が全てわかってしまうため、軽く受け流していた。



空がまるでモノクロ写真のようにどんよりと曇り、冷たい風が呼吸をする度に胸を突き刺すある日の午後、私は本を買うために近くの駅まで足を運んでいた。

私の最寄りの駅は大きく、その駅舎を中心に街は小都会と呼べるくらいには発展していた。

灰色に塗られたように無機質に光るビル街は私の好きな景色の一つだ。

ゆっくりと歩みを進めていると遠くから誰かの歌声とギターの伴奏の音が聞こえてきた。


歌は、嫌いだ。歌手は自らの感情を声に乗せることで、それを増幅させ私たちに伝えてくる。

もちろんそれに伴い、その歌声で発せられる感情に対する私が認識する色もより強く伝わり、正直、うるさくてしょうがない。

しかし、自分で音楽を演奏する分には嫌いじゃない。むしろ好きだ。耳から伝わる情報は感情さえ伴ってなければ心地がよい。

人の演奏はいやでも色が見えてしまうが、自分ですれば何の問題もない。

部屋に引き籠っていた時期は、ピアノやギターでよく曲を作っていた。


私は、聞こえてくる歌声を避けて遠回りをしようか迷ったが、そうすると一番人が多い大通りを通ることになることに気づき諦めた。人混みは苦手だ。色が見えすぎて、脳が焼けるように混乱する。

できるだけ歌を気にしないように、何も考えず本屋へまっすぐ歩く。その時、私はあることに気づいた。


歌に色が見えない。透明だ。


私はそれに対し強い興奮を覚えた。好奇心の赴くままに、小走りに歌の聞こえる方向へと足を進めた。

歌の出どころまではそれ程距離はなく、すぐに辿りついた。

声の主は私と同じくらいか少し下くらいの年に見える少年だった。


声に色が見えない理由は彼を見た瞬間すぐに分かった。歌声が無感情すぎる。

本当に感情がこもっていない。それこそ面白いほどに。なんせ、あんなに過敏になった私の感情に対する色覚が働いていないのだ。

本来の本を買うという目的などすでに頭にはなく、私は彼の歌に聞き入っていた。


この通りは、人は多いものの、彼の歌に耳を傾ける者は私以外誰もいなかった。

何故かなんて少し考えればわかる。感情がこもってないからだ。無機質な歌など普通の人からしたら何も面白くないものだろう。

しかし、私はすでに三十分くらい彼の前に一人で立ち、歌を聞いていた。それに対しても彼は表情を一切変えず、少しも感情を見せず、歌い続けた。そして彼は「ありがとうございました。」と小さな声でつぶやき、歌うことを止めた。

私は彼に近づき、


「なんでそんな無機質な声で歌うの?」


と尋ねた。彼は少し考えるような素ぶりを見せた後、


「僕は別に、僕の歌声を伝えたいわけじゃない。この曲自体を伝えたいんだよ。歌に感情がこもっていたら曲の本質が霞む。僕はそれがとても嫌だ。まるで僕自身に嘘をついてるみたいだ。」


と機械質な声で淡々と述べた。私はそれにコクっと一回だけ頷き、少し彼を見つめた後、本屋には寄らず家に帰った。



彼は週に三回、同じ時間に、同じ場所で歌っているようだ。私は一度も欠かさず毎回彼の歌を聞きに足を運んだ。

彼の歌を聞いている内に、私にある興味が芽生えた。彼が感情、すなわち色を見せることは本当にないのか、というものだ。

気になった私は彼に色々話しかけてみることにした。

ある時は曲を褒め、ある時は曲を批判し、ある時は曲に泣き、またある時はわざと途中で帰ったりもした。

それにも関わらず、彼が感情をあらわにする事は一度もなかった。

それをずっと続けていると、私は彼の曲ではなく彼の人間性という部分に興味を持ち、強く惹かれるようになっていた。


そして彼に初めて会った日と同じように、空が曇り、重い空気が体にのしかかる日、私は彼に、


「君はどこから来て、どこへ行くつもりなの?」


と、突拍子もなく聞いていた。私自身もその言葉が自分の口から出ていたことに驚いていた。まったく聞くつもりなどなかったのだ。

彼は前とは違い、特に考えるような素ぶりも見せずに、


「僕は僕の曲から来て、僕の曲に沈んでいくだけだよ。僕が曲を作っているんじゃなくて、曲が僕を作っている。僕は僕の曲に生まれて、僕の曲の中で死んでいくんだ。」


と、変わらない機械質な声で答えた。

その時、私はある疑問というか、ある願望が頭に浮かんだ。

なら、私が作った曲を彼が歌えば、私が彼を作り出すことができるのではないか。

もしそうでなくても、彼、という人格に少しでも近づけるのは確かだ。


「私の曲、歌ってくれないかな。」


私は、そう単純な言葉で、彼のように感情のこもってない声で彼に聞いた。


「別に、いいけど。」


彼は特に表情を変えることなく、そう答えた。



私は、家に帰るとすぐに作曲にとりかかった。ここまで自分の感情が揺さぶられる日は初めてだ。

作曲は得意だ。人の感情が色として認識できる私は、人がどのような旋律でどう感じるのか分かるし、どのような歌詞で感動するのかさえ分かる。

私にとって、作曲は絵を描くように、色を塗るように、視覚化されている行為なのだ。


久しぶりの作曲なのでかなり時間がかかると思いきや、一時間も経たずに終わった。

私は雑に書き殴った音符の連なりとコードを丁寧に楽譜に清書して、カバンにしまった。


彼が通りで歌を歌う日がやってくるまでなかなか眠れない日が続いた。こんな感情は今までに感じたことがないので、とても不思議な気分である。

その日がやってくるまではそんなに長くはなかったが、私にはとても長いように感じた。

当日、足は自然と跳ねるように動き、鼓動は自分のものとは思えない程早いビートを刻む。

いつもの場所は特に変わりなく、彼がいて、街の喧騒は糸のように交差し合い、風景は無機質なコンクリートに覆われている。


私は彼に近づいて、楽譜を渡した。彼が楽譜を持つと、彼の無表情が相まって、楽譜が意味を持たない点と線と記号の集合のように見えて少し面白い。

彼は何の感情も見せず楽譜を一通り読み、ギターを持ち、チューニングを始める。

そしてついに、彼は私の曲を歌い始めた。


刹那、彼を中心に空気が、否、世界が変わった。


先程まで無機質に光っていたビル街はカラフルに色付いたように見え、空気は何かを感じ取ったかのように震えだし、地面は彼の声を受けて躍動する。

そのように錯覚するほど、彼の歌は一気に世界を変えた。


普通に作られた曲というのは、ボーカルの感情を引き立てるように作られている。だが、私の曲はその曲自体が感情を発するというもの。

多分、一般的な歌手がこの曲を歌ったら声と曲が喧嘩して聞くに堪えないものになるだろう。だが、彼がこの歌を歌ったらどうなるか。

彼の無感情で、曲の本質を伝えようとする歌声が、私の曲の感情を増幅させ、放射する。

その結果、彼の発する歌が、声が、世界を色付け、一気に別物へと変える。


気づくと周りにはたくさんの人が集まっていた。そして、彼が歌い終わったとき、自然と拍手が沸き上がった。

私が彼を見ると、少し、ほんの微量だが、喜びの色を発しているような気がした。



人が立ち去り、周りが開けた後、彼は私に近づき、


「また曲を作って欲しい。もちろん金は出す。」


といつもと変わらず機械質な声で、しかし、色には出ていないが、緊張が混ざったような声で私に話しかけてきた。

私は微笑み、コクっと頷いた。

私が上を見上げると、空はあの日とは違い、水のように透明に澄み渡り、ビル街は太陽の光を反射し、ギラギラと輝いていた。

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